20240402記事
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1982の4月2日フォークランド紛争 アルゼンチンとサーッチャー政権下のイギリスのまあ「戦争」ですね。最新兵器の展示場といわれ、 結構激しい殺し合いが展開された様子。
サッチャー首相は 領土問題について断固たる武力の行使と、毅然とした姿勢でこの問題をイギリスの勝利で解決した。この人も晩年は認知症と。紛争よりも政治手腕よりもサッチャーの認知症のニュース自体が衝撃だったな。この時代のアメリカ大統領レーガンも認知症。
わたしはこの認知症という現象をずっと考え続けてきたが、やっぱ反太陽神信仰の嘘神信心の者共に対する残酷な生きながらの死、ゾンビ化ということなのであろう。サーティンキュウ師匠いわれるように もっとも残酷な死、つまり「死にたくても死ねない状態」の典型的な現象の一つである。嘘神信仰は人生の出発点の第一歩をもう ボタンの掛け違えから始める。したがって、そのままで社会適応してしまうと 何もかもが偽り、何もかもが間違い、というとんでもない状況になってしまう。であるから、人生のどこかの時点で、このボタンの掛け違いを根本から直し 修正しなおす必要があるのである。この修正のための奇跡の偉大な対応が ほかならぬ「性エネルギー昇華秘法」とその実践なのである。
しかし、普通はこれができない。特にこの顛倒の現世に過剰適応つまりそれなりの成功をしてしまった人間ほどできない。であるから、太陽系基準の健康人正常人は(ほぼ皆無に等しいが)人生の根本の枢軸から【条理】と【道理】でおのれの人生観や社会的位置づけなどを設計し得る。しかし、この枢軸を見失った根無し草の者は 人生構築のすべてが根無し草である。ぬかるみの上に住居を無理やりつくったかのような不自然な状態がかれの人生である。いつ崩壊してもおかしくない。この崩壊は 種々いろいろな破滅現象となって表れるのであるが、「認知症」はその一つ。特に現世に過剰適応し 問題を先送りにしてきた人間の 遅い晩年に下される残酷な神の鉄槌の一つである。
わたしは 認知症が 食事や健康法 などの間違いから起こるという考えからいろいろ実際に事例観察も行ってきた。しかし、究極のところ 食事法や健康法でも 認知症は避けられない、起こるときは起こるべくして起こるとの結論に現在は至っている。これも「性エネルギー昇華秘法」実践によるごりやく たまもの である。要は、繰り返すが、反太陽神人生の報い、生きながらの死が 認知症という現象である。まあ、師匠も言われているが、認知症になる者は輪廻転生は ない。つまり太陽系秩序において もっとも重罪犯の処罰形態の一つであろうと今は結論している。
発心集 第三巻11話 親輔養児、往生の事 The Outsider Episode 35
*訳者から
中古や中世の日本の信仰世界を垣間見ていて、
現在に比べて なんと素朴な 六道のひとびとであり、であるからこの六道を乗り越えて発心し九になろうつまり出家して覚醒往生しようと志したものが多かったことかということに正直驚きを感じます。確実に人間のレベルが高い。知のレベルが高い。
こういったときにこそ六道輪廻ということばは成立するとも感じております。
現代社会は 六道輪廻以前の(というか以下の)かつて、だれも予想しえなかったくらい、ヒトとよばれる存在の全体的レベルが低下している時代であります。輪廻という悠久の生命循環にさえ乗れない、自らの意思で 自らの望み通り 唯物 つまりたった一度きりの人生思い通り生きよう、という ただの欲望の野放図な肯定と汚辱にまみれて生きることを自由と開き直る そういった時代が現代の地点であります。具体的には金儲けと性的放縦が人生の謳歌のようなバカげた 幼児のままで一生を皆が終わろうとするような時代であります。それこそ自由意志という名のエゴが最大限に拡大され、甘やかされ、野放しにされた そういった時代となってしまいました。
このような時代にあって、同時代人の動向に関心は生きている以上払い続けていかなければならないのは生きていくために無論必要なことであります。ただ、友とすべきは同時代の者だけである必要は 深き人生を生きていくためには特にないということです。優れた人間との対話が つながりが その人間の資質を磨き向上させます。その意味で 古典に触れることは 過去の少なくとも現代人よりすぐれた人間たちと対話し、考え方を交換する貴重な機会であるとわたしは考えております。
宗教的教義書ではなく、過去の 宗教的な苦闘を経てきた僧や一般人たちの物語に触れ続ける意義は わたしにとって 貴重な時間の過ごし方のひとつになっております。
具体的には 「性エネルギー昇華秘法」という現代の真の禅の実践者としての 思索の深化にもわたしには欠かせない読書の分野のひとつです。
今回のお話では 阿弥陀仏の信仰は 我が国の女神信仰の基礎であり、法華経の信仰は 常時の仏つまり太陽神からの教えを受け続ける方途であった、という中世の求道者の素朴な ありかたがうかがえる内容となっております。
また 今回AIの絵の素晴らしさ すごいですね。
いやいい出来やと思います。あんまいい出来の絵が多かったんでいつもより余計に絵を貼ってます。ぜひご覧ください。美しい と思います
師匠曰く
□ユダヤ人が創り出した「救世主思想」は恐るべきものである。「救世主思想は邪道」だということ。基本は、座って、宇宙の母に性エネルギー昇華を成功させる援助の言葉を述べ、性エネルギーを脳神経と胸腺に❓の形に昇華して、太陽の子を誕生させる!である。
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ユダヤ人の大罪は師匠の言説を要約すると、
第一に グノーシス文書『ベルの目』を改竄して嘘神Deusヤハウェの旧約聖書を作った。
第二に モーゼ、イエズス等の 嘘神の子の救世主信仰を作った。
かれら嘘神信仰反太陽神のもののクレドの中の三位一体説は
これが「救世主」製造の根源理屈 マジックである。
大乗仏教の仏身観 三身観 三身説 は実は キリスト教の三位一体説と本質は一緒である。
大乗仏教三身一体=キリスト教三位一体説=救世主製造原理
仏教だから 太陽神教だろうというのは実は危険な思い込みとなることもある。特に大乗仏教はかなりの部分が根源起源にユダヤキリスト教が関係している。
基本は大乗仏教はユダヤキリスト教だ、くらいに思って間違いない。
根本の重要理解事項は 大乗仏教というユダヤキリスト教化しかかった東洋思想を 原初元型枢軸の太陽神教に戻そうとした試みが 大日経金剛頂経 般若心経の出現と真言密教の成立ということである。
これ 詳細は今後「性エネルギー昇華秘法」実践しながら考えていきたいのであるが、
キリスト教の325ニケーア公会議の三位一体は 大乗仏教の三身一体観と本質は同一、つまり三身観 法身 報身 応身 に仏の三体を分けて考え、これが同一としてこの三身を具現した仏を本仏ないし真実の仏陀とする考え方は 救世主思想そのものである。
DEUS根源神=精霊抽象神=歴史的肉の存在イエズス を一体としてメシア=神の子=神
イエズスとするのが三位一体説であるがこれがメシア思想のマジックの根源である。
つまり、三身一体観にいう応身 歴史的肉の釈迦 これを法身、報身、応身の合一とみなし、歴史存在、肉体存在を 本仏 真実の仏陀とみなす思考は 救世主、メシア思想そのものである。
反太陽神教のユダヤキリスト教が巧妙なのは、否定した太陽神教の文物レゴミニズムを「偶像崇拝」として排斥しておいて、自分たちの三位一体の肉の存在を特殊存在 真実の神や各種聖人として、結局かれらの現世の形式や異物を 聖遺物として思考停止した救世主への狂信状態の精神構造の信者たちに 手放しで開放し崇めさせることである。
エウロパの聖遺物崇拝歴史の異常さは少し調べればわかる。これが 麻原商工の精液や風呂の残り湯をも崇拝する信者の精神構造と同一の根源である。もっと言えば、性的退廃のシックス【6】の者の性的倒錯フェティシュの起源は三位一体による救世主主義つまり現世の肉の存在を神と崇める精神構造にある。下着フェチ、靴フェチ等 自分がアイドル=救世主と崇める存在の身につける物品を異常に嗜好する変態性癖はこれが根源である。
変態唯物 変態現世存在の異常な嗜好がそのような現象となって表れる。しかし、異常者の観察で分かりやすいが、正常とされる救世主崇拝、聖者崇拝、アイドルタレント崇拝等はこれら変態物品崇拝の異常者と精神の根源は同一である。変態者はその性向がわかりやすく顕現した事例に過ぎない。
今後もこの点は なにより私の思考整理にとって重要と思われるので考え続けるが、
現時点のまとめは、
・キリスト教三位一体説=大乗仏教の三身一体の仏身観=救世主主義
・大乗仏教の反太陽神教化を修正するために出現したのが真言密教
・救世主主義=聖人崇拝主義=聖遺物崇拝=フェチ 変態唯物論 現世物の異常崇拝
・三位一体、三身一体、聖遺物崇拝、は反太陽神教の特有の精神構造の現れ
われら「性エネルギー昇華秘法」実践者は
・太陽神崇拝=法身 理身 汎神論者 【条理】と【道理】にて根源から思考するもの。
歴史存在、肉の存在を無条件の信仰対象などにしないものである。
・グノーシス=般若とは 根源のこの法身 理身 汎神から 【条理】と【道理】にて推理、思考をすることである。これが女神の力=グノーシス タロット8番である。
・真実の太陽神崇拝者は 絶対的な女神の崇拝者、観音信仰のモノである。
また観音信仰は 真言密教によってしか真に成立しない。【6】の者の観音信仰や仏教、法華経信仰はすべてALL 魔道、破滅道、おのれの罪から目をそらす目くらまし信仰にしかならない。つまり、彼らの即身成仏や悪人正機や本覚論は性の病【6】の者の安易な免罪を肯定する堕地獄、【四散・放浪・差別・迫害・隔離・追放】の道である。
