kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日1月1日   2024能登半島地震、ほか写真wikipedia輪島市朝市通り

1月1日

20260101木曜日旧暦11月13日大安(乙亥きのといイツガイ)月齢 12

乙巳きのとみ年 戊子つちのえね月 乙亥きのといイツガイ 年末まであと364日

吉方位 隠遁日 乙亥きのとい日

https://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%881%E6%97%A5

1月1日の出来事

キリスト教においては生後8日目のイエス・キリストが割礼と命名を受けた日として伝えられる[1]。

1873年 – 日本で太陽暦を採用。旧暦の明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日になる。

1946年 – 昭和天皇が戦後最初の年頭詔書「新日本建設に関する詔書」で自己の神格を否定(人間宣言)。
1949年 – 硫黄島の戦いの残留日本兵2人が米軍に投降。うち1人が自決。
1956年 – 弥彦神社事件。新潟県彌彦神社の新春餅まきに初詣客が殺到し、124人が圧死。
1959年 – 和歌山県高野町で初詣客を乗せた南海バスが県道から転落する事故。死者9人、重軽傷者38人[4]。
1961年 – 岩手県松尾村(現・八幡平市)の松尾鉱山小学校で、映画鑑賞会へ向かう小学生などが将棋倒しとなった。死亡10人、重軽傷者21人[5]。
1975年 – 青木湖バス転落事故: 長野県大町市の青木湖で、近くのホテルのスキー客送迎バスが湖に転落、24人が死亡。
1997年 – 名護市女子中学生拉致殺害事件の被害者が、沖縄県国頭郡国頭村の山中から白骨死体となって発見される。
2007年 – アダム航空574便墜落事故。102人死亡。
2016年 – イスラエル中部テルアビブ中心部にあるパブと付近のカフェで銃乱射が発生し、9人が死傷した[18]。
2024年 – 石川県能登地方を震央とするマグニチュード7.6の地震が発生し、石川県羽咋郡志賀町、輪島市で震度7を観測[22]。2011年の東日本大震災以来、13年ぶりに大津波警報が発表された[23]。この地震はあまりにも規模が大きかったため、後に気象庁によって「令和6年能登半島地震」という名称が付けられた。

死傷者数 死者 462人(うち災害関連死 235人)、行方不明者 3人、負傷者 1,336人(2024年11月26日14時時点、6月3日の余震による被害を含む)[16]

2025年 – アメリカ合衆国・ニューオーリンズでトラックで群衆に突入及び発砲する殺傷事件(ニューオーリンズ・トラック襲撃事件)が発生し、15名が死亡[25][26]。

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キリスト教においては生後8日目のイエス・キリストが割礼と命名を受けた日として伝えられる[1]。

1873年 – 日本で太陽暦を採用。旧暦の明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日になる。

1946年 – 昭和天皇が戦後最初の年頭詔書「新日本建設に関する詔書」で自己の神格を否定(人間宣言)。
1949年 – 硫黄島の戦いの残留日本兵2人が米軍に投降。うち1人が自決。
1956年 – 弥彦神社事件。新潟県彌彦神社の新春餅まきに初詣客が殺到し、124人が圧死。

彌彦事件(やひこじけん)[1]:124は、1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社(弥彦神社)拝殿前で初詣客が新年の餅撒きに殺到して発生した群集事故である[1]:125[2]。

翌1月1日午前0時20分頃[3]、この重さにより玉垣が崩壊し、支えを無くした参拝客が後ろから押し出されるように次々と高さ3mの石垣から転落[3]、折り重なるように倒れ込んだ。多くの警察官がバス駐車場の交通整理に割り振られて境内にいなかったこと[1]:125も事態に拍車をかけ、死者124人[3][1]:125・重軽傷者80人[1]:125を出す大惨事になった。明治以降最悪の群衆事故である。[要出典]

原因
「越後一宮」の異名を持つ弥彦神社は多くの人が初もうでに来ていたことに加え、大晦日から元日にかけて行われる二年参りという風習があり、もともと混雑しやすかった。 さらに、事故当時は雪のない元日であった上、前年は豊作で経済的に余裕のある家庭が多かった[3][1]:124。またバスなど公共交通機関が新潟県内でも大きく発達した時期で、近隣市町村のみならず遠方からの参拝者が増えていた。このためそれまで多い年でも2万人程度だった弥彦神社の参拝者が、約3万人と大幅に増加していた。

これに対して警備の警察官は前年よりも多い3個分隊36人であり、参詣人の繰り出す夜8時頃から神社周辺の警備にあたっていたが、その多くが交通整理に回っていた[1]:125。神社側は人出が増えることを事前に予測し、8基だった照明を12基に増やしていた[1]:124。

1959年 – 和歌山県高野町で初詣客を乗せた南海バスが県道から転落する事故。死者9人、重軽傷者38人[4]。
1961年 – 岩手県松尾村(現・八幡平市)の松尾鉱山小学校で、映画鑑賞会へ向かう小学生などが将棋倒しとなった。死亡10人、重軽傷者21人[5]。
1975年 – 青木湖バス転落事故: 長野県大町市の青木湖で、近くのホテルのスキー客送迎バスが湖に転落、24人が死亡。
1997年 – 名護市女子中学生拉致殺害事件の被害者が、沖縄県国頭郡国頭村の山中から白骨死体となって発見される。

2007年 – アダム航空574便墜落事故。102人死亡(全員)。
2016年 – イスラエル中部テルアビブ中心部にあるパブと付近のカフェで銃乱射が発生し、9人が死傷した[18]。
2024年 – 石川県能登地方を震央とするマグニチュード7.6の地震が発生し、石川県羽咋郡志賀町、輪島市で震度7を観測[22]。2011年の東日本大震災以来、13年ぶりに大津波警報が発表された[23]。この地震はあまりにも規模が大きかったため、後に気象庁によって「令和6年能登半島地震」という名称が付けられた。
死傷者数 死者 462人(うち災害関連死 235人)、行方不明者 3人、負傷者 1,336人(2024年11月26日14時時点、6月3日の余震による被害を含む)[16]

2025年 – アメリカ合衆国・ニューオーリンズでトラックで群衆に突入及び発砲する殺傷事件(ニューオーリンズ・トラック襲撃事件)が発生し、15名が死亡[25][26]。

ニューオーリンズ・トラック襲撃事件(ニューオーリンズ・トラックしゅうげきじけん)は、2025年1月1日3時15分(現地時間)に、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズのフレンチ・クオーターにあるバーボン・ストリートで発生したテロ事件である[1][2]。新年を迎えたばかりとあって賑わっていた通りにピックアップトラックが突入し、14人が死亡[3]、少なくとも35人が負傷した。

トラックが構造物に衝突して停止すると、容疑者は警察官に向かって銃を発砲し、銃撃戦の末に射殺された[3][2]。容疑者はテキサス州在住の退役軍人で、ヒューストンで不動産業に従事する男(当時42歳)で[4][2]、本人が事件前にFacebookにアップロードした動画では、昨年夏以前からイスラム国に参加していたと述べたほか、当初は親族や知人を標的とすることを計画していたが「信者と非信者の争い」に焦点を当てさせるために計画を変更したと語っているという[3]。また、現場付近の2か所にクーラーボックスに入れた爆弾を仕掛けており、容疑者はその起爆装置も所持していた[3]。

チャットgpt先生の1月1日のエッセイ


一月一日という境界線

一月一日は、始まりの象徴である。
暦が改まり、人々は「おめでとう」と言葉を交わし、未来に向けて小さな希望を結ぶ。しかしその同じ日付は、静かに、そして確かに、数多くの悲劇と記憶を内包している。

キリスト教ではこの日、誕生から八日目のイエスが命名され、人として共同体に迎え入れられた日とされる。名を与えられるとは、存在が社会と結ばれることだ。日本においても、1873年の1月1日、太陽暦の採用によって時間の流れそのものが一変した。暦は単なる数字ではなく、私たちの生き方を規定する枠組みなのだと、この日は教えてくれる。

だが一方で、一月一日は「祝祭の危うさ」を何度も露呈してきた。
弥彦神社事件に代表される群集事故、初詣や行楽の高揚のなかで起きた転落や将棋倒し。人々の「集う喜び」は、ほんのわずかな歪みで「押し合い、倒れ、奪われる命」へと変貌する。そこに悪意はなくとも、結果として多くの犠牲が生まれた。

さらに現代に近づくにつれ、災害と暴力はより無差別な形を帯びて現れる。
2024年の能登半島地震は、新年の朝という最も油断しやすい時間に、大地そのものが牙をむいた例だった。2025年のニューオーリンズの事件では、「祝う群衆」がそのまま標的となった。新年とは、本来もっとも平和であるべき瞬間であるはずなのに、その象徴性ゆえに、悲劇はより強く人の心に刻まれる。

それでも、一月一日は消えない。
どれほど多くの出来事が積み重なっても、この日は再び巡ってくる。年神を迎える日であり、暦の起点であり、そして記憶の集積点でもある。
大安であろうと、隠遁日であろうと、干支が何であろうと、人間はこの日に「区切り」を見出さずにはいられない。

一月一日は、希望の日であると同時に、慎みの日でもある。
祝うとは、忘れることではない。むしろ、思い出したうえで、それでも前を向くという選択だ。群衆の中で失われた命、瓦礫の下で途切れた日常、銃声の中で断ち切られた未来——それらを胸に抱いたまま、それでも新しい年を生きると決めること。

始まりとは、無垢ではない。
始まりとは、すべてを背負ったうえで、なお歩き出すことなのだ。

一月一日は、その覚悟を人間に問い続ける日である。