(AI作成の絵は なんか時代考証や服装がめちゃくちゃなのはいつもの通りですが、絵の出来がいいのでご笑覧ください)
発心集 第四巻第10話 日吉の社に詣づる僧、死人を取り奇しむ事 (ヒヨシノヤシロニ モウヅルソウ シニンヲトリ アヤシムコト)
以下のハナシは平安時代中期の事であったろうか。
とりたてて目立った経歴や特徴のないある法師がいた。彼が 日常の毎日の生活をただ送っていることに飽いて、思うところあって 住んでいる京より 日吉神社(ヒエジンジャ延暦寺の鎮守で 山王社サンノウシャともいう。滋賀県大津市坂本町)に百日参りを始めた。そして、その願掛けも八十日を経過したある日 日吉神社からの帰り道で大津という地を過ぎたところで、ある家の前を通りかかった。その場に 若い女が人目もはばからず、しゃくりあげるなどという風情ではなく、大きな声で大層激しく泣いていた。
かの僧は この激しく女が泣く様子を見て、「何があったかはわからないが、世の常の憂い事ではないようだな。きっと大変な難題があったのであろう。」となんとも可哀そうなことだと思った。そうして、その女に近づいて行って、「どうして、そんなに悲しんでいるのか。」と、問うた。すると、その女は、「あなたのそのお姿をお見受けいたしますに、神仏に願掛けのお参りをなさっているお方ですよね。あなたにご迷惑になりますから、ことさらあなたには申し上げられません。」と言った。これにつき法師は一瞬「確かに神参りを課しているこの身が関わるにしては、かなりの面倒事のようだのう。」と思い躊躇はした。しかし、その女があまりにもかわいそうでならないという気持ちが勝(マサ)って、一層懇(ネンゴ)ろにあれこれと尋ねてみたのである。
すると、「—それと申しますのは、わたしの母にあたる者で 長年病(ヤマイ)を患(ワズラ)っていましたのが、今朝ついに空しく果ててしまったのです(死んでしまったということ)。親子においてこのような避けがたい今世の別れは 当然とはいえ この上なく悲しいことです。
しかし、そうして、悲しみはそれはそれとしまして、どうやってこの我が母の骸(ムクロ遺体)を 墓場にまで引っ張って行って、埋葬し地に隠す作業をしようかと さまざまに思い考えていました。けれど、わたしは連れ合い(配偶者)もいない一人の身でありますので、こういったことを相談し頼める者もおりません。では、自分一人でどうにかしようと思いましても、この女の身では 力が足りず運ぶこともできません。近隣のヒトたちは皆お義理に『ご愁傷様』と訪ね来ることはございます。しかし、この地域は 神事の多く執り行われる門前なので 本気では穢(ケガ)れである弔(トムラ)いに協力してくれそうにありません。
結局 どうしようもなくて思案も浮かばず困り果てているのです。」などと、言い終わらないうちから、泣きながら次第をその女は述べたのである。
その法師は 以上の話を聞いて、「まことに、この女が困っているのも無理はないのう。」と思い、とても可哀そうに思い しばらくの間 二人で泣いていた。そうして、僧は泣きながら、「神は 人を憐れみ給うゆえに、穢土(エド 濁った穢ケガらわしい世間)であるこの世に垂迹(スイジャク 仮の神体として出現)なされたのであろう。ことここまでの可哀そうな事情を聞きながら、どうして無情にも何もせずに過ぎ去ることができようか。わたしも、これほどまでに可哀そうだと思った事情は過去にない。神ほとけともにこの事情をよろしくご照覧ください。わたしが穢(ケガ)れ事にかかわることをどうぞお許しください。」と思ったのである。
そうして、
「のう、もう悲しまれるな。ここはわたしが、どうにか あなたの母の骸(ムクロ)を引いて埋葬しよう。だから、これ以上あなたが、外に立っていると、人目にもついて怪しまれるだろう。」とその女に告げて、ふたりでこっそり家の中に入って行った。その女は泣きながらその法師の申し出をよろこぶことこの上なかった。
そうして、日が暮れたのちに、女の母親の死骸を 埋葬に都合のいいところに抱えて無事移動して その場に埋めたのであった。
その後 妙に冴えた頭で眠られなくなって 床の中でつくづく次のように考えたのである。「こうはなったが、果たして百日参りの内八十日ばかりを神にお参りした功徳を無為にして終わってしまうのも残念よのう。わたしも、今回の事は 世間の評判やおのれの利益のためにやったのではない。だから、今後も日吉神社の神にお参りして、衆生をお救いくださるという神のお誓いの様を知らしめさせていただこう。人の世の生き死にの穢れというものは 神の本願からすれば 仮のものに過ぎないはずだ。」と、強く思ったのである。
だから、翌日の早朝に 沐浴斎戒(モクヨクサイカイ 川の清水で身を清めて)して、それよりまた、日枝神社へ百日参りのため向かったのである。しかし、ひとたびは先の様に思いはしたが一方ではこんな汚れた身で祈願を続けてよいのだろうかと、空恐ろしい気持ちもしていた。
そうして、思い悩みながらも山王日枝神社(サンノウヒエジンジャ)に到着してみると、山王七社のうちの二宮(にのみや)の本殿の前に、参詣の人たちがぎっしりと参集していた。そうして、ちょうど十禅師(ジュウゼンジ現在の樹下神社)の神が巫女に憑(ノリ)うつって種々のことを託宣なさるところであった。件(クダン)の僧は 死人に触れて穢れたわが身のことを思い起こして、神が寄った巫女(ミコ)のそばには近寄れないでいた。そして、物陰に遠く隠れて かたちばかりの参拝の祈念を済ませた。これで百日参りの日数が中途で欠けることもなくなったと、喜んで帰ろうとしていたのだった。すると、神が寄った巫女(ミコ)がこの僧を見つけて、「おう!あそこにいる僧よ。」と大声で呼んだので、かの僧はこの上なく驚いた。
こうなっては、逃げるわけにもいかなくなって、わなわな震えながら神前に かの僧は 近寄らざるをえなくなった。このありさまを見て参集している大勢の人たちは 何事か、といぶかしく思った。そうして 巫女の口を通して こちらへこちらへと呼び寄せられて、神がのたまわれたのは以下である。
「この僧が よんべ(夕べ)したことを われは確かに見たぞ。」と神はおっしゃった。
これを聞いたかの僧は、身の毛がよだち、胸がふさがり息も絶え絶えになって、生きた心地(ココチ)もしなかった。そうして、神は重ねておっしゃった。
「なんじは恐れる事はない。よくぞやったと われは感心したぞ。われ(十禅師の神 本地は地蔵菩薩とされる)は本来 神ではなく、地蔵菩薩である。であるから 民への憐れみのあまりに日の本へ垂迹(スイジャク 神という仮の姿で出現)したのだ。それは 人をして仏法への信心をおこさせんためである。だから、 さまざまの人の世の 穢(ケガ)れを忌(イ)むということも、仮の方便(ホウベン 仮の一時的な措置)である。であるから、仏道が進んで道理をわきまえる者であるならば 何が真で 何が方便かとは おのずからわかってくるであろう。
ただし、今回の件は 他人においそれと語るのではないぞ。というのは、愚かな者は 汝(ナンジお前)の憐れみの心が人一倍ふかかったことによって、あえて禁忌(キンキ タブー)を侵したことをわかりようがないからな。だから、今回の件をみだりに先例としてしまうと、人がせっかく仏道に発心した場合も 混乱のもとになるのだ。およそ人の世の諸々(モロモロ 万事)の瑣末事は 是々非々で 人によって適切ななすべきことというのは異なるものだ。わかるの?」と、十禅師の神は、その僧に対してこまやかにささやいておっしゃったということである。
以上の神の託宣を聞いて、その僧は ひとかたならず感動し かたじけないと思って、涙を流しながら、その場を出て行った。
そののちは、何かにつけてその僧の身には、 神の功力(クリキ)故(ユエ)の霊験(レイゲン)と思われることが多くおこったということである。
(20241125 三島忌に 訳し終わる)
<訳者より一言>
いや。本編も発心集の名品 名作のひとつと思います。
十禅師の神カミが 巫女のくちを通して語られたことは まことの条理、道理であります。
いにしえの まだヒトのありようが素朴な時代はまことに このようにカミが現実に 託宣をくだされて ひとびとに語り掛けるというようなこともあったのでしょう。
しかし、 いま現在においても われら「性エネルギー昇華秘法」実践者におきましては、日々 直接に 上カミがわれらの脳髄に対して 四六時中説法を くだされるようになるのである そしてこれをダイレクトナリジというのだ、とは サーティンキュー師匠が角度変えて何度も教示くださったことです。
現実に 私自身もう20220909より「性エネルギー昇華秘法」実践を初めて もうかぞえきれないほどの 上カミからのおことばを日々いただいてきたと自負しております。これが エゴ第一ではない 「魂」をおのれの頭上と心奥にすえることに覚悟を決めて プラクティスを始めた人間のありようであります。
ただ わたしはできるだけおのれのエゴを廃し 自動書記に徹することが日々重要であるか、と思っております。おのれのエゴや 間違えたことをまじえて記した時はまたその天罰は冷厳にくだされるのである という緊張感もあります。
ただ、虚心に 自分自身の真禅 「性エネルギー昇華秘法」実践の深化と向上をはかり、ひとりでもこの真禅に取り組まれるひとの参考になれば、との思いで 本ブログを継続させていただいております。
ありがとうございます。