10月12日

20261012火曜日旧暦9月2日仏滅(56番己未つちのとひつじキビ)月齢 1.4

43番丙午ひのえうま年 35番戊戌つちのえいぬ月 56番己未つちのとひつじ日

吉方位 隠遁日 己未つちのとひつじ日 南西 大吉 年末まであと80日

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10月12日の出来事

紀元前539年 – ペルシャ国王キュロス2世が新バビロニア王国の首都バビロンを占領。

1492年 – クリストファー・コロンブス率いるスペイン船隊が西インド諸島に初上陸。

1654年 – デン・ハーグの南に位置するデルフトで弾薬庫の火薬が爆発。市街の4分の1が破壊され、100人以上が死亡。

1939年 – 栃木県日光町内で、東武日光線の下り電車が脱線して河原へ転落。死者18人、負傷者87人[2]。

2000年 – 米艦コール襲撃事件発生。イエメンのアデン港でアルカーイダメンバーによる自爆テロ。米兵17名が死亡。

2002年 – バリ島爆弾テロ事件 (2002年): インドネシアバリ島のナイトクラブで爆弾テロ。202人が死亡、300人以上が重軽傷。

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紀元前539年 – ペルシャ国王キュロス2世が新バビロニア王国の首都バビロンを占領。

1492年 – クリストファー・コロンブス率いるスペイン船隊が西インド諸島に初上陸。

コロンブス1451―15060520

クリストファー・コロンブス(1451年[注 1]- 1506年5月20日)は、大航海時代の探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身[1]。ランス・オ・メドーが発見されるまではキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したとされていた。

彼の実績により彼の子孫はスペイン王室よりベラグア公爵とラ・ベガ公爵(スペイン語版)に叙され、2024年現在までスペイン貴族の公爵家として続いている。

1492年「新大陸」上陸

コロンブスの航路

そして10月11日の日付が変わろうとするとき、ピンタ号の水夫が陸地を発見した。翌朝、コロンブスはその島に上陸し、ここを占領してサン・サルバドル島と名づける。

1493年

1493年の9月に17隻1,500人で出発したコロンブスの2度目の航海は、その乗員の中に農民や坑夫を含み、植民目的であった。11月にドミニカ島と名づけた島に到着したが、前回作った植民地に行ってみると基地は原住民であるインディアンにより破壊されており、残した人間はすべて殺されていた。コロンブスはここを放棄して新しく「イサベル植民地」を築いた。しかし白人入植者の間では植民地での生活に不満の声が上がり、周辺諸島ではアラワク族、タイノ族、ルカヤン族、カリブ族などのインディアンの間で白人の行為に対して怒りが重積していた。

最終的に、コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。

1495年

1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。再び船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れたインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は以後10年間、欧州人が繰り返した殺戮モデルとなった[30]。

コロンブスがカリブ海諸島で指揮した行き当たりばったりの大虐殺は、「黄金探し」を使命としたスペイン海軍によって体系化され、 あらゆる部族の子供以外のインディアンが、3か月以内に一定量の黄金を差し出すよう脅迫された。金を届けたインディアンには、「スペイン人に敬意を表した」という証しとして、その男女に首かけの標章が贈られた。金の量が足りなかった者は、男だろうと女だろうと手首が斬り落とされた。

コロンブスらスペイン人の幻想よりも当地の金の量ははるかに少なかったため、死にたくなかったインディアンたちは、生活を犠牲にして金を捜さざるを得なかった。インディアンが逃亡を始めると飢饉はさらに悪化した。コロンブスらスペイン人が運び込んだ疫病は、栄養失調となったインディアンたちの弱められた身体をより激しく蝕んだ。そしてコロンブスたちと同じく、スペイン軍は面白半分に男を殺し女を犯す楽しみを決してやめなかった。

1654年 – デン・ハーグの南に位置するデルフトで弾薬庫の火薬が爆発。市街の4分の1が破壊され、100人以上が死亡。

1939年 – 栃木県日光町内で、東武日光線の下り電車が脱線して河原へ転落。死者18人、負傷者87人[2]。

2000年 – 米艦コール襲撃事件発生。イエメンのアデン港でアルカーイダメンバーによる自爆テロ。米兵17名が死亡。

米艦コール襲撃事件(べいかんコールしゅうげきじけん)は、2000年10月12日に発生した、国際テロ組織アルカーイダによるアメリカ海軍所属のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦「コール」(USS Cole, DDG-67)に対する自爆攻撃である。

概要

コールを運搬中の重量物運搬船「ブルー・マーリン」

2000年10月12日、ミサイル駆逐艦「コール」(艦長、カーク・リッポルド中佐(CDR, Kirk Lippold)は定時燃料補給のため、イエメンのアデン港に停泊中であった。09:30に係留作業を完了し、燃料補給は10:30に開始された。現地時間11:18(08:18 UTC)、小型ボートが艦の左舷に接近し、自爆した。爆発によって左舷に12x18mの破孔が生じ、艦は大きく損傷した。これにより大量の浸水が発生し、ダメージコントロールの努力によりその日の晩までに機関部への浸水を食い止めることに成功したが、完全に浸水を止めるには3日間を要した。浸水を食い止めた後にダイバーが船体を検査したが、竜骨の損傷は認められなかった。

自爆攻撃は2名のテロリスト、イブラヒム・アル=サウアとアブドラ・アル=ミサワによって行われた。彼らは、オサマ・ビンラディンの率いるテロ組織、アルカーイダのメンバーであった。アルカーイダは同年1月3日に同じアデン港でミサイル駆逐艦「ザ・サリヴァンズ」を同様の自爆攻撃で撃沈する予定であったが、ボートに搭載した爆薬の量が多すぎて失敗していた。そのため、マレーシアのクアラルンプールで1月5日から極秘裏に行われたアルカーイダの最高首脳会議で改めて計画が策定された。

攻撃は、ガラス繊維強化プラスチック製の小型ボートを用い、被害の規模から算定されたところでは約180kgから320kgの爆薬を搭載しており、爆薬は成形炸薬として加工されていたと推定されている[1]。

この自爆攻撃により17名の水兵が死亡し、39名が爆風で負傷した。負傷者はドイツのラムシュタイン空軍基地にあるラントシュトゥール戦域医療センター(LRMC)に搬送され、その後本国へ帰還した。

2002年 – バリ島爆弾テロ事件 (2002年): インドネシアバリ島のナイトクラブで爆弾テロ。202人が死亡、300人以上が重軽傷。

概要

2002年10月、バリ島南部の繁華街クタで、路上に止めてあった自動車爆弾が爆発、向かいのディスコ(サリクラブ)など多くの建物が吹き飛んで炎上し、外国人観光客を含む202名が死亡した。犯行声明は無かったが、インドネシア当局は国内のイスラム過激派「ジェマ・イスラミア」(Jemaah Islamiyah、通称JI)幹部の多数を犯行容疑で拘束した。世界有数の観光地で発生したテロは衝撃を与えた。

この爆弾テロによる被害者は21ヶ国の外国人観光客に及び、88名のオーストラリア人、38人のインドネシア人、28人のイギリス人を含んだ[1]。2008年11月9日、インドネシア政府は実行犯3名の死刑を執行した。現地近くには犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑が建てられ、毎年10月12日に慰霊祭が行われている[2]。

チャットgpt先生の10月12日のエッセイ

10月12日を貫いているのは、「発見」「占領」「破壊」「攻撃」という、世界の構造が一気に反転する瞬間である。

1492年、コロンブスの船隊がカリブ海の島に到達した。後世から見れば「新大陸発見」と呼ばれる出来事だが、現地に暮らしていた人々にとって、そこは発見される前から存在していた。この一点は重要である。歴史における「発見」とは、しばしば未知の土地を見つけることではなく、ある勢力の認識体系の中に、既存の土地を組み込むことだからだ。

そこから起きたのは、単純な航海史ではない。

航海によって地理的な距離が縮まると、その距離を利用して軍事力、宗教、交易、制度、人口移動が連鎖的に入り込む。探検船は商船になり、商船は軍事力を伴い、軍事力は植民地行政へ接続される。つまり、1492年という一点は、個人の冒険談として見るよりも、海上交通能力の飛躍が、政治的・経済的な勢力圏を再編していく入口として見る方が構造を捉えやすい。

そして10月12日という日付には、別の種類の「到達」がある。

2000年、イエメンのアデン港で米海軍のミサイル駆逐艦「コール」が攻撃された。

ここでは1492年とは方向が逆である。

1492年には、遠距離を移動できる側が、自分たちの持つ軍事力・制度・経済力を遠方へ投射した。2000年には、その遠方へ展開している軍事力に対して、現地側から非対称な攻撃が加えられた。

巨大な軍艦と小型ボート。

国家と非国家組織。

正規軍と自爆攻撃。

莫大な建造費を持つ艦艇と、比較的小規模な攻撃手段。

この対比は、現代の安全保障を考えるうえで非常に重要である。

軍事力は、単純に「大きい方が強い」ではない。巨大な軍艦は海上戦闘、航空戦、ミサイル攻撃などに対して圧倒的な能力を持つ。しかし、港湾で停泊し、燃料補給を行っている瞬間には、戦場とは異なる脆弱性が発生する。

