kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
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20240612注目記事日中随時更新 性で滅びないためには性エネルギー昇華を実践すること!

20240612記事

今日という日6月12日 1864南北戦争コールドハーバー戦、ほか写真wikipedia戦死者の埋葬

6月12日です

6月12日の出来事

1560年(永禄3年5月19日) – 桶狭間の戦い。織田信長が桶狭間山附近で今川義元を討ち取る[2]。織田2000対今川25000。

1592年(文禄元年5月3日) – 文禄の役: 朝鮮の首都・漢城(現在のソウル)が陥落し、小西行長・加藤清正が入城。

日本158700対 明朝鮮軍250000

損害

日本20000 対 明朝鮮 30000強

1864年 – 南北戦争: コールドハーバーの戦いが終結。

戦力

北軍 100000 対 南軍 60000

損害

北軍 13000  南軍 2500

2016年 – オーランド銃乱射事件が発生。容疑者1人を含む50人が死亡、53人が負傷。米国で起きた銃乱射事件としては史上最悪のものとなった[9]。

6月12日 1560桶狭間戦ね。無能のように今川義元が言われてますけど、もう勝てば官軍でなんでもありだからね。先進の解明的思考の人物で結局、織田や豊臣特に徳川は今川義元の構想をそのまま実現したという ハナシもありますね。まあ、センゴクという漫画の受け売りですけどね。実際そんなとこかと思いますね。

性で滅びないためには性エネルギー昇華を実践すること!

20190606記事

師匠言説メモと感想

・★ナチスは「 性エネルギー昇華 」を実践していた。それはルーン文字体操での性エネルギー昇華の実践であった。簡単に言えばナチスの何もかもを否定すると「 性エネルギー昇華ができない! 」。「 性エネルギー昇華ができないから男が変態だらけになっている 」というのが日本の現状であるのだ。ナチスの言う「 アーネンエルベ 」は≪ 古代の叡智 ≫という意味だがグノーシス(仏教の般若慧)のことである。

・★ミゲルネリの師であるサマエルアウンべオールは当時(1950年代)の「 秘教ブームの影響 」を受け、彼が南米コロンビア出身であることから、南米に行ったナチスから秘教を手に知れた!と鷲は見ている。ナチスのグノーシスにキリスト教の偽善を付け加えたのが、サマエルのクリスチャンノーシスだった。しかしそのキリスト教は今、「 子供たちへの性的虐待 」で裁かれてる。

・★「 性エネルギー昇華のシンボル 」は世界中にある。神社、狸の置物、男根石や女陰石、両界曼荼羅、浦島太郎や桃太郎の昔話、アラジンと魔法のランプの物語、ヘルメスの杖、ツタンカーメンの黄金のマスク、その他。「 性エネルギー昇華を否定することは太陽系世界を否定すること 」である。日本人が「 性エネルギー昇華 」に行けないのは邪教である学校教育に深く洗脳されているからである。だから職業の中で学校の教師たちに「 わいせつ犯 」が一番多いのかもしれない。

ナチスのアーネンエルベは古代の叡智の意味である、と。

ナチスのルーン文字体操は「性エネルギー昇華秘法」の変形ヴァージョンだった、と。

また、ナチスは チベット仏教のかかわりが深かったことはよく知られていることであります。チベット仏教の日本には直接輸入されなかった後期密教は まあ「性エネルギー昇華秘法」だったでしょうね。同じ時期に日本でも結局 真言律宗の叡尊-忍性-文観の流れで醍醐流立川流の【紅白】合一 三尊合行の秘法つまりは「性エネルギー昇華秘法」実践が真剣に探究し行われた形跡が確認されます。こういった流れの中で必ず 実践の方向と観想の方向にわかれて腐敗や衰退が繰り返されていたりするのであります。これは、場所が変わっても、どこでも同じ現象がみられるようであります。

しかし、

般若心経の色即是空空即是色 論からすると、やはり【紅白合一】は観想こそが本流であるように感じます。セックスの実践修養をコントロールできるほど、ヒト種はまだ精神的に進化していないと思われます。超例外的に現実の肉体の女性との交わりの中で性エネルギー昇華を為しえる個体が存在するのかもしれませんが、この実践方法を一般化できるほどヒト種の現状は楽観できるものではないと思われます。事実日本においてもチベット仏教においてもまたインドヒンズーのシャクティ派においても 本流は父神と母神の合一の観想によって性エナジーを昇華するというありかたが 王道 本流 と感じます。少なくとも自分自身は 観想にとどめ置かないとそれ以上の実践は不可能ですね。

現状のヒト種のありさまからいって、観想が正統王道と言わざるを得ません。もう独身者用性エネルギー昇華秘法が全国民の常識とかそういった次元となればようやく次のステージとして実際の(というか厳密には仮想現実においての)セックスによる昇華も考えられるようになるのかもしれません。

日本においても 真言【律宗】という 最澄以後の大乗戒壇あるいは私度僧等の出現によってみだれきった戒律(特に性の)の 戒律遵守厳守の流れの中から醍醐派や立川流が出現したことは甚深の意義を感じます。立川流は実践セックスが公然とあったセックス宗教のような誤解は網野義彦ほかの性的退廃の学者がひろめた臆説にすぎません。法相の道鏡にせよ、真言律宗からでてきて最終的には東寺の長者にまでなった文観は 正統中の正統の清僧、戒律遵守のつまりは「性エネルギー昇華秘法」の【旭】の者であったと考えるのが【道理】【条理】であります。であるからこそ、立川流の文観弘真の事績が現在にも真剣に研究されまたその研究の成果が(さして発見物があるわけでもないですが)私共の刺激ともなるのであります。

まあ、立川流にまで言及せずとも 般若波羅蜜多理趣経は 戒律遵守の清僧の【旭】の者によってこそ真に読める性愛の賛歌であります。「性エネルギー昇華秘法」のプラクティショナーの立場からは 般若波羅蜜多理趣経は 宇宙の父と宇宙の母の合一の観想のための経典と拝するのが「性エネルギー昇華秘法」実践者の立場からは正解となります。

学者 聖職者 職業的教育者は すべて 反太陽神教にして 色即是色および空即是空の大邪見大謬見の邪教カルトの聖者つまり性者であります。猥褻犯になるのは理の当然であります。そして、この邪教の者たちの一見高尚な性愛現象の分析が最後は本人自身が狂死したバタイユの過剰蕩尽の理論ですね。確かに唯物の666の世界はこの理屈で動いている。簡単に言うと 聖なる空間、禁止の領域を 時間的経過の後に破ることを前提に人間は設定し、耐えに耐えて我慢に我慢を重ねて 禁止の侵犯をすることによってエロチシズムを開放する、というまあもっともらしい、牢獄の666の昇華の絶対できないセックス観 犯罪者の理屈ですね。実際に狂い死にしてるし。そして、確かにインサイダー性の病【6】の者たちはこの禁止の侵犯による快楽が楽しみで生きているまあジャンキー、ヤクチュウなわけですよ。これが【6】の性的退廃者の小理屈屁理屈というわけであります。

禁止を侵犯することで快楽を開放する、快楽を感じる、まあビョーキですね。ジャンキー。だから彼らのお上品ぶりとかもいつかそれらを崩した時のギャップが禁止の侵犯で快楽だから、というわけで、このビョーキの者たちはまあ次から次へと「見つからなければいいだろう」、あるいは「見つかるかもしれないけどきもちいー」みたいな バタイユのいうとおりのジャンキーの快楽追及、要は犯罪行動を次から次へとやんですね。これがインサイダー性の病の極致の【6】です。この性愛の解放の単なる現象説明をしてインテリに珍重されているわけですが、結局いわんとしてることは 禁欲とその解放の快楽。もうあほかと。狂い死にでザマーですわ。けど、もったいつけたインテリたちが今でもバタイユをまあ権威付け、自己の性の病の病状説明に使って遊んでるわけですね。絶対に解決するきはないんだな。解決は「性エネルギー昇華」しかないですからね。アーメン。

しかし、歴史上とか犯罪史上とかの 性犯罪やまた社会事象一般にまで、確かに過剰蕩尽の理論は 現象面の説明としてはよく使える理屈なので、そういった意味では、6が6の世界にとどまった場合の大衆の行動原理などの説明としてはわかりやすいですね。要は、性のジャンキーであると。これで、【6】の歴史事象も動いていると。たしかになぁ。しかし、解決には何の役にも立たないですね。犯罪的な歴史事象の説明がうまくできるというだけのことです。また、これ読んだインテリが結局、「じゃ、もう禁止の侵犯で快楽得るのが人間一般なら、見つかんないように性欲の解放―――禁止の侵犯やりゃいんじゃねー?」となって、結局、性犯罪は増大する一方ということですね。

しかも、ジャンキーやヤクチューの快楽原則は報酬逓減の法則に従うので、禁止の侵犯は段階追ってより、強度なもの強度なものを追い求めていくんですね。これが、最終的には、性的な快楽殺人やら、必要のない人肉食やら、幼児の強姦やら強姦致死とかいったとこまで堕落はつきすすんでいくという結果になります。この点でもジャンキーの理論が当てはまってるんですね。薬がだんだん効かなくなって、より強度の副作用の大きい薬の使用にすすんで行く。こうなるわけですね。まあ、文字通り無間地獄ですね。アリジゴク。

まあ、もっともらしいインテリの小理屈屁理屈は何の解決にもならんということであります。最後は狂い死にだし。

やはり、この生の病の 人類の業の解決は、「性エネルギー昇華秘法」にしかないということでありますね。

蘇民将来子孫也   われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者なり

ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい