20250309記事
今日という日3月9日 1866慶応2年1月23日寺田屋事件、ほか写真wikipedia龍馬の拳銃スミス・ウェッソン2
3月9日ですね。
3月9日の出来事
1841年 – アミスタッド号事件: 合衆国最高裁判所が、アフリカから連れて来られアミスタッド号で反乱を起こしたアフリカ人たちは法的には奴隷ではなく自由の身であると認める。
1866年(慶応2年1月23日) – 寺田屋事件。寺田屋に投宿していた坂本龍馬が伏見奉行の襲撃を受ける。
1934年 – 衆議院議員で鐘淵紡績前社長の武藤山治が失業者により銃撃される。翌日死亡。
1946年 – バーンデン・パークの惨事: イギリス・ボルトンのサッカー場で試合中に群衆事故が発生し33人が死亡。
1961年 – 福岡県香春町の上清炭鉱で坑内火災。当時、炭鉱事故で戦後最大となる死者数71人[6]。
1967年 – トランス・ワールド航空553便空中衝突事故。死亡26人全員。
1977年 – アメリカ、ワシントンD.C.の市役所、ユダヤ人共済組合本部ビル、回教徒センタービルの三ヶ所が襲撃を受け、一時は市長を含めた100人以上が人質となる事件が発生。2人が死亡し、11人以上が負傷した[7]。
*
本文章は 日中勤務帰宅時の空き時間に作成しております。
まあお仕事しているヒトは皆さんそうかと思うんですが、一日一日綱渡りにして、祈るような思いで職務遂行やってますね。いつもです。この気持ちに緩みや弛みができてきたとき、何らかのトラブルが起きるんですね。
いや、今日も無事職務終了と。あーーー疲れた。
祈るような気持ちって冗談でないんで。私の場合。マジに
空き時間あいま隙間に 十句観音経とかブツブツいってますわ。
今日もそうですが、通勤リュックにいれた崇敬神社のお守り握りしめながら
あるきながら読経あるいは、「性エネルギー昇華秘法」実践とかね。
プライベートライアンの冒頭の戦闘シーン もう何回見たかわからんですが、
海兵隊上陸前の 上陸舟艇にのってみな武者震いに震えながら、
あるものは十字架にキスをしたり、
あるものはキリスト教のマントラを唱えたり。
んで、上陸用舟艇のハッチ扉が開いた途端にですね、ダダダダダってマシンガンの銃声がして
舟艇の最前列の兵士たちが崩れ落ちていくあのシーンですね。
はっきりいって、一番初めて劇場で見たときはぶっ飛びましたわ。
確かにこれがホンモノの戦場かもって思わせる映像でしたね。
んで、
後年 あの凄まじい地獄のブラッディオマハが
あのすさまじい戦闘にかかわらず、死傷率5.8%でしかなく、
米軍兵士のセリフで 「日本兵との戦闘に比べたら ドイツ軍との戦いはお嬢さんとのダンス」ってのを聞いてですね、まあもうこれは想像するしかないんですが、日本兵どんだけすごいねん、って感じですよね。だいたいサイパン戦くらいからやったともいますけど、
対日米軍の死傷率は少なくとも10%。1945の硫黄島 あるいは沖縄戦になってくると、死傷率は20%近くにまでなるんですね。これ総合的に見てだから、局地戦では 連隊全滅とか日本兵との戦いにおいては マジにこういったことが 過去に米軍が経験したことなかった事態が起こるわけです。
欧米人は死ぬまで戦う って戦闘は歴史的に見てあんまないんですね。皆無ではないですけどね。古くは ギリシアとペルシャ帝国との戦いのときのテルモピレーの戦いとかね、あるいは ローマ帝国とユダヤの戦いにおけるマサダの戦いとかですかね。こんくらいしか思い浮かばない。よくもわるくもですよ 1868の日の本の前期切支丹支配時代の総決算として1945の戦闘があったわけですが、日本兵はマジに死ぬまで戦うわけですよ。万単位 総計何十万単位の兵士が死ぬまで戦った歴史ってやっぱ思いつかんな。テルモピレーだって300人だし。
これについてチャットgpt先生に聞いてみましたら、興味深い回答ですね。
以下
私の質問:
歴史的に 兵士が死ぬまで戦った戦闘ってあんま思い浮かばないんですけど、
古代ギリシアとペルシアのテルモピレーとか 対ローマのユダヤ戦争のマサダの戦いとかですかね。
これらは局地的散発的戦闘でしたが、組織的大規模に兵士が死ぬまで戦った特異な歴史上の出来事はやっぱ太平洋戦争時の日本兵の玉砕戦とかんがえていいでしょうかね
gpt先生の回答:
古代・中世の例
テルモピレーやマサダの戦いのように、局地的・散発的に「最後まで戦う」事例は歴史上多く見られます。たとえば、
カルタゴの滅亡戦(紀元前146年):ローマ軍に包囲されたカルタゴ市民・兵士は降伏を拒み、街が徹底的に破壊されるまで戦いました。
テウトブルク森の戦い(9年):ゲルマン部族がローマ軍を壊滅させ、敗れたローマ軍側もほぼ全滅しました。
マルタの大包囲戦(1565年):オスマン帝国がマルタを攻撃し、守備側の騎士団は徹底抗戦しました。
ただし、これらは「最後まで戦った」例ではあるものの、全員が死ぬまで戦うことが前提になっていたわけではありません。
太平洋戦争の日本軍の玉砕戦の特異性
玉砕戦が特異なのは、戦略的に勝利の見込みがないと分かっていても、組織として徹底的に戦い、降伏せずに死ぬことが規範化された点にあります。例えば、
アッツ島の戦い(1943年):ほぼ全滅(約2,650人中、生存者は28人)
