9月9日
20260909水曜日旧暦7月28日仏滅(23番丙戌ひのえいぬヘイジュツ)月齢 27.3
43番丙午ひのえうま年 34番丁酉ひのととり月 23番丙戌ひのえいぬ日
吉方位 隠遁日 丙戌ひのえいぬ日 北東 大吉 年末まであと113日
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9月9日の出来事
701年(大宝元年8月3日) – 大宝律令が完成[1]。
999年(長保元年7月27日) – 長保元年令が発令される。十一条。
1513年 – カンブレー同盟戦争: フロドゥンの戦い(英語版)。スコットランド王ジェームズ4世がノーフォーク公に敗れ戦死。
日付 1513年9月9日
場所
ブランクストン、ノーサンバーランド、イングランドの近く
結果 イングランドの決定的な勝利
損害 イングランド軍 3万人中1,500–1,700人が死亡[1] スコットランド軍4万人中5,000–14,000人死亡[2][3]
1547年(天文16年7月24日) – 小田井原の戦いがはじまる。武田軍と関東管領軍の戦闘。3000人戦死。他に 武田晴信の敵兵への処置は厳しく、捕虜となった城兵は奴隷労働者とされ、女子供は売り払われた。
1615年(元和元年7月17日) – 江戸幕府が禁中並公家諸法度を発布する。
1720年(享保5年8月7日) – 江戸幕府が江戸町火消を「いろは47組」に再編成。
1871年 – 江戸城本丸跡に午砲台が設置。毎日正午に午砲が鳴らされることとなった(1929年4月30日まで)[2]。
1922年 – 希土戦争: トルコ軍がギリシャのイズミルを占領。詳細不明だが双方虐殺、略奪の応酬。
1939年 – ポーランド侵攻: 第2次ビドゴシチ住民殺害事件が起こる。市の14%2万人以上が虐殺死とされる。
1948年 – ソ連による朝鮮の占領が終了し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立。
1945年 – 日中戦争: 中国大陸の支那派遣軍総司令官岡村寧次大将が南京で降伏文書に署名し無条件降伏。日中戦争が終結。
時 局地戦争:1931年—1937年[注 4]全面戦争:1937年-1945年[1][注 5]
場所 中国、英領ビルマなど[1]。
結果 中華民国の勝利、日本の降伏[1]。
損害 日本軍100万人動員 約43万人戦死/約100万人負傷[1] 中国軍500万人以上動員300万人 – 3500万人戦死/不明(約1億人とも推測される)負傷[1]
1949年 – カナディアン航空機爆破事件が起こる。23人死亡。
1988年 – 篠崎ポンプ所女性バラバラ身元不明殺人事件が、被害者の遺体発見により発覚する。未解決。
1996年 – 柴又三丁目女子大生殺人発生[7]。未解決。
2004年 – 豊明母子4人殺害事件: 愛知県豊明市沓掛町の民家で母子4人が殺害され、家が放火される事件が発生。発生19年後の2023年9月時点でも未解決となっている。
2019年 – 千葉県に上陸した台風15号が、記録的な暴風などで8万2000棟を超える住宅に被害を及ぼし、12人がこの台風に関連して死亡した[11]。
2025年 – イスラエル軍がカタール・ドーハでハマス幹部殺害のため空爆し、5人が死亡するも、幹部の殺害には失敗。
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701年(大宝元年8月3日) – 大宝律令が完成[1]。
999年(長保元年7月27日) – 長保元年令が発令される。十一条。
現代語訳
神事を怠ったり、規定に背いた行為をしてはならない。
神社を壊したり、損傷させてはならない。
仏事を怠ったり、規定に背いた行為をしてはならない。
定められた修理費で修繕すべき寺院や堂舎を壊したり、損傷させてはならない。
僧侶や俗人が、理由もなく京に住んだり、牛車を使って京の邸宅に泊まったりしてはならない。
理由もなく穢れに触れるような行為をしてはならない。
男女の道俗(僧・俗人)が、規定に反した服を着てはならない。
金銀の薄板や泥絵で扇や火桶を飾ったり、六位以下の者が螺鈿の鞍を用いたりしてはならない。
六位以下の者は車に乗ってはならない。
諸司・諸衛の官人が饗宴を催したり、碁などの遊戯に耽ってはならない。
主計寮・主税寮の官人が、前任の分の勘定を口実にして、賄賂を強要したり、諸国からの公文を抑留したりしてはならない。
ざっくり言えば、
神仏を大切にすること
建物・器物を壊さないこと
僧俗や身分に応じた生活を守ること
ぜいたくや不正を禁じること
1513年 – カンブレー同盟戦争: フロドゥンの戦い(英語版)。スコットランド王ジェームズ4世がノーフォーク公に敗れ戦死。
日付 1513年9月9日
場所
ブランクストン、ノーサンバーランド、イングランドの近く
結果 イングランドの決定的な勝利
損害 イングランド軍 3万人中1,500–1,700人が死亡[1] スコットランド軍4万人中5,000–14,000人死亡[2][3]
1547年(天文16年7月24日) – 小田井原の戦いがはじまる。武田軍と関東管領軍の戦闘。3000人戦死。他に 武田晴信の敵兵への処置は厳しく、捕虜となった城兵は奴隷労働者とされ、女子供は売り払われた。
1615年(元和元年7月17日) – 江戸幕府が禁中並公家諸法度を発布する。
1720年(享保5年8月7日) – 江戸幕府が江戸町火消を「いろは47組」に再編成。
1871年 – 江戸城本丸跡に午砲台が設置。毎日正午に午砲が鳴らされることとなった(1929年4月30日まで)[2]。
1922年 – 希土戦争: トルコ軍がギリシャのイズミルを占領。詳細不明だが双方虐殺、略奪の応酬。
イズミル占領とは、1919年5月15日のギリシャ軍のイズミル上陸に始まり1922年9月9日のトルコ軍のイズミル入城(英語版)まで続いたギリシャ王国によるイズミル市の占領である[1]
1939年 – ポーランド侵攻: 第2次ビドゴシチ住民殺害事件が起こる。市の14%2万人以上が虐殺死とされる。
ポーランド人によるドイツ人への虐待
ポーランド陸軍は、ビドゴシチ経由で退却した際[5]、ドイツの不正規兵より攻撃を受けた。イギリス人の目撃者によると、退却中のポーランドの砲兵部隊がドイツ人によって屋内から狙撃されたとのことだった。ポーランド軍は応戦し、イエスズ会の教会からも狙撃を受けた[9]。その後、双方に死傷者が発生した。ドイツの不正規兵の捕虜は即座に処刑され、暴徒と化した群衆によってリンチされたことも目撃されている[5][10][11]。2004年のポーランドの調査によると、ポーランドの部隊は、少数民族であったドイツ人とドイツ軍情報部(アペヴェーア)によって撃たれたと結論付け、40人から50人のポーランド軍と100人から300人のドイツ人が死亡した[12]。
ドイツ軍の報復
ドイツの報復と虐殺行為
この事件の結果、ドイツによる報復とポーランドの民間人の大量処刑が行われた[17][10]。血の日曜日事件に対する報復として、多数のポーランド人がアインザッツグルッペンや、武装親衛隊やドイツ国防軍によって処刑された[18]。ドイツの歴史家クリスティアン・ライツ・フォン・フレンツによると、876人のポーランド人が1939年終わり頃までに、ドイツの法廷で裁かれた。87人の男性と13名の女性が控訴権無しの判決を受けた[17]。ポーランドの歴史家、チェスワフ・マダジッチは、血の日曜日事件に関連して、120人が処刑され、ドイツ兵がポーランドの狙撃兵に狙われたのち、20人の捕虜が処刑されたとしている[17][19]。
ドイツ側の報告によると、ポーランドの狙撃手が数日間にわたり、ビドゴシチにいるドイツ軍部隊を攻撃していた(ただし、ポーランド側は、これについては確認していない)[20]。ドイツ側の総督であるウォルター・ブレーマー将軍(後方軍地域司令官)は[21]、数日間にわたり80人のポーランド人の人質の処刑を命じた[17]。9月8日までには、200人から400人のポーランド人が殺害された[18]。リチャード・ローデスによると[22]、多数のボーイスカウトが市場にある壁に立たされ、射殺された。最後の晩餐を執り行うために、駆け付けた牧師も撃たれ、5か所に銃創を負った。虐殺は1週間続き、街にいた34人の主だった商人は撃たれ、その他多くの有力者も射殺された。
多くのポーランド人、とりわけ知識階級に属する人やユダヤ人は、強制移送か即座に殺されるかした[19]。ビドゴシチの20,000人以上のポーランド人(同市の14 %の人口に相当)は、射殺されるかドイツ軍が占領中に強制収容所で死んだ[23]。
1948年 – ソ連による朝鮮の占領が終了し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立。
1949年 – カナディアン航空機爆破事件が起こる。23人死亡。
1988年 – 篠崎ポンプ所女性バラバラ身元不明殺人事件が、被害者の遺体発見により発覚する。未解決。
1996年 – 柴又三丁目女子大生殺人発生[7]。未解決。
2004年 – 豊明母子4人殺害事件: 愛知県豊明市沓掛町の民家で母子4人が殺害され、家が放火される事件が発生。発生19年後の2023年9月時点でも未解決となっている。
2019年 – 千葉県に上陸した台風15号が、記録的な暴風などで8万2000棟を超える住宅に被害を及ぼし、12人がこの台風に関連して死亡した[11]。
2025年 – イスラエル軍がカタール・ドーハでハマス幹部殺害のため空爆し、5人が死亡するも、幹部の殺害には失敗。
チャットgpt先生の9月9日のエッセイ
9月9日という日を、吉凶や道徳ではなく、権力・制度・軍事・都市・国家の構造が動いた日として見ると、かなり一貫した輪郭が浮かびます。
9月9日――「決着」が表面化する日
9月9日の歴史を並べると、奇妙なほど「戦争の終盤」「占領」「制度の再編」「国家による処理」という出来事が多い。
701年の大宝律令完成、1615年の禁中並公家諸法度、1720年の江戸町火消の再編。
一方で、1513年のフロドゥンの戦い、1547年の小田井原の戦い、1922年のイズミル占領、1939年のビドゴシチ、1945年の日中戦争終結。
一見するとバラバラだが、構造として見ると共通点がある。
「誰が何を支配するのか」が、制度または実力によって確定していく局面である。
歴史において重要なのは、理念より先に、この「確定」が起こることだ。
国家は、理念だけでは存在しない。
軍隊、行政、法令、都市、税、交通、警察、情報、そしてそれらを動かす人間の組織によって、初めて国家になる。
だから701年の大宝律令と、1720年の町火消再編は、戦争とはまったく違う出来事に見えて、実は同じ方向を向いている。
人間の集団を、制度によって一定の形に固定する。
律令は国家を文書化する。
法令は身分と行動を規定する。
町火消の再編は都市の消防能力を組織化する。
つまり、権力は「命令する能力」だけではない。
社会を、必要なときに動かせる形にしておく能力である。
1513年9月9日のフロドゥンの戦いは、その反対側にある。
ここでは制度ではなく、軍事力が支配関係を決めた。
スコットランド王ジェームズ4世が戦死し、イングランドが決定的な勝利を得る。
戦場で起きていることだけを見ると、一日の戦闘である。
しかし国家レベルでは、一人の王の死が持つ意味は大きい。
王とは単なる個人ではない。
軍事指揮権、外交上の代表権、王統、領土支配、政治的正統性を一つの身体に集約した装置でもある。
だから王が戦場で死ぬということは、単に「有力者が一人死亡した」という話ではない。
国家の意思決定装置そのものが損傷する。
戦争とは、兵士同士が殺し合うゲームではない。
本質的には、
相手の国家が意思決定し、資源を動員し、軍隊を維持する能力を破壊する競争
である。
この視点に立つと、戦死者数だけでは戦争の大きさは測れない。
王が死ぬ。
首都が落ちる。
補給線が切れる。
官僚組織が機能しなくなる。
同盟国が離れる。
こうした「構造上の損失」が積み重なったとき、軍隊の戦闘能力が急速に落ちる。
1922年9月9日のイズミルも同じ構造を持つ。
1919年にギリシャ軍が上陸し、1922年にトルコ軍が入城する。
三年以上続いた占領が、一つの都市の支配者が変わることで可視化された。
ここで重要なのは、都市そのものだ。
近代戦争では、都市は単なる居住空間ではない。
港湾、鉄道、道路、行政機関、通信、金融、人員、物資。
都市には国家を動かす機能が集中している。
だから都市を取ることは、地図上の一点を塗り替えることではない。
ネットワークの結節点を奪うことである。
軍隊は前線だけで戦っているわけではない。
後方に工場があり、港があり、鉄道があり、倉庫があり、行政があり、徴税があり、情報がある。
戦争の勝敗は、最終的にはこの巨大なネットワークのどちらが長く機能するかで決まる。
1939年のビドゴシチの出来事を見ると、戦争がさらに別の段階に入る。
ここでは「前線」と「後方」の境界が崩れる。
軍人と民間人、正規兵と非正規兵、報復と軍事作戦の境界が曖昧になり、都市そのものが戦場になる。
これは第二次世界大戦を理解するうえで重要なポイントだ。
近代国家は、戦争になると社会全体を動員する。
すると逆説的に、
社会全体が戦争の対象になり得る。
工場で武器を作る人間も、鉄道を動かす人間も、食料を生産する人間も、情報を伝える人間も、国家の戦争遂行能力の一部になる。
その結果、戦争は「兵士対兵士」から、「国家の組織能力対国家の組織能力」へ変化していく。
この構造を理解しないと、第二次世界大戦の都市破壊や大量動員は理解できない。
そして1945年9月9日。
南京で岡村寧次が降伏文書に署名する。
ここには、9月9日に繰り返し登場するもう一つのテーマがある。
戦争の終わりは、戦場で決まるだけではない。
戦争を終わらせるには、最後に文書が必要になる。
署名する人間が必要になる。
それを受け取る政府が必要になる。
軍隊に命令を伝える通信網が必要になる。
各地の部隊が命令に従う必要がある。
つまり「降伏」とは、単なる心理状態ではない。
巨大な組織が、自分の活動を停止するための手続きである。
ここに国家というものの本質が見える。
国家は戦争を始めるときにも大量の人間を動かすが、戦争を終わらせるときにも大量の人間を動かさなければならない。
だから本当の意味での「終戦」は、銃撃が止まった瞬間ではない。
命令系統が切り替わり、行政が再編され、軍事組織が解体され、占領・賠償・統治の新しい仕組みが動き始めたときに成立する。
701年から1945年までを一本につなぐと、9月9日は「善悪の日」ではない。
もっと冷たい。
支配構造が書き換わる日として見える。
律令が完成する。
王が戦場で死ぬ。
都市の支配者が変わる。
国家間戦争が終わる。
法令によって権力関係が固定される。
消防組織が再編される。
どれも、人間社会が「誰が、何を、どの範囲で動かせるのか」を決め直す作業である。
歴史をリアリストの目で見るなら、理念や道徳より先に見るべきものがある。
組織能力。
誰が人を集められるのか。
誰が金を集められるのか。
誰が情報を握っているのか。
誰が物流を支配しているのか。
誰が武力を持っているのか。
誰の命令が末端まで届くのか。
そして最後に、
誰が、その仕組みを維持できなくなったのか。
歴史上の「勝者」と「敗者」は、しばしば思想の優劣で説明される。
しかし現場ではもっと単純な場合が多い。
組織を維持できた側が残り、維持できなくなった側が崩れる。
戦場では兵站になる。
都市では行政になる。
国家では制度になる。
戦後では占領統治になる。
だから9月9日の歴史を一言でまとめるなら、
「力が制度へ変換され、制度が再び力を生み出す、その境界が見える日」
ということになる。
歴史は出来事の羅列ではない。
王の死も、都市の陥落も、法令の発布も、降伏文書への署名も、その背後には同じ問題がある。
誰が社会を動かす能力を持っているのか。
そして、その能力を失った瞬間、昨日まで存在していた秩序は、驚くほど速く別の秩序へ置き換わる。
9月9日は、その現実をかなり露骨に見せてくれる日である。