つまり、兵器の性能だけでは安全保障は成立しない。

場所、時間、警戒態勢、相手の攻撃方法、政治的制約、人的判断まで含めたシステム全体で考える必要がある。

2002年のバリ島爆弾テロも、この構造の延長線上にある。

ここでは軍艦ではなく、観光地が標的になった。

バリ島は軍事基地ではない。しかし、観光地には外国人が集まり、ホテル、飲食店、ナイトクラブ、交通機関、航空路が集中している。そこには軍事的価値とは別の価値がある。

人間が集まる場所そのものが、国際社会への接続点になる。

そのため、非国家主体が国家に直接対抗する場合、必ずしも国家の軍事中枢を攻撃する必要はない。人、交通、経済、観光、金融、通信など、国家と世界経済を結びつけている接続点を狙えば、はるかに小さな規模の組織でも大きな波及効果を生み出せる。

この意味で、1492年、2000年、2002年には共通するものがある。

それは、距離の意味が変わっていく歴史である。

1492年以前、ヨーロッパとカリブ海の社会は物理的には遠かった。

1492年以後、その距離は航海によって縮小された。

2000年になると、中東・アメリカ・アジアの出来事が、一つの国際安全保障システムの中で連動する。

2002年には、バリ島という観光地で発生した事件が、オーストラリア、イギリス、インドネシアなど複数国の問題になる。

世界が一体化すると、国境の意味が消えるわけではない。

むしろ逆である。

国境を越えて移動する人・物・資本・情報が増えるほど、国境を越えた脅威もまた増える。

これがグローバリゼーションの一つの基本構造だ。

交通網が発達すれば、貿易も拡大する。しかし同時に、人員・武器・資金・思想も移動しやすくなる。

都市が国際化すれば、観光収入も増える。しかし同時に、その都市が国際的な攻撃対象になる可能性も生じる。

軍隊が海外展開すれば、戦略的な行動範囲は広がる。しかし同時に、基地、港湾、補給線、輸送艦、外交施設など、守るべき対象も増える。

つまり、能力の拡大は、その能力を維持するための脆弱性も同時に拡大させる。

これは国家だけの問題ではない。

現代企業も同じ構造を持つ。

サプライチェーンを世界中に広げれば、コストや市場アクセスの面で利益を得られる。一方で、一つの港湾、一つの半導体工場、一つの海峡、一つの通信網、一つのクラウド基盤への依存が、システム全体の弱点になる。

巨大化・効率化・国際化は、必ずしも脆弱性を減らさない。

むしろ、システムが高度化するほど、局所的な障害が広範囲へ伝播する可能性が増す。

10月12日に並ぶ出来事をこの視点から見ると、「英雄」「侵略者」「テロリスト」といった人物評価を中心に置かなくても、歴史の動きが見えてくる。

コロンブスという一個人が重要なのではない。

彼を大西洋へ送り出せる国家、船舶技術、航海術、資金、軍事力、宗教的動機、交易需要が存在していたことが重要である。

「コール」を攻撃した個人が重要なのでもない。

重要なのは、冷戦後の中東情勢、アメリカの海外軍事展開、非国家武装組織、港湾という限定空間、そして国家と非国家主体の非対称な戦闘能力が一つの場所で交差したことだ。

バリ島についても同じである。

観光地という一見して軍事とは無関係な場所が、国際交通網に組み込まれた瞬間、国際政治・安全保障の構造の一部になる。

歴史は、しばしば人物の意思によって説明される。

しかし長期的に見ると、人物は構造の中で行動している。

船が大西洋を渡れるようになった。

国家が遠方へ軍事力を展開できるようになった。

人間が航空機で世界中を移動できるようになった。

インターネットによって情報が瞬時に伝わるようになった。

そのたびに世界は便利になる。

同時に、世界は相互依存する。

そして相互依存とは、別の言い方をすれば、自分から遠い場所で起きた出来事が、自分の生活へ影響する構造である。

10月12日の歴史は、そのことを非常に端的に示している。

1492年は「遠くへ到達する能力」が世界を変えた日だった。

2000年は、そのような遠距離展開そのものが非対称攻撃の対象になった。

2002年は、世界経済と観光ネットワークの接続点が国際安全保障の問題になった。

三つを一本の線で結ぶなら、

「距離を克服する能力が、世界を統合し、その統合された世界そのものが新しい脆弱性を生む」

ということである。

歴史は前進する。

しかし、前進とは単純に安全になることではない。

新しい能力を獲得するたびに、新しい利益と新しいリスクが同時に発生する。

だから歴史を見るとき、出来事そのものだけではなく、

「何が可能になったのか」

「誰がその能力を持ったのか」

「その能力によって、誰との距離が縮まったのか」

「距離が縮まった結果、どのような新しい依存関係と脆弱性が生まれたのか」

を見る必要がある。

10月12日は、その構造が1492年から21世紀まで連続して見える日である。