人間の生きる目的とは【魂の卍(まんじ)と意識の合体】である!
師曰く
法華経とは「霊鷲山」と「虚空」からの釈迦の説法であるが、それは太陽神を釈迦としたわけで、頭上から太陽神(目玉親父)が鬼太郎に説法するわけだが、その教えを「妙法蓮華経」と云うわけで、書物・経典を指して「妙法蓮華経」というわけではなくて、常に頭上に存在する太陽神の「ライブの説法を妙法蓮華経」ということ。天台大師の五時八教では「法華・涅槃」は最終的な教えの位置になっているのは、太陽神が常に頭上に居る形になるまでが難しいからである。性的退廃者たちはけしてこの「形」にはなれない。
*考察
師匠の言わんとする事 補足 考察させて頂きます。
第一に 性エネルギー昇華
第二に 其の上でホルスとなって頭上の太陽神の教えを常時受け取る。
故に法華経の釈迦をホルスの頭上に輝く太陽神ととらえて、法華経の利益無限の功徳、大世界観、宇宙観を本当に手に入れられる、となる。
天台五時八教論は ユダヤ的文献至上主義 法実証主義の性質をもつものですから、師匠のようなグノーシス的な解釈を必ずせねばなりません。確かに法華経という存在は超難問 難しい問題なのです。仏教じゃない!っていうくらいの異質なものがBC1世紀ころインドで良くも悪くも成立してしまい、これをどう、仏教徒として処理し、受け入れるかというのに心ある9の者はみな悩みぬいたんだと思います。
前にも言いましたが、法華経は単独で持つと【四散・放浪・差別・迫害・隔離・追放】の現象が歴史的にみても発生してます。天台智顗の隋王朝はすぐ滅亡、聖徳太子一族息子の代山城一族で全滅、平家納経の平家一族わずか20年足らずで滅亡 等々 これが法華一乗主義でこうですから、専修法華になるともう おそろしいほどの卐現象発生となります。旧約聖書と法華経は6殲滅の為に太陽神が人類に埋設したダイナマイトである、という理解で良いのかもしれません。
まあ、本来は如是我聞(わたしは仏陀の話を聞いた)という仏教の体裁だけを守ってつくられた、実質 ユダヤ文書であります。法華経は。理由は①釈迦が 現在過去未来にわたって存在し続ける永遠の存在。いつでも存在する救世主として登場してくる。➁法華経の大聴衆に救世主としての奇跡を演出するためにインド霊鷲山から次元移動し宇宙空間での壮大な演説になる。3はっきりいって人間賛歌 無条件の6の肯定。一切衆生がすべて仏陀になれる種がある(詐欺なのは、種があるだけで、現在仏陀なれるとはいっていない)。」4男尊女卑 。竜女成仏は 変成男子の成仏つまりチンポコが生えて成仏で女の身のままでの成仏でない。等々 けど、過去仏教はこんな甘いことは一切言ってこなかった。過去の仏法はそれなりの修行が必要と説いてきた。これに対し、法華経での釈迦は「信じる者は必ず(いつか)救われる」と説いた。いままでの仏教説はすべて仮の教えで嘘だった。この法華経が釈迦のホントにいいたかったこと、といって、じゃ修行は?信じよ!ただこの法華経を受持読誦せよ広めるだけ!ただしそれにはスゲ-迫害がある、しかしそれに耐えて受持読誦し広めれば、場合によって死んで殉教しても広めれば(いつか—ここが詐欺)仏陀になれる。(なんじゃそれカルトの教えそのものじゃん)
現代風に言えば、絶対民主主義・共産主義的パラダイスのお約束–絶対的なありのままの衆生6の肯定。信じて、広めたら、仏陀になれる。現世利益もある。—これがありのままの法華経の真実でしょう。
これが、発祥の地インドでは 当然受け入れられなかった。んな、うめ-はなしがあるわけね-だろ!ってヴェーダンダ哲学のまともな反応だったんでしょう。インドでは。これが漢訳されて、文学的 哲学的装飾、理論と抱き合わせで我が国に入ってきた。特に鳩摩羅什訳は最も美しく、完成されたものとして輸入されてきた。鳩摩羅什本人の意図的な添加や編の並べ替えがたくさんされて。舶来の最新の哲学・仏教として。まあ、マルクスレ-ニン主義の明治以降の輸入とおんなじ反応ですよ。インテリが飛びついた。
んで、この文言解釈表面通りに厳密にやって 哲学展開までして、一宗作り上げたのが最澄伝教です。
ここで、グノ-シス的大転換、災い転じて福となす、毒を薬と転換する、という大操作を成したのが、真言の空海と天台3代座主の円仁です。まあ、簡単に言うと 女神の力で、法華経の釈迦を太陽神としてこれに合一し、法華経を信じた仏教界から太陽の子 黄金の子が生まれるシステムを作り上げたのです。まあ、仏教界の制度的 性エネルギ-昇華秘法の現実化ですね。これが、真言密教の力、女神の力です。これにより、法華経という猛毒の経典が 師匠が言われるように、太陽神の光に照らされて強力な卍の経典に生まれ変わったのです。つまりは、法華経の本来有名無実だった種々のご利益は太陽の子 ホルスのために約束されるご利益となります。
それで、この流れで、中世、近世、幕末まで、空海の東密が宇宙の母—稲荷・吒枳尼の守護を行い、円仁の台密が宇宙の父—牛頭天王・須佐之雄の守護を行って、日本国の父太陽神と母月の女神のまもりが作られてきた、と。
結局、 これら全体の流れをグノ-シス的にあっさりいうと 師匠の言われるように
真言 空海と天台 最澄が ふたつそろって日本仏教はひとつなのだ、ということもできます。
ただ、単独法華経がいかに危険なものかは重々知っておかねばならないし、この毒が薬に代わった歴史はグノ-シス的に見ても重大な示唆があるとみるべきでしょう。
この東密 台密のながれに激越に反抗して、単独法華 原理主義の道を貫いたのが日蓮です。なぜ、日蓮の関係者がユダヤ的にみえるのか 私もここしばらくの思索の中心はこれだったのですが、だいぶん頭が整理されてきました。法華原理主義はもろ旧約聖書+カルト路線なのであります。もともと法華経という経典が 仏教の皮を被った聖書だからです。①救世主主義➁殉教主義③圧倒的現世肯定6肯定—これは聖書要素ではなく近代ヨーロッパ人権思想の先取りです。だから法華経は6に大人気なのです。昔から。要は法華経という経典は グーとチョキ両方を満たし備えたアイテム 太陽神の卐の面が人類に与えたアイテムだと思います。こんな代物でも、女神の力でクスリと転換できる。これがわれわれの見出す活路だと思います。
同じように 旧約聖書 ユダヤ的なものそのものも、 女神の力でクスリに転換できる余地があるのかもしれません。今は漠然と思っているだけですが、ここにユダヤの猛威の現代の希望の光があるのかもしれません。ヨーロッパ史の実例でも、聖母マリア信仰は ユダヤ・キリスト教の猛毒卐を緩和 するカウンタ-ブロウだったのだと思います。
*追加補足
天台智顗と伝教最澄の 法華経毒の緩和手法は止観行ですね。師匠言われる通りです。
性エネルギ-昇華秘法のテクニックの先駆です。しかし、師匠とミゲルネリの関係と同じく
真言観想=父+母の合一→大日との合一=師匠の性エネルギ-昇華秘法
ミゲルネリ観想=キリスト教+テクニックのみの観想 と同じように
天台の摩訶止観観想は ただ十如是 本末究境等から出た 一念三千の己心=大宇宙を観想ですから、これ最後は気が狂うと思います。女神なしの神曲地獄めぐりだからです。けど、女神と共にある性エネルギ-昇華秘法の先駆として 天台の摩訶止観はそれなりの使命はありました。これがダメだったから、その弟子たちが 種々いろいろ考案したんですね。
道元 =法華経による坐禅 または 単純坐禅 これダメ
法然 親鸞 =念仏 それなり 阿弥陀はある意味女神
日蓮 =題目 気が狂う ぱ-になる
といろいろ考えて 解決目指しましたけど全部失敗してますね。成功したのは結局 東密→真言立川流のながれですね。師匠言われるように 鎌倉中期から近世前までかなり隆盛したのだと思います。しかし、真言立川流も基本は 独身者性エネルギ-昇華 だと思います。
いや文献に現れてないけど個人的に女神を止観に見出して9になった者もじつは多かったのかも。きっとそうです。無名の蘇民将来 浦島太郎がいつの時代にもいる のでしょう。実はこれが大事
昨日は、日中 仕事しながら、こんなことを漠然と考えていました(仕事に手抜きはね-っすよ 肉体労働だから手抜きすると怪我するし)。
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい