kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
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20230813注目記事日中随時更新


★戦争がなく平和と言われても常に「 学校 」「 会社 」「 世間 」「 カルト 」「 お金 」との闘いがある。人間が生きることは「 死神との闘い! 」となる。「 死神は太陽神の別名 」と鷲はこれまで書いてきた。それはいまだに変わらず「 死神は太陽神の別名 」だと思っている。「 死神のナゾナゾを解くことで次のステージに行ける! 」ことは間違いない。

★「 太陽神である死神 」は常に正解を人間に求める。天皇の正体をズバリと正解の解答を出す者しか太陽神は認めない。ということはテレビに出ている文化人?の全てに苦境がくるだろう。「 天皇様は素晴らしいです! 」としかテレビに出ている文化人は言えないからだ。「 太陽神である死神 」は肉親よりも我々に近い。天皇に関する言説で全ての人々が審査され裁かれ、或いは、正解を出せば次のステージに行けることになるだろう。

今でも歴史上実在した人物が如来に等しい「本尊」として、「南無大師遍照金剛」と拝されているのは、あらゆる祖師の中で空海ただ一人である。「大師は弘法にとられ」の俗諺があるように、わが国で朝廷より大師号を贈られた祖師先徳は数少なくないのだが、「お大師様」といえば、昔も今も弘法大師空海だけをさす。わが国において「お大師様」とは、インドにおける「お釈迦様」と同義なのである。だが、明治時代、近代仏教学が西洋から導入されて以降、一切の神秘性が忌避され、それまで人間を越えた存在として崇められていた空海は、明治のインテリから最も疎んじられるようになってしまった。最も人間らしく苦悩し続けた親鸞とか、求道一筋の道元がもてはやされた。平安仏教は貴族仏教という妙なレッテルまで貼られた。しかし、鎌倉仏教から日本の仏教は庶民のものになった、という通説こそ、明治時代に生まれた迷信である。

☆ すべての伝説が物語っているのは、空海は日本において誕生した唯一無比の尊いブッダであるという、歴然とした事実である。

最澄が終生、奈良仏教と対立したのに対して、空海は奈良仏教を包含してしまった。さらに違うところは、最澄の天台宗から優秀な後継者が続出し、鎌倉仏教の祖師を輩出したのに対し、真言宗は、ついぞ空海を越える人が出なかった。

最澄の後継者たちは、最澄の未完を補填すべく、意を尽くした。

それが噴出したのが叡山発祥の鎌倉仏教である。鎌倉仏教の祖師がたは、いい意味で一途だが、選別的・排他的で、非寛容だった。包括的であろうとした人はいなかった。その点で、きわめて最澄的だったといえば、言葉がすぎるだろうか。

空海の偉業は密教を大陸から請来したことではなく、三国伝来の密教を日本において完成させたことである。全仏教、のみならず人間精神の向上の全階梯を包摂する密教の体系化を成し遂げたのは、インド・中国・日本を通じて、空海以外にいない。それを凌駕しうるだれがいたであろう。これぞ無類の誇りとして、確認しておく必要がある。

(『智青』密教の遊歩道56 所収)

世界には、たった一人で生きている人が多いにもかかわらず、あまり「孤独」というものが問題にならない社会(国)が存在します。日本人には考えられないかもしれませんね。たとえば、北欧のフィンランドやノルウェーに住んでいる人々です。もちろん地域にもよるでしょうが、私が、アメリカの大学で研究をしていたときのフィンランド人の女性助手が言うには、母国のフィンランドは一年のうちのほとんどが一面雪だらけで、家がぽつんぽつんとしかないのが普通だとか。