kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日5月24日 1592年(文禄元年/万暦20年4月13日)朝鮮出兵小西行長釜山上陸、ほか写真wikipedia落合芳幾画

5月24日

20250524土曜日旧暦4月27日赤口(癸巳みずのとみキシ)月齢 26.3

乙巳きのとみ年辛巳かのとみ月癸巳みずのとみ日  年末まではあと221日

吉方位 陽遁日 癸巳みずのとみ日 南 大吉

https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8824%E6%97%A5

5月24日の出来事

1570年(元亀元年4月20日) – 織田信長が、越前の朝倉義景討伐のため3万騎を率いて京都を発つ。

1592年(文禄元年/万暦20年4月13日) – 豊臣秀吉による朝鮮出兵第一陣の小西行長らが釜山に上陸し、文禄の役が始まる。

年月日:天正20年4月13日(1592年5月24日) – 文禄2年7月9日(1593年8月5日)

場所:朝鮮半島全域、満州・豆満江一帯

結果:小西行長と沈惟敬らの協議によって日本と明の間では休戦成立[注 2][1]。日本軍は南に後退したものの、朝鮮半島に築いた城塞に駐留した。

損害:日本軍 15万人中 戦死20000人以上 明朝鮮軍 20万人中 戦死36000人以上。

1626年 – オランダ西インド会社がマンハッタンをインディアンから購入。

1856年 – 奴隷制度廃止運動家のジョン・ブラウンらが奴隷制度擁護派の5人を殺害。

1926年 – 北海道の十勝岳が大噴火し、死者144名を出す(1926年の十勝岳噴火)。

2022年 – アメリカ合衆国テキサス州のロブ小学校で銃乱射事件が発生。児童19人、教員2人が死亡[11]。

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1570年(元亀元年4月20日) – 織田信長が、越前の朝倉義景討伐のため3万騎を率いて京都を発つ。

1592年(文禄元年/万暦20年4月13日) – 豊臣秀吉による朝鮮出兵第一陣の小西行長らが釜山に上陸し、文禄の役が始まる。

年月日:天正20年4月13日(1592年5月24日) – 文禄2年7月9日(1593年8月5日)

場所:朝鮮半島全域、満州・豆満江一帯

結果:小西行長と沈惟敬らの協議によって日本と明の間では休戦成立[注 2][1]。日本軍は南に後退したものの、朝鮮半島に築いた城塞に駐留した。

損害:日本軍 15万人中 戦死20000人以上 明朝鮮軍 20万人中 戦死36000人以上。

1626年 – オランダ西インド会社がマンハッタンをインディアンから購入。

1626年:この年、オランダ西インド会社がマンハッタンを「インディアンたちから24ドル相当で買い取った」と一般に言われている。が、これは実際には、60ギルダー分の交易品との交換だった。60ギルダーがどれくらいの価値かというと、「1626年当時に、ビールの大ジョッキを2400杯買うことができるくらいの金額」である。ただしオランダ人入植者に「マンハッタンを売った」という部族は、レナペ族ではなく、実はマンハッタン島を縄張りにしておらず、レナペ族とオランダ人の抗争の漁夫の利を狙って騙したのだった。また、そもそもインディアンには「土地を金で売る」という文化は無かったので、この取引自体理解していたかどうか疑わしい。実際、島を買い取ったと思い込んだオランダ人とレナペ族とは長く抗争が続いた。

1856年 – 奴隷制度廃止運動家のジョン・ブラウンらが奴隷制度擁護派の5人を殺害。

ブラウンはブリーディング(血を流す)・カンザス危機の間に小さな一群の志願者を率いた時に注目を集めた。奴隷制を擁護する党派に対して平和的な抵抗を主唱していた北部の者達とは異なり、ブラウンは南部の攻撃性に対して暴力的な行動を要求した。既成組織の奴隷制度廃止運動によって奨励されていた平和主義には満足せず、「こいつらは口先だけだ。我々に必要なことは行動だ-行動だ!」と言ったと言われている[2]。1856年5月、カンザス州の「自由の土地」と呼ばれたローレンス市への攻撃に反応して、ブラウンはその対決姿勢を重んじる信念により、ポタワトミーの虐殺として知られる事件で、南部の奴隷制度擁護派5人を殺すことになった。ブラウンの最も有名な行動は1859年のバージニア州(現在はウエストバージニア州)ハーパーズ・フェリーにあった連邦政府の武器庫襲撃であった。この襲撃でブラウンは武器庫を占拠し、解放黒人1人を含む7名を殺害し、10名以上に負傷させた。ブラウンは武器庫の武器で奴隷達を武装させるつもりだったが、結局は失敗だった。36時間のうちにブラウンの部下達は逃亡するか、土地の農夫、民兵、およびロバート・E・リーに指揮された海兵隊に殺されるか捕まえられた。それに続く連邦軍によるブラウンの捕縛、バージニア州に対する反逆罪での公判、絞首刑による処刑は、16ヶ月後の南北戦争開戦の重要な原因の一つとなった。

1926年 – 北海道の十勝岳が大噴火し、死者144名を出す(1926年の十勝岳噴火)。

2022年 – アメリカ合衆国テキサス州のロブ小学校で銃乱射事件が発生。児童19人、教員2人が死亡[11]。

概要

2022年5月24日、ユバルデ郡居住の18歳の男は、当日の朝、事件の約15分前にSNSで「小学校を銃撃する」と予告。これに先立ち「祖母を撃つつもりだ」「祖母を撃った」とも書き込み、同居する66歳の祖母の頭を銃で撃ちトラックに乗って市街地へ移動した[1][2]。撃たれた祖母は警察に通報(彼女は乱射事件の後、捜査のために彼女の家を訪れた警察官によって重体となっている姿で発見された)。11時半ごろ、男はロブ小学校近くの側溝に車ごと突っ込んだ。車から降りると銃を乱射[3]、そのまま小学校へ侵入すると4年生の教室へ立てこもり発砲を繰り返した。発砲により児童19人、教員2人が死亡。警察官2人を含む17人が負傷した。男は通報を受けて駆け付けた警察官、国境警備隊員に銃で撃たれて死亡した。アメリカの小学校でのスクールシューティングにおいての死者数としては、2012年に発生したサンディフック小学校銃乱射事件(26人死亡)に匹敵する惨事となった[4]。

チャットgpt先生の5月24日のエッセイ

5月24日という日――歴史の縫い目に浮かび上がる人間の影

5月24日という日は、暦の上では何の変哲もない一日かもしれない。しかし歴史のレンズを通して眺めれば、この日は時代を分けるような決断と衝突、あるいは自然の猛威、悲劇の記憶に刻まれている。「日付」とは単なる数字の羅列ではなく、幾千の命と意志が交錯した“物語”の節目なのだと気づかされる。

1570年、織田信長が越前の朝倉義景を討つため3万騎を率いて京都を発った。この日が、やがて戦国の大名たちを塗り替え、近世という新しい時代へと向かう「坂の上の雲」の入り口であったとも言えるだろう。彼の進軍の背後には、理想か野望か、戦国の終焉を見据えた計算があった。

1592年には、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)が始まった。小西行長らが釜山に上陸し、15万人という膨大な兵力が海を渡った。結果は膠着と惨劇で終わったが、戦争がどれだけ多くの命を一瞬で呑み込むか、その数字――日本軍で2万人以上、朝鮮・明側では3万6千人以上――は、私たちに「行動の責任」について静かに問いかけてくる。

さらに1626年、オランダ西インド会社がマンハッタンを“購入”したという話もこの日だ。24ドル相当、つまりビール2400杯分で手に入れたというこの島。だが、この“売却”がそもそも正当な取引だったのか、現代の視点で見れば極めて疑わしい。土地を貨幣で売買するという価値観自体、ネイティブアメリカンには存在しなかったのだから。ここでもまた、「力を持つ者」が歴史の物語を自らの言語で書き換えていった。

1856年、ジョン・ブラウンが奴隷制度擁護派5人を殺害した「ポタワトミーの虐殺」。彼の過激な行動は、南北戦争という巨大な内戦の序章となった。彼が信じたのは「平和では奴隷を救えない」という現実だった。歴史は、行動を伴う信念をしばしば「過激」と呼ぶが、それが時として世界を変えるトリガーになるのも事実だ。

1926年には北海道の十勝岳が噴火し、144名が命を落とした。自然の猛威の前では、どんなに進んだ文明も無力である。人の営みの脆さを思い知らされる日でもある。

そして2022年、アメリカ・テキサス州のロブ小学校で銃乱射事件が起きた。18歳の少年が19人の児童と2人の教員の命を奪ったこの惨劇は、現代社会が抱える銃と暴力の闇を象徴する。「予告」されていたにもかかわらず、それを止める術がなかったという事実は、我々の社会がいかに分断と無関心の中で揺らいでいるかを浮き彫りにしている。

こうして見れば、5月24日という一日は、勝利と侵略、正義と暴力、自然災害と人為的な悲劇とが交錯する日である。そこに一貫してあるのは「人間」だ。戦い、選び、間違え、祈り、そして時に、ただ巻き込まれて命を落とす人間の姿だ。

だからこそ、今日という日が何気なく通り過ぎていくことを、少し立ち止まって考えてみたい。この日は私たちに問いかけてくる――「あなたが今生きているこの一日は、未来の誰かにどう記憶されるべきか」と。