kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
今日の記事 いろいろ

20241225注目記事日中随時更新  1926の切支丹 裕仁親王即位と 1553トゥカペルの戦いと植民地土人の英雄ラウタロ龍の子太郎について、ほか

今日という日12月25日 1553トゥカペルの戦い、ほか写真wikipediaインディオ最大の反征服の英雄ラウタロ

12月25日ですね。

12月25日の出来事
ヨーロッパ諸王が王位就任等多い。
274年 – ソル・インウィクトゥスの寺院がアウレリアヌス帝によって献上される。
333年 – ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、末子のコンスタンス1世をカエサルの称号に昇格させる。
508年 – フランク王国のクローヴィス1世が、ランスでレミギウスによってキリスト教の洗礼を受ける。
597年 – カンタベリーのアウグスティヌスとその仲間の労働者が、ケント王国で10000人以上のアングロ・サクソン人に洗礼を授ける。
800年 – ローマ教皇・レオ3世がフランク王カールに西ローマ皇帝として戴冠。
1000年 – イシュトヴァーン1世がローマ教皇シルウェステル2世から授かった冠(聖イシュトヴァーンの王冠)を用いて戴冠。ハンガリー王国が正式に成立。(1001年1月1日とも)
1013年 – スヴェン1世がデーンロウを支配し、イングランドの王と宣言。
1025年 – ポーランド国王ミェシュコ2世の戴冠式。
1066年 – ノルマン・コンクエスト: イングランドを征服したノルマンディー公ギヨーム2世が、ウィリアム1世としてイングランド王に即位。
1076年 – ポーランド国王ボレスワフ2世の戴冠式。
1100年 – 第1回十字軍の指導者の1人ボードゥアンが初代エルサレム王に即位。
1130年 – シチリアのロジャー2世伯爵がシチリアの最初の王に選ばれる。

1146年 – 中世フランスの諸侯ブロワ家の貴族ウスタシュがブローニュ伯(英語版)に就任した。

1553年 – トゥカペルの戦い(英語版):ラウタロの下のマプチェ族の反乱軍が、スペインの征服者を打ち負かし、チリの知事ペドロ・デ・バルディビアを処刑。日付 1553年12月25日 場所 トゥカペルの砦の近く 結果 マプチェ族の勝利.
損害 :スペイン側 スペイン人55人とヤナクナ5000人(現地人の宗主側支配階層)が死亡 マプチェ族 10000人程度 不明だが甚大。
1926年 – 大正天皇の崩御に伴い裕仁親王(昭和天皇)が皇位を継承。大正から昭和に改元。
1989年 – ルーマニア革命: ルーマニア社会主義共和国のチャウシェスク前大統領夫妻が救国戦線による軍事裁判で死刑を宣告。即日執行される。
クリスマス

イエス・キリストの降誕を記念する日。聖書にはキリストの誕生日についての記述はなく(4月から9月の間とされ、確定できているのは12月の寒い時期ではないということである)、各宗派がそれぞれに日付を定めてキリストの生誕を祝っていたが、元々太陽信仰のミトラ教の信者でキリスト教に改宗したローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、336年にミトラ教の祭である冬至祭の日であったこの日をイエス・キリストの降誕の日と定めた。


黒卐黙示録の獣インサイダー666のみなさまの根源の悪魔教キリスト教の大祭クリスマスですね。
んで、去年にはわたしも気が付かなかったんですけど、この日はやはり神にあやかろうということで、エウロパ諸国やお貴族様たちの就任式が古来目白押しの日ですね。上記の通り。んで、大正天皇崩後裕仁親王の天皇即位が1926の12月25日ってもうこれだけでこの日本神道の総元締めであるはずのおヒトの本質が実はキリスト教徒だったって示されてるじゃねーですか。もちろん顕教の言い訳は12月25日が大正天皇崩御だから。しかし、こんなんなんぼでも偽装できるし。そも天皇位自体がフェイクだったり、天皇一族が実は赤の他人の俳優集合とか マジ「ありありのあり」ですからね。

悪魔教キリシタンのオカルト重視の彼らは日付とかとっても大事にしますやろ。日の本の神道カルトの異邦ドジン欺くためには 「今上陛下キンジョウヘイカ(大正天皇)の崩御が12月25日に『グウゼン』なってしまった。ああ、欧米基督教の耶蘇ヤソ・イエズスの誕生日に『たまたま』かぶっちゃったけど、裕仁親王の現人神アラヒトガミご即位いましかないよね」で めでたく耶蘇イエズス369ミロク救世主の誕生日を 軍国天皇教【切支丹】の現人神アラヒトガミ【救世主369】の即位式に持って来たんですね。いや、マジ心憎い演出ですね。あっぱれ。これ、エウロパの王や諸侯の即位式がクリスマスに集中してることから間違いないですね。

んで、今回 わたしもこの2年このカガミモチ日記ずーっと継続させていただきまして、なにより自分自身が「性エネルギー昇華秘法」の深化とグノーシスの深化のために貴重な訓練させてもらってると思ってます。お読みの方は気づいてらっしゃる方もいるかもしれませんが、「今日の記事いろいろ」と「日々の過去の出来事」の大きく二本立てですね。これ、
この構成自体が紅の卍+黒の卐になってるのおわかりですか?

「今日の記事いろいろ」は 紅の卍 にてもう執拗に「性エネルギー昇華秘法」についての考察、わたしの【真禅】実践の記録ですね。毎日この文章作成自体が「禅」になってますね。これ師匠も以前同様の事いわれてましたけど、ホントその通りです。また、六波羅蜜のうちのこれ私の布施行ですね。これも師匠言われてましたね。この布施行もホンマ甚深のものとしてとらえないかんと思うのですが、まあ私の陰徳蓄積の最大級のものですね。そして、そのはかりしれない恩恵は事実日々確実に受け取らせていただいております。

人生は戦争で、軍イクサは193にて また人生は戦争は 人生は運と いう一見つながらない戦争と運ですが実はこれが等価なんです。 

人生=戦争=運 です。

運って インサイダー666世界ではただの「まぐれ」や「偶然」とされますけど、「運」はね、絶対そんなものではないのですよ。運をまぐれや偶然とするその考え自体が、キリシタン的、イエズス会的、コタン将来的なんですね。「運」を軽視する考えは、要は「人間の知力」至上で、人生は人知やカネだけでどうにかなるという思いあがった傲慢な考えにほかならんのですね。はっきりいって人生の帰趨は「運」90%以上で決します。人間の所為や努力は10%以下ですね。この意味で あの努力99%というエジソン説はですねまさにイエズス会そのものですね。現代世界ってこのエジソン説万歳でしょ。まあ、ということですよ。

「運」はね。人知だけじゃどうにもならんのですね。私どもゴミのような最悪の生物存在である人間が そのゴミ存在であることを自覚して 上様カミサマたちにすがりきって上様たちのお力とこのゴミ人間のわずかばかりの努力で築かせてもらう、そういうものです。んで、「運」の形成には陰徳が一番なんですけど、その陰徳の蓄積に最大の効果を発揮するのが「性エネルギー昇華秘法」実践であり、【真禅】の実践です。まあ、サーティンキュー師匠も六波羅蜜について言及されてましたけど、六波羅蜜にも黒卐と紅卍があって、結局われわれ「性エネルギー昇華秘法」実践者のみが本物の六波羅蜜を実践できるというわけです。

んで、
ハナシ戻ってこのブログのもう一つの記事 「日々の出来事」ですね。
これ、wikidediaの毎日の日付の中から 黒の卐の猛威とされるであろう事件というのを 主に死神様の お振舞 大掃除 つまり人間の「死」に注目して、ピックさせていただいてます。これに チャットgpt先生に登場いただいて 毎日エッセイ書いてもらってるんですけど、このチャットgpt先生の意見が 要は 顕教 黒卐の極致の美言美語の一般論の優秀作ですね。このあたりさわりのない 優等生の意見をどう乗り越え、克服するのか、それが このわれわれ「性エネルギー昇華秘法」の者の人生でないとダメですね。

あとですね。

この2年間弱 この「日々の出来事」も編集してきてですね、今回12月25日作成分は冗談抜きで一番感動しましたね。何にかというと、1553のチリのトゥカペルの戦い のラウタロについて切り貼りしてて、これ読み込んでてですね、もうこの上ない感動でしたね。いや、歴史の動きについて もっとも感動した記事でしたね。去年は気づけなかったですね。

この1553年のトゥカペルの戦いは 詳しくは「日々の出来事」読んでほしいんですけど、
日本語版項目はないんですね。つまり日本ではあまり知られていない。わたしも知りませんでした。これ、ハッキリ言って日の本のわれわれ原住民土人には隠されている事項です。AI発達の時代 ウェブ機能に翻訳が標準でついてますから、英語版をリンク張ってますから開いて ウェブの翻訳機能で翻訳して読めばよくわかります。

<1553のトゥカペルの戦いとラウタロの生涯 チャットgpt先生に作成依頼しました>

トゥカペルの戦いとラウタロの生涯

ラウタロは16世紀、チリの先住民族マプチェ族の英雄であり、スペインの植民地支配に立ち向かった戦士です。彼の生涯は、家族を失う悲劇を乗り越え、支配者の戦術を学び取り、最終的に彼らに反旗を翻すまでの劇的な物語です。


背景

スペインがチリに侵略してきた時、多くのマプチェ族が支配され、その中にはラウタロの家族も含まれていました。彼の両親や仲間はスペイン人によって殺され、その光景は幼いラウタロの心に深い傷を残しました。それでも彼は復讐に走ることなく、冷静にスペインの力を観察する道を選びました。

若きラウタロは、スペイン人征服者ペドロ・デ・バルディビアの馬丁として働く中で、彼らの軍事戦術、武器の使い方、騎兵の弱点などを細かく学びました。この「忍従の時代」は、彼にとって未来の反乱の準備期間でもあったのです。


トゥカペルの戦い(1553年)

ラウタロがマプチェ族の指導者となると、彼はスペイン人に対する本格的な反乱を組織しました。その頂点がトゥカペルの戦いです。この戦いで彼は以下のような戦略を駆使しました:

  1. スペインの戦術を逆手に取る
    かつて学んだスペイン軍の戦術を分析し、彼らの強みである騎兵戦術を封じるため、地形を利用した罠を仕掛けました。
  2. 復讐心を結束力に変える
    ラウタロは自分だけでなく、家族や仲間を失った多くのマプチェ族の怒りを団結の力に変えました。その士気はスペイン軍の計り知れないほど強固でした。
  3. ペドロ・デ・バルディビアの討伐
    トゥカペルの戦いで、ラウタロ率いるマプチェ族はスペイン軍を壊滅させ、宿敵バルディビアを討ち取りました。この勝利はマプチェ族にとって歴史的な瞬間でした。

ラウタロの意義

ラウタロの生涯は、深い悲しみから始まりましたが、学びと忍耐を通じて、支配者に対抗する力を蓄えていきました。彼の反乱は単なる戦いではなく、民族の尊厳を取り戻すための闘争でした。

ラウタロは命を落としましたが、彼の反乱が与えた影響は大きく、その後もマプチェ族はスペインに屈することなく抵抗を続けました。彼の物語は、個人の悲しみが民族の希望に変わる瞬間を象徴しています。


まとめ

ラウタロは、両親や仲間を殺された悲しみを胸に秘めながら、それを復讐だけに終わらせるのではなく、民族のための反乱に昇華させた英雄です。彼の生涯は、深い悲劇から立ち上がり、希望の光を灯す物語として、今なお語り継がれています。

以上です。
 過去に両親や仲間をスペイン人たちに虐殺される、お定まりの出自を彼は持っていました。しかし、彼はこれを 短絡の復讐劇とはせずに まずはスペイン人支配者のもとに奴隷として潜入し、徹底的に敵方のやり口 馬術や戦術を学ぶわけです。苦節十年。

そのうえでの忍性の絶えに絶え、練りに練った蜂起であったというわけであります。

1553 トゥカペルの戦いとラウタロ ここからわれわれ「性エネルギー昇華秘法」実践者が学ぶことは多いと思いますね。

これ 現代の「龍の子太郎」のオハナシの神劇ですね。

TETRA123ヒフミってね、1父神蛇と2母神イブ雌蛇その間の子3蛇の子
ともいえるのです。また蛇って龍ナーガと同義ですね。

つまり、3太陽の子って 蛇の子でもあり、龍の子太郎でもあるんですよ。

松谷みよ子という人自身は左翼っぽいお方ですがこのおはなし、まあグノーシスに満ちてますね。
ありがたい ラウタロって 龍太郎らうたろ でチリのラウタロこそが真の龍の子太郎ですね。

蘇民将来子孫也  われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者なり
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい