8月11日
20260811火曜日旧暦6月29日仏滅(54番丁巳ひのとみテイシ)月齢 27.7
43番丙午ひのえうま年 32番乙未きのとひつじ月 54番丁巳ひのとみ日
吉方位 隠遁日 丁巳ひのとみ日 東 大吉 年末まであと142日
https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8811%E6%97%A5
8月11日の出来事
1492年 – 初のコンクラーヴェによりアレクサンデル6世がローマ教皇に選出[2]。
1711年 – スペイン継承戦争: スペインの財宝艦隊(インディアス艦隊)戦艦 サン・ホアキンの拿捕
戦争:スペイン継承戦争
年月日:1711年8月11日
場所:カルタヘナ・デ・インディアス沖、ボカ・チカ海峡(Boca Chica)
結果:グレートブリテン王国の勝利
損害 英国 死傷7人 スペイン 死傷150人 捕虜450人。
1965年 – トルコでヘンデクバス事故が発生。25人死亡。
1945年-沖縄戦8月11日・日本政府の対外情報発信を担う「同盟通信社」が8月10日、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。翌11日のアメリカ新聞各紙には「日本、降伏受け入れ」の活字が大きく踊った。連合国は歓喜に沸いた。しかしこのニュースは、日本国民には伏せられた。<【戦後70年】日本国内で伏せられた降伏 1945年8月11日はこんな日だった | ハフポスト>・「断乎神州護持の聖戦を戦い抜かんのみ。たとえ草を喰み土を囓り野に付するとも、断じて戦うところ死中自ら活あるを信ず」
朝日新聞社内では、若手を中心に「阿南陸相の訓示を没にすべきだ」という意見が上がり、大激論になったという。 「政府がすでに宣言受諾に決定し、連合国に通告という段階で、徹底抗戦の陸相訓示を掲載するのは誤りだ。もしこの報道によって、さらに原爆が投下されることになったらどうするか」(部員・団野信夫ら)
「載せたいと思う。この際の新聞の使命は、国全体がスムーズに終戦になるような役割を果すことで、急激に紙面の調子を変えることは、かえって思わぬ刺激を軍や世間に与えて、国内動乱などを引き起こさぬとも限らぬ」(政経部長・長谷部忠)<【戦後70年】日本国内で伏せられた降伏 1945年8月11日はこんな日だった | ハフポスト>・島に暮らす栄ヤエさん(96)は隊員たちと交流があり、實さんのことを覚えていた。自宅は兵舎の近くにあり、實さんはヤギを見るのを楽しみに毎日のように半袖シャツ姿で訪れた。稲刈りを手伝い、生家 (京都伏見区) での農作業の様子を伝えた。柔らかな物言いで妹の話をしきりにしていたという。8月11日、出撃命令が下る。實さんら隊員は1人ずつ計5機で出撃。家の外で見送った栄さんの上空で、何度も左右の翼を上下に振るゼロ戦が1機あった。「優しい顔をしていてね、男前だった」と栄さんは、照れるように笑った。同史料館の説明では、出撃した5機のうち3機は機体の不具合で引き返し、實さんらの2機がそれぞれ500キロの爆弾を積んで敵艦に向かった。日没45分後の午後7時50分、實さんは「我敵空母に必中突入中」と打電した後、消息を絶った。突入したのは後に、空母ではなく揚陸艦とみられることが分かった。《「「俺は先に行く、弟に宛てた手紙 終戦2日前にゼロ戦で突入」19歳特攻隊員」京都新聞 2020年8月11日》・翌日、まだ興奮していた兵士たちは、前夜の早すぎる祝賀会のあいだにも、6人が死亡、30人が負傷したこと、そして戦争がまだ続いていることを知って驚いた。<第87海軍建設大隊 (87th NCB) – Basically Okinawa>・八原参謀の回想:
私は心中深く脱走を期しつつ、表面は何食わぬ顔で皆と接触していた。苦しい日々であったが、間もなく驚天動地の大事件が相ついで勃発した。広島、ついで長崎に原爆投下、ソ連の参戦、皆機を逸せずアメリカ第10軍の機関紙『バックナー』が報じた。さらに10日同紙は日本が皇位の問題を除いて無条件降伏を申し込んだ旨、大々的に報じた。ラモット中尉、それに衛兵たちは狂喜した。この夜沖縄全島に亘り銃砲声が鳴り響いた。欣喜雀躍したアメリカ軍が祝砲のつもりでめちゃくちゃに乱射乱撃したのである。「ホームタウン」「故郷の町」の歓声が銃砲声の間に間に絶えなかった。私は、祖国日本とその指導層が音もなく崩壊するさまを想像した。もう本土決戦に参加する必要はなくなった。《「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通/中公文庫) 481頁より》・石垣島 大浜村立青年学校の校長の証言
わたしも、戦争が終る前まで、日本国の神州不滅論を生徒にとうとうと説き、励げましていました。そうしたら二、三日で終戦となりました。あの時の気持は複雑怪奇で自分でどう整理していいかわからない状態でした。今考えると恥しい、おかしい話ですが、ほんとにそう思っておりました。
終戦となり、もう一度教職に就こうとは思いませんでした。軍隊の手先となり、若い青年をだまして二度と教地に立つことができるのかと毎日良心の呵責をうけ、とうとう教員をやめることにしました。今は農業をしていますが、あの成長盛りに十分栄養もとらされることなく、炎天下でツルハシをふらされ、飛行場つくりに一生懸命になり、日本国の神州不滅を信じ、牛馬のように働かされた青年たちに、何とわびをしてよいやら、わびのしようもありません。いくら過ぎ去ったこととはいえ二度とあの悲惨な戦争をおこしてはならないと思います。
教育は人を殺すことも出来るし、また人々を愛させることも出来るものだと、今つくづくそう思います。どうかこれからの教育者は科学的真理に基づき真の歴史を教えてもらいたいと思います。そしてほんとうに平和を求める青少年を勇気をもって育ててほしいと思います。<青年学校生徒の白保飛行場建設『沖縄県史』9-10巻 戦争証言 八重山 ( 1 ) – Battle of Okinawa>
*すべては愚。日にちのズレで特攻の価値が下がるか!神州不滅の理解が文言表層顕教というだけのこと。故に「二度と戦争を起こしてはならない」「平和教育を」とかの膨大な人命の死を前にしても学びの「ない」顕教ロゴスの返還で事足れりの愚かな反省の言をのべ のうのうと 1945以後反省のふりをしつつ根底から一切の反省のない顕教ロゴスの書換に狂奔した=コトバだけの書換でことたれりとする「戦後の書換」がすすみ現代へ至ったのだ。終戦を寿ぎ熱狂する群衆の姿は人類史4000年の愚行の現象が如実に表れているだけの事。重要なのは水面表面深くの実相のみ。
1977年 – 山梨県の昇仙峡で観光バスが転落。死者11人、重軽傷者35人[13]。
1965年 – ロサンゼルスでワッツ暴動起こる。
暴動が続いた6日間で死者34人・負傷者1,032人を出し[5]、逮捕者は約4,000名
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1492年 – 初のコンクラーヴェによりアレクサンデル6世がローマ教皇に選出[2]。
アレクサンデル6世(アレクサンデル6せい、Alexander Ⅵ、1431年1月1日 – 1503年8月18日)は、15世紀のローマ教皇(在位:1492年 – 1503年)。
本名はロデリク・ランソル(Roderic Lanzol)であるが、母方の伯父であるカリストゥス3世の教皇就任に伴って、母方の苗字であるボルハ(ボルジャ、Borja)に変えたため、ロデリク・ボルハのイタリア語読みであるロドリーゴ・ボルジア(Rodrigo Borgia)[注釈 1]の名前で知られることになる。
ルネサンス期の世俗化した教皇の代表的存在であり、好色さ、強欲さやジロラモ・サヴォナローラとの対立によっても非難されることが多い。また、息子のチェーザレ・ボルジアを右腕とし、一族の繁栄とローマ教皇庁の軍事的自立に精力を注いだことで、イタリアを戦火に投じることになった。
1711年 – スペイン継承戦争: スペインの財宝艦隊(インディアス艦隊)戦艦 サン・ホアキンの拿捕
戦争:スペイン継承戦争
年月日:1711年8月11日
場所:カルタヘナ・デ・インディアス沖、ボカ・チカ海峡(Boca Chica)
結果:グレートブリテン王国の勝利
損害 英国 死傷7人 スペイン 死傷150人 捕虜450人。
サン・ホアキンの拿捕(サン・ホアキンのだほ、英語: Capture of the San Joaquin)、またはカルタヘナの海戦(カルタヘナのかいせん、英語: Battle of Cartagena)はスペイン継承戦争中の1711年8月11日、カルタヘナ・デ・インディアス沖(現コロンビア領)で行われた海戦。イギリスの戦列艦5隻とスペインのガレオン1隻と小型船1隻が戦闘に参加した。1時間を満たない戦闘の後、スペイン船が降伏した。スペインのガレオンは3年前のウェージャーの海戦に参加しており、そのときはあと少しのところで逃げおおせたのだった。
インディアス艦隊(インディアスかんたい、スペイン語: Flota de Indias)は、スペイン帝国が植民地と本土を結ぶために、1566年から1790年まで採用した輸送システムである。農産物、材木、工具などの工業製品、種々の金属、日用品、香辛料、砂糖、タバコ、絹や有名な金、銀、宝石、真珠などの財宝、珍重品などが大陸からスペイン本土へ運ばれた。その逆に移民は本土から大陸へ運ばれた。イギリスでは「スペイン財宝艦隊」(英: Spanish treasure fleet)と呼んだ。
1945年-沖縄戦8月11日・日本政府の対外情報発信を担う「同盟通信社」が8月10日、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。翌11日のアメリカ新聞各紙には「日本、降伏受け入れ」の活字が大きく踊った。連合国は歓喜に沸いた。しかしこのニュースは、日本国民には伏せられた。<【戦後70年】日本国内で伏せられた降伏 1945年8月11日はこんな日だった | ハフポスト>・「断乎神州護持の聖戦を戦い抜かんのみ。たとえ草を喰み土を囓り野に付するとも、断じて戦うところ死中自ら活あるを信ず」
朝日新聞社内では、若手を中心に「阿南陸相の訓示を没にすべきだ」という意見が上がり、大激論になったという。 「政府がすでに宣言受諾に決定し、連合国に通告という段階で、徹底抗戦の陸相訓示を掲載するのは誤りだ。もしこの報道によって、さらに原爆が投下されることになったらどうするか」(部員・団野信夫ら)
「載せたいと思う。この際の新聞の使命は、国全体がスムーズに終戦になるような役割を果すことで、急激に紙面の調子を変えることは、かえって思わぬ刺激を軍や世間に与えて、国内動乱などを引き起こさぬとも限らぬ」(政経部長・長谷部忠)<【戦後70年】日本国内で伏せられた降伏 1945年8月11日はこんな日だった | ハフポスト>・島に暮らす栄ヤエさん(96)は隊員たちと交流があり、實さんのことを覚えていた。自宅は兵舎の近くにあり、實さんはヤギを見るのを楽しみに毎日のように半袖シャツ姿で訪れた。稲刈りを手伝い、生家 (京都伏見区) での農作業の様子を伝えた。柔らかな物言いで妹の話をしきりにしていたという。8月11日、出撃命令が下る。實さんら隊員は1人ずつ計5機で出撃。家の外で見送った栄さんの上空で、何度も左右の翼を上下に振るゼロ戦が1機あった。「優しい顔をしていてね、男前だった」と栄さんは、照れるように笑った。同史料館の説明では、出撃した5機のうち3機は機体の不具合で引き返し、實さんらの2機がそれぞれ500キロの爆弾を積んで敵艦に向かった。日没45分後の午後7時50分、實さんは「我敵空母に必中突入中」と打電した後、消息を絶った。突入したのは後に、空母ではなく揚陸艦とみられることが分かった。《「「俺は先に行く、弟に宛てた手紙 終戦2日前にゼロ戦で突入」19歳特攻隊員」京都新聞 2020年8月11日》・翌日、まだ興奮していた兵士たちは、前夜の早すぎる祝賀会のあいだにも、6人が死亡、30人が負傷したこと、そして戦争がまだ続いていることを知って驚いた。<第87海軍建設大隊 (87th NCB) – Basically Okinawa>・八原参謀の回想:
私は心中深く脱走を期しつつ、表面は何食わぬ顔で皆と接触していた。苦しい日々であったが、間もなく驚天動地の大事件が相ついで勃発した。広島、ついで長崎に原爆投下、ソ連の参戦、皆機を逸せずアメリカ第10軍の機関紙『バックナー』が報じた。さらに10日同紙は日本が皇位の問題を除いて無条件降伏を申し込んだ旨、大々的に報じた。ラモット中尉、それに衛兵たちは狂喜した。この夜沖縄全島に亘り銃砲声が鳴り響いた。欣喜雀躍したアメリカ軍が祝砲のつもりでめちゃくちゃに乱射乱撃したのである。「ホームタウン」「故郷の町」の歓声が銃砲声の間に間に絶えなかった。私は、祖国日本とその指導層が音もなく崩壊するさまを想像した。もう本土決戦に参加する必要はなくなった。《「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通/中公文庫) 481頁より》・石垣島 大浜村立青年学校の校長の証言
わたしも、戦争が終る前まで、日本国の神州不滅論を生徒にとうとうと説き、励げましていました。そうしたら二、三日で終戦となりました。あの時の気持は複雑怪奇で自分でどう整理していいかわからない状態でした。今考えると恥しい、おかしい話ですが、ほんとにそう思っておりました。
終戦となり、もう一度教職に就こうとは思いませんでした。軍隊の手先となり、若い青年をだまして二度と教地に立つことができるのかと毎日良心の呵責をうけ、とうとう教員をやめることにしました。今は農業をしていますが、あの成長盛りに十分栄養もとらされることなく、炎天下でツルハシをふらされ、飛行場つくりに一生懸命になり、日本国の神州不滅を信じ、牛馬のように働かされた青年たちに、何とわびをしてよいやら、わびのしようもありません。いくら過ぎ去ったこととはいえ二度とあの悲惨な戦争をおこしてはならないと思います。
教育は人を殺すことも出来るし、また人々を愛させることも出来るものだと、今つくづくそう思います。どうかこれからの教育者は科学的真理に基づき真の歴史を教えてもらいたいと思います。そしてほんとうに平和を求める青少年を勇気をもって育ててほしいと思います。<青年学校生徒の白保飛行場建設『沖縄県史』9-10巻 戦争証言 八重山 ( 1 ) – Battle of Okinawa>
*すべては愚。日にちのズレで特攻の価値が下がるか!神州不滅の理解が文言表層顕教というだけのこと。故に「二度と戦争を起こしてはならない」「平和教育を」とかの膨大な人命の死を前にしても学びの「ない」顕教ロゴスの返還で事足れりの愚かな反省の言をのべ のうのうと 1945以後反省のふりをしつつ根底から一切の反省のない顕教ロゴスの書換に狂奔した=コトバだけの書換でことたれりとする「戦後の書換」がすすみ現代へ至ったのだ。
1965年 – トルコでヘンデクバス事故が発生。25人死亡。
1977年 – 山梨県の昇仙峡で観光バスが転落。死者11人、重軽傷者35人[13]。
1965年 – ロサンゼルスでワッツ暴動起こる。
暴動が続いた6日間で死者34人・負傷者1,032人を出し[5]、逮捕者は約4,000名
ワッツ暴動(ワッツぼうどう、Watts Riots)とは、1965年8月11日から8月17日にかけてアメリカ合衆国のワッツ市(カリフォルニア州、現在はロサンゼルス市に吸収)で発生した暴動事件。
暴動の経緯
警察が暴動中に男を逮捕している様子
白人のハイウェイ・パトロールが、道路上を蛇行運転していた黒人男性マーケット・フライ(21)を尋問。尋問した途端に周囲の黒人が集まって来て、検挙の一部始終を見守った。結局、ハイウェイ・パトロールは運転していた当人と弟・母親を逮捕。黒人コミュニティの住人は、フライが乱暴に扱われ、警官が妊娠中の女性を蹴飛ばしたという噂を流した[3][4]。これを切っ掛けに暴動が発生し、警察官の襲撃から市街地における集団略奪や放火へ発展。州兵を投入して鎮圧する事態にまで及んだが、暴動が続いた6日間で死者34人・負傷者1,032人を出し[5]、逮捕者は約4,000名にも及び、損害額は3,500万ドルにまで上った。
チャットgpt先生の8月11日のエッセイ
8月11日を、暦や道徳評価を排し、「権力・情報・暴力・秩序」の構造として見ると、個々の事件はかなり共通したパターンを示します。
8月11日の構造
① 権力の確定(1492年 教皇アレクサンデル6世)
コンクラーヴェは単なる宗教行事ではなく、
「正統性を誰が独占するか」
を決める制度です。
アレクサンデル6世は
- 血縁
- 利権
- 軍事
- 金融
を一体化し、
「宗教権威を政治権力へ変換する」
ことに成功しました。
つまり
正統性市場の制圧
です。
② 財の流れの制圧(1711年 サン・ホアキン拿捕)
ここで重要なのは戦艦ではなく
物流
です。
インディアス艦隊とは
世界最大級のサプライチェーン
でした。
英国は
財宝を奪ったというより
帝国のキャッシュフローを止めた
わけです。
近代戦争では
都市を取るより
物流を切る方が効率的になります。
③ 情報と現実の分離(1945年8月11日)
あなたが大量に引用している部分で最も重要なのは
日本は降伏意思を海外へ発信している
一方で
国内では
徹底抗戦言説が維持されることです。
つまり
現実は一つでも
情報空間は二つ存在していました。
海外
「日本は降伏する」
国内
「まだ戦う」
この情報非対称が、
8月11日の本質です。
④ 組織は一瞬では止まらない
特攻出撃
沖縄
祝砲
各地の混乱
これは
政治決定より
組織慣性の方が強い例です。
国家が
停止命令を出しても
数百万の組織は
即停止しません。
巨大組織には
慣性
があります。
⑤ 言説は後から再編される
あなたが最後に述べている
戦後の書換
という視点を、
より構造化すると
戦争終了後には
必ず
新しい統治言語
が形成されます。
勝者・敗者を問わず
国家は
過去を整理し
新しい正統性を作ります。
これは
国家運営上ほぼ避けられない現象です。
ただし、その内容や評価については立場によって大きく異なります。
⑥ 暴動(ワッツ)
暴動は
「怒った群衆」
ではなく
構造的には
統治能力が一定期間失われた都市
です。
最初は一人の検挙でも
情報が増幅し
行政能力が限界を超えると
都市機能が崩壊します。
その後は
略奪
放火
自治
軍投入
という段階へ移ります。
つまり
暴動とは
秩序の空白を巡る現象
です。
⑦ バス事故
一見異質ですが
構造は同じです。
観光
大量輸送
道路
人員
という
複数システムが
一つでも破綻すると
死傷者が急増します。
これは
システム事故です。
共通構造
8月11日に並ぶ出来事を抽象化すると、
| 構造 | 事例 |
| 正統性の確定 | 教皇選出 |
| 資源・物流の制圧 | サン・ホアキン拿捕 |
| 情報空間の分離 | 日本降伏報道 |
| 組織慣性 | 特攻・終戦直前の軍事行動 |
| 統治言語の再編 | 戦後の新たな語りの形成 |
| 統治能力の空白 | ワッツ暴動 |
| システム破綻 | 観光バス事故 |
この観点では、8月11日に挙げられた出来事はジャンルこそ異なるものの、いずれも**「秩序が確立・揺らぎ・再編される局面」**として捉えることができます。宗教、帝国、戦争、都市、交通という対象は異なっていても、背後では「正統性・資源・情報・組織・統治」という基本構造が繰り返し現れています。

