9月11日
20230911月曜日 旧暦7月27日 先負 壬申みずのえさる ジンシン 二百二十日
月齢 25.7
年末まであと111日
1297年 – スコットランド独立戦争: スターリング・ブリッジの戦い。
1498年(明応7年8月25日) – 明応地震発生。
1649年 – クロムウェルのアイルランド侵略: ドロヘダ攻城戦。
1656年 – エルビング条約締結。
1697年 – 大トルコ戦争: ゼンタの戦い。
1714年 – スペイン帝国の攻撃によりバルセロナ陥落。バルセロナ包囲戦が終了。
1777年 – アメリカ独立戦争: ブランディワインの戦い。
1814年 – 米英戦争: プラッツバーグの戦いが米軍の勝利で終結。
1905年 – 戦艦三笠が佐世保港内で弾薬庫の爆発事故により沈没。339人が死亡。
2001年 – アメリカ同時多発テロ事件発生。
アメリカ同時多発テロ事件(アメリカどうじたはつテロじけん、英: September 11 attacks)は、2001年9月11日(火)の朝にイスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃[4][5][6]。9.11事件(きゅういちいちじけん)と呼称される場合もある[7]。
一連の攻撃で、日本人24人を含む2,977人が死亡[8]、25,000人以上が負傷し、少なくとも100億ドルのインフラ被害・物的損害に加えて、長期にわたる健康被害が発生した[9][10]。アメリカの歴史上、最も多くの消防士および法執行官が死亡した事件であり、殉職者はそれぞれ343人と72人だった[11]。また、この事件を契機としてアフガニスタン紛争 (2001年-2021年)が勃発し、世界中でテロ対策が強化された。
事件の影響
アメリカ同時多発テロは、アメリカ合衆国の政治、そして冷戦後の国際社会の大きな転換点となった。アメリカ同時多発テロ事件が勃発する前には、20世紀の「アメリカ合衆国国民の記憶に残る日」は、1963年11月22日のジョン・F・ケネディ暗殺事件、あるいは1941年12月7日の大日本帝国海軍による真珠湾攻撃であった。これらに代わってアメリカ国民は、この2001年9月11日をテロの脅威と共に永遠に記憶にとどめることになった。
「ネオコンの代表的人物」とされる大統領ジョージ・W・ブッシュと国防副長官ポール・ウォルフォウィッツ
ブッシュとサウジアラビアのアブドラ皇太子(当時)
アメリカ同時多発テロは、「外国がアメリカ本土を襲撃した事件」として、「真珠湾攻撃」と度々対比されている。真珠湾攻撃は日本の正規軍が軍事行動としてアメリカ本土ではなくハワイのアメリカ軍基地を攻撃したケースであったが、アメリカ同時多発テロはアメリカ本土が襲撃された事件という意味でも衝撃的な大事件ともなった(なお1942年には日本海軍機がアメリカ本土を数回爆撃している)。しかも、真珠湾攻撃とアメリカ同時多発テロ事件は干支が同じ辛巳であり、「60年後の真珠湾攻撃」とも呼ばれた。2001年12月に開かれた真珠湾攻撃60周年のイベントでも、真珠湾攻撃とアメリカ同時多発テロ事件が一緒に言及された。
アメリカ合衆国国内の世論は急速に先鋭化・超国家主義化したと言われ、ネオコン(新保守主義)勢力が政治の世界で隆盛し、影響力を増大させた引き金ともなった。その後、アメリカ合衆国によるテロ支援国家への攻撃には国民の大半が賛同した。議会でも野党民主党が共和党のタカ派路線を容認する動きが目立った。事件直後、ブッシュ政権がアメリカ同時多発テロ事件へのイラクの関与をほのめかし、過剰なマスコミ報道によりそれが増幅された為に国民の間にイラクとサッダーム・フセインに対する敵意が増大し、2年後のイラク戦争の呼び水となったと言われる。その後、独立調査委員会の調査でイラクの関与が否定され、ブッシュ大統領自身もそれを認めたにもかかわらず、2005年3月の世論調査では、米国民の約60%が「イラクはアルカーイダを支援していたと思う」と答えている。
一方、他の国ではアメリカ合衆国の方針に対して世論が二つに割れた。親米的な意見(アメリカ合衆国の主張)としては、これを基に世界中の独裁国家の自由民主化を進めるべきだという意見などがある。特にブッシュ大統領が悪の枢軸としたイラク・イラン・北朝鮮などで非自由民主的体制が猛威を振るっているとされる状況で、これを解決するべきだとの声もある。その後のアメリカ合衆国の対応を見ると、イラクやイランに対しては攻撃的な姿勢であるものの、表向き寧辺核施設無力化を受け入れた北朝鮮、大量破壊兵器を放棄したリビア、同盟国のサウジアラビアに対しては穏和な姿勢を持つなど、二重基準と批判する対応が目立つ。
反米反戦的な意見としては、「自由の国アメリカ」のシステムを国外に普及させることを使命とするネオコン勢力の拡大は、政府の好戦的姿勢に反対する意見を言えない雰囲気を作り出しているとする声もあり、リバタリアニズムなど反ネオコン陣営からの反発も高まっている上に、アメリカ合衆国国内でさえ破綻しかけているアメリカ合衆国的価値観・システムの押し売りであるという反発が多い。
このテロ事件を動機にして、アメリカ合衆国は国連協調を投げ棄てて一国独走主義の時代になったり、冷戦時代の米ソ対立の構図の残滓も消え、世界の軸は無類の超大国一国によって動かされる(ジョン・ボルトンの国連軽視発言)時代になったとする意見もあり、これを「アメリカ帝国」と表現するアントニオ・ネグリ、マイケル・ハートのような思想家などもいる。
軍事面では、戦争をこれまでの「国家vs国家」から、「民間軍事組織vs国家」の構図として描く傾向が濃厚になった。
9月11日のエッセイ
9月11日: 変革と再定義の日
9月11日は、多くの国々の歴史において、変革と挑戦の日として知られています。しかし、2001年のアメリカ同時多発テロ事件が発生した後、この日は世界中で異なる意味を持つようになりました。
歴史的には、この日は数多くの重要な戦争や紛争、天然災害、そして政治的な出来事が発生した日として記憶されています。しかし、21世紀の最初の年に発生したアメリカ同時多発テロ事件は、国際関係、政治、そして社会全体の風景を変えました。
9.11事件の後、アメリカはその外交政策と国内政策を大きく変更しました。テロとの戦いはアメリカの外交政策の中心となり、多くの国々がその影響を受けました。これは、テロリズムという新しい形の戦争、そしてそれに対抗する新しい形の戦略に対応するためのものでした。また、国内ではアメリカ人の自由やプライバシー、そして安全という価値が再定義されました。
アメリカ同時多発テロ事件は、冷戦後の安定した国際環境を一変させました。それ以前の「国家vs国家」の構図は、「民間軍事組織vs国家」の新しい構図に取って代わられました。これにより、国家の役割や機能、そして国際関係の定義が変わりました。
しかし、この事件がもたらした最も深刻な影響は、恐怖と不信の増大でした。多くの国々がテロリズムという共通の敵に直面し、その対応に苦しんでいます。このような状況は、国際協力と連携をより一層必要とするとともに、個々の国々の安全保障と主権を再評価するきっかけとなりました。
9月11日は、変革と再定義の日として、私たちに多くの教訓を残しています。それは、過去の出来事から学び、未来に向かって前進するための日であるとともに、世界の平和と安定を求めるための日でもあります。私たちは、この日を通じて、国際社会としての連携と協力の重要性を再認識し、より良い未来を築くための努力を続けるべきです。