サイパンの戦い(1944年):民間人も含めて集団自決が発生
硫黄島の戦い(1945年):栗林忠道中将の指揮下で、持久戦を展開し、22,000人以上が戦死
沖縄戦(1945年):軍民あわせて死者数が圧倒的
これは、武士道や大日本帝国のイデオロギー、さらには戦時体制の影響によるものです。戦争終盤には「降伏=恥」という考えが徹底され、玉砕が組織的に奨励されました。
比較対象となる事例
ロシア・ナポレオン戦争(1812年)やスターリングラード攻防戦(1942-43年):死守戦は行われたが、降伏や撤退も考慮されていた。
モンゴルの都市殲滅戦(13世紀):住民虐殺はあったが、戦闘員全員が死ぬまで戦ったわけではない。
結論
太平洋戦争における日本軍の玉砕戦は、戦術的な合理性を超えて「死ぬまで戦う」ことが組織的に徹底された点で、歴史上の他の戦闘とは一線を画す特異な例と言えるでしょう。
*やっぱなぁ。
これ以外に知られてないでしょうけど 本来じっくり考察して自分の人生設計の前提として知っておかねばならない事実だと思いますね。まあGHQがこういう実態がわからなくなるように巧妙に隠蔽し研究不可能にしている分野であるということですよ。
まあ、今後も考え続けようと思いますね。この件に関しては。何よりわれわれの「性エネルギー昇華秘法」実践に資すると痛切に感じますからね。たんなる軍国天皇カルトの殉教マータダムとは考えられないんだよなぁ。やっぱ。これを肯定的に評価すれば「性エネルギー昇華秘法」は一挙に成功可能性が高まると確信しますね。総計何十万の玉砕戦を 単純に 殉教とはかたずけられんということですね。少なくとも つい80年前の先祖のこの血みどろの戦闘は 人の礼儀として忘れていいもんじゃない ってことだと思いますね。単なる玉砕の美化じゃないですね。2600年のひのもとメカミの文明の総決算として 人類史上例を見ないほどの極限までの戦闘を為したニホンドジンの現象というのは たんに天皇カルトの被洗脳者の殉教現象というのを超えてですね、2600年の蓄積が為せたわざだとただただ畏敬の念をもって認識せざるを得んのですね。よくもわるくもメカミの国土を守るために食うや食わずで血みどろの戦いを為した先輩たちには感謝の気持ちしかない、となるわけです。この素朴な感情をもって玉砕の美化といっていいんですか?ってことですよ。礼儀の問題ですね。人としてのですね。
日女メカミのシマの日の本ドジンのマルス サムライと評価するしかねー、火子ヒコ 日子ヒコ 達の3000年の歴史の総決算としての太陽神のカミシバイ神劇だということですね。
「 吊るされた男 」を肯定した者だけが性エネルギー昇華が実践できる
20190309記事
サーティンキュー師匠言説メモと感想
<真の優生思想でいこう。666とは劣生思想である=民主主義、法華経>
・性エネルギー昇華秘法を実践できる者は「 時の思想的なトップの者のみ 」である。
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六波羅蜜主義にして 女神主義のマルス サムライとなろうということです。思想的なトップって、女神崇拝=太陽崇拝でしょう。
<試金石 ヒトラーおよびナチスと 日本軍兵士 特に硫黄島戦 沖縄戦の兵士 1945に切支丹国家米軍との死闘を演じたマルスたち>
・間違った思想を魂(内なる太陽神)は認めない。
・単純に言えば「 ヒトラーを大悪人だと思っている者は性エネルギー昇華に失敗する 」と鷲は思っている。クリスチャンノーシスの頃は性エネルギー昇華に失敗して、ヒトラーを認めてから性エネルギー昇華ができるように鷲はなった。ヒトラーが「 吊るされた男 」だと分かったのである。
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ヒトラーおよびナチスは 吊るされた男 タロット12番であります。
同様に 1945の硫黄島戦 沖縄戦の兵士たちは タロット12番であります。
<娑婆世界 穢土 黙示録の獣>
・世界中が大悪人だと思っているヒトラーこそが「 太陽の子を誕生させた者 」であると考え確信した。そしてカミュの「 異邦人 」のテーマも分かったのである。「 吊るされた男であるヒトラーを理解できない者は何もわからないシックス 」の存在である。
<性エネルギー昇華秘法の実践と深化に タロット12番のマルスの崇拝は想像以上に重要である>
・性エネルギー昇華秘法を毎日しない男は太陽神から嫌われる。つまりすべての存在から嫌われる!ということ。
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たとえ人類80憶の英雄となったところで 太陽神あるいは女神から嫌われては何の意味もないということです。つまり、たとえ80億全てが敵になろうとも、太陽神あるいは女神メカミに愛されるなら そちらをとるということであります。その覚悟が われわれ「性エネルギー昇華秘法」実践者の覚悟であります
蘇民将来依存也 われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者なり
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい