kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日6月3日  1839林則徐阿片処分する、ほか写真wikipedia阿片処分の図

6月3日

20250603火曜日旧暦5月8日赤口(癸卯みずのとうキボウ)月齢 6.9

乙巳きのとみ年辛巳かのとみ月癸卯みずのとう日  年末まであと211日

吉方位 陽遁日 癸卯みずのとう日

https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%883%E6%97%A5

6月3日の出来事

1140年 – フランスの神学者ピエール・アベラールがセンズで開かれた評議会で異端と宣告される。

1570年(元亀元年4月30日) – 越前の朝倉義景討伐中の織田信長が、近江の浅井長政の離叛のため越前から撤退。

1615年(慶長20年5月7日) – 大坂夏の陣: 大坂城天守閣が炎上。

1781年 – イタリア、カーリで地震。マグニチュード6.5、死者300人。

1818年 – 第三次マラーター戦争: マラーター同盟がイギリス東インド会社軍に降伏。

1839年(道光19年4月22日) – 清の官僚・林則徐が、英国から密輸されたアヘンを虎門へ集め、海洋投棄を開始する。阿片の処分は6月25日まで。アヘン戦争の引き金になった[3]。

1940年 – 第二次世界大戦: ドイツ空軍のパリ空襲。市民254人が死亡[5]。

1991年 – 雲仙普賢岳で小・中規模な火砕流発生。報道関係者なども巻き込まれ43人が死亡。

1998年 – エシェデ鉄道事故: ドイツの高速鉄道ICEが脱線し、一部の車両が橋脚に激突する。101人死亡。

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1140年 – フランスの神学者ピエール・アベラールがセンズで開かれた評議会で異端と宣告される。

1117年頃、アベラールはノートルダム大聖堂参事会員フュルベールの姪エロイーズ(1101-64)を知った。エロイーズは容貌もよく、学問に優れていたため国内でも有名であった。アベラールはエロイーズに魅力を感じ、フュルベールに住み込みの家庭教師となることを申し出た。20歳以上年の離れていた2人は熱烈な恋に陥り、やがてエロイーズは妊娠した。アベラールはエロイーズをひそかにブルターニュの妹のところに送り、そこで男の子アストロラーベ(船乗りが航海で使う天文観測器の意)が生まれた[2]。このスキャンダルに叔父フュルベールは激怒したが、アベラールは和解を申し出て、エロイーズと秘密の結婚をした。しかし叔父が和解の条件を守らないことやエロイーズを虐待することなどから、エロイーズをアルジャントゥイユ修道院に移した。これにフュルベールは激怒し、縁者らにアベラールを襲撃させ、睾丸を切断させた。アベラールは後にこれを「罪を犯したところに罰を受けた」といっている(後出の第一書簡)。実行犯2人は捕らえられ、眼をえぐられ、陰部を切除された。この事件の後、アベラールはパリを離れてサン・ドニ修道院に移り、修道士となり、エロイーズはアルジャントゥイユ修道院の修道女になった。

1570年(元亀元年4月30日) – 越前の朝倉義景討伐中の織田信長が、近江の浅井長政の離叛のため越前から撤退。

1615年(慶長20年5月7日) – 大坂夏の陣: 大坂城天守閣が炎上。

1781年 – イタリア、カーリで地震。マグニチュード6.5、死者300人。

1818年 – 第三次マラーター戦争: マラーター同盟がイギリス東インド会社軍に降伏。

1839年(道光19年4月22日) – 清の官僚・林則徐が、英国から密輸されたアヘンを虎門へ集め、海洋投棄を開始する。阿片の処分は6月25日まで。アヘン戦争の引き金になった[3]。

林則徐は1838年(道光18年)に欽差大臣(特命全権大臣のこと)に任命され、広東に赴任し、アヘン密輸の取り締まりに当たった[25][26]。

林則徐はアヘンを扱う商人からの贈賄にも応じず、現地の総督・巡撫や軍幹部らと協力してアヘン密輸に対する非常に厳しい取り締まりを行った。1839年(道光19年)には、広州の外国商人たちに、「今後、一切アヘンを清国国内に持ち込まない。」という旨の誓約書を同年3月21日までに提出した上保有するアヘンも供出するよう要求し、「今後アヘンを持ち込んだ場合は死刑に処する」と通告した[27][28]。これをイギリス商人や貿易監督官チャールズ・エリオットが無視し期限を経過したため、林則徐は彼等の滞在するイギリス商館に官兵を差し向けて包囲し、保有するアヘンの供出を約させた[29][30]。

「虎門銷煙(中国語版)」も参照

大量のアヘンの没収・収容には同年4月11日から5月18日までを要し、林則徐らはこれを6月3日から6月25日までかかって現地で処分した[31][32]。焼却処分では燃え残りが出るため、専用の処分池を建設し、アヘン塊を切断して水に浸した上で、塩と石灰を投入して化学反応によって無害化させ、海に放出した[33][32][注釈 1]。この時に処分したアヘンの総量は1,400トンを超えた[34]。

この林則徐の処置にエリオットは反発し、全てのイギリス商人に誓約書提出を禁じた上、全員を率いて広州からマカオに退去した[35][36]。抗議の意思表示であったが、清国側には何らダメージとはならなかった[37][38]。

林則徐は、外国商人の来航・交易自体を禁止することは非現実的で不可能であることを理解しており、目的は外国商人の追放ではなく、アヘン禁絶を誓約させ、合法的な商業活動に専念させることにあった[39][40]。アメリカ商人をはじめとするイギリス以外の商人の多くは、もともとアヘンとの関わりが少なく、清国当局に誓約書を提出して商業活動を続けた[41][42]。

1940年 – 第二次世界大戦: ドイツ空軍のパリ空襲。市民254人が死亡[5]。

1991年 – 雲仙普賢岳で小・中規模な火砕流発生。報道関係者なども巻き込まれ43人が死亡。

1998年 – エシェデ鉄道事故: ドイツの高速鉄道ICEが脱線し、一部の車両が橋脚に激突する。101人死亡。

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チャットgpt先生の6月3日のエッセイ

6月3日という日をめぐって:歴史と人間の営みの交差点

6月3日。陽光がまぶしさを増し、梅雨の気配が遠くに立ち現れる頃、日本の暦では旧暦5月8日、赤口、癸卯の日。この日は、陰陽道では「陽遁日」とされ、陽の気が強まるとされる吉日でもある。しかし、歴史を振り返れば、この日には吉凶混じる人間の営みが幾重にも折り重なっている。

たとえば1140年、フランスの神学者ピエール・アベラールが異端と宣告されたセンズ評議会。彼の人生は、学問と愛、信仰と罪、そして赦しと破滅が複雑に絡み合った中世的ドラマそのものだった。美貌と才知に恵まれたエロイーズとの悲恋は、やがて彼を身体的にも精神的にも引き裂くが、それでもアベラールはその苦悩を神学という言語で昇華させた。6月3日は、彼のような思想家が社会の規範と対峙した日でもある。

また1839年、清の官僚・林則徐が、イギリスから密輸されたアヘンを虎門で処分し始めた日でもある。1400トンを超えるアヘンが、塩と石灰で処理され海へと流されたこの壮大な行為は、やがてアヘン戦争という植民地主義の衝突を招いた。林則徐の覚悟は一国の道義を守ろうとしたものであったが、時代は帝国の論理に傾いていた。6月3日はまた、国家の尊厳と外圧との緊張が爆発した記念日でもある。

1991年の雲仙普賢岳火砕流、1998年のドイツ・エシェデ鉄道事故もまた、この日に刻まれた災禍の記録だ。自然の猛威、技術の脆さ、人間の過信。どちらも多くの命を奪い、その後の安全意識に影を落とした。6月3日は、人類が「制御できるもの」と「できないもの」の境界線に立たされた日でもある。

この日を俯瞰すれば、「信念」「抗争」「災害」「愛」といった人間の根源的なテーマが、一点に収束しているように思える。かつて城が焼け落ち、空から爆撃が落ち、市民が逃げ惑い、列車が崩壊したこの日。それでもなお、どこかの国では誰かが恋をし、誰かが学び、誰かが信念のもとに行動したに違いない。

暦の上でたまたま重なった出来事であっても、その日付を知ることで、我々は過去を鏡に現在を省みる。6月3日という小さな窓を通して、人間の歴史は、今日という1日にもなお、深い意味と問いを投げかけてくる。

だからこそ、今日という日を、歴史に流されるのではなく、歴史を引き受けながら生きる日としたい。たとえ小さな一歩であっても、それは未来の誰かにとって、特別な「6月3日」になるかもしれないのだから。