プラジュニャフリダヤに曰く「無苦集滅道」―――6には(そのまま反省なければ)仏教も一切の救いの道はない。
蘇民将来子孫也 われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者なり
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい
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甚深の題字。
師匠曰く
□★肉体の【母】を肯定するか?否定するか?ここが人生の重要問題である。我々は肉体の【母】から誕生したのである。この事実を覆すことはできない。いかに変な者でも。鷲が常に云っているのは「宇宙の母」なんだが、この鷲の云っている「宇宙の母」という概念は日本にはないのである。女神信仰こそが、あらゆる宗教の根源にある!ということ。しかし【旧約聖書】という【呪われた書物】の問題である。聖典を人間が政治的理由で【改竄】するという大問題。人間が「創ったもの」はすべて、太陽神に破壊される運命!ということを知らねばならない。
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しかもあの偽の醜悪な三位一体説。バカ聖職者たちの 会議、多数決で決せられた世界宗教の根底教義です。女性性と女神の崇拝の精神のかけらもない、男性原理の産物ですね。この世界宗教の根底教義が政治と会議 の人間主義の産物であることを忘れてはなりません。嘘神信仰って 人間の脳みそが作り出したもの。その意味で人間主義なんですね。
んで、キリスト教神学がこの三位一体を特に難解であるとして、最後は信仰により受け入れるしかない、と結論しているんですね。まあ、宇宙の実相でないことを人間の都合で真理と偽っている以上 【道理】と【条理】で理解できるわけがない。それを「難解」とかいってごまかしている。はなから嘘なんだから 理解できないことを「難解」といって、例えば大権威トマスアキィナスも理解できんかった、末端のお前らはただ信じろ、って常にこういう論法ですね。考えてみればこういう論法は現代の至る所で観察できるもので、制度化さえしてしまってますね。それが学校制度で、学者先生が正しいと言ってるんだから、末端のお前らは信じろついてこい、で結局いまでもこのやりかたで社会は動いている。まあ、現代社会の実態がエウロパの中世暗黒時代となにもかわらんというのはよくよく心得ておくべきことでしょう。バカの権威化、バカの天下、正義、真実とされていることが人間の粗雑な頭脳で考え出された嘘、でたらめ、美言、美語ばかり、というくされきった現実です。
嘘神根底の近現代の本質は 反太陽神であり、つまりは女性を究極のところ根底からバカにしている反女神主義でもあります。究極のところ女神を貶めているというのは、例えば表面は女性の権利とかいってるフェミニズム、女権論者って 男尊女卑男中心社会の目線から女性の権利をいう 実は究極の女性の敵にして反女神主義だということだと思いますよ。一見女性の身方の外観を装いながら実は女性の敵というこういう図式も、現代多く見受けるパタンですね。顛倒の社会構造のパタンね。フェミニズムのバカ女って自分の母親バカにしてるやつばっかですかんね。確かに、男女問わず 現実のこの地上の母をないがしろにしてるバカは 大不幸の者多いですね。100%そうといっていいですね。
十句観音経 もういたるところで唱えまくってます。
時間がないときは 「観音たすけたまえ!」「女神様お助けください!」でもいいです。とにかく、いつもいつも白い月の女神、宇宙の女神、仏母さまといっしょなんだ、女神さまの絶対の加護を心の底から信じ切る。これで人生好転しないわけないですよ。「性エネルギー昇華秘法」の効果も実効性を、増さないわけがない。
観世音南無仏 ああ、女神様おたすけください
与仏有因 いつも女神さまと行動し
与仏有縁 女神さまとともに結果を受け取ります
仏法僧縁 女神さまのお力なくしては太陽神との合一も不可能です
常楽我浄 女神さまのお力でつらい日々の課題も楽に感じます
朝念観世音 目覚めては女神さまとともにあり
暮念観世音 眠るときも女神さまとともにある
念念従心起 いつもいつも我が心は女神さまとともにあり
念念不離心 いつもいつも女神さまから離れず生きてまいります
南無観世音菩薩 女神様、私をお守りください
んで、以上を一言でいうと なもあみだぼ となるわけです。
んでこれ唱えごとの呪文にしたらあきません。観想【真禅】の指標の一つが南無阿弥陀仏
なもあみだぼ であります。
蘇民将来子孫也 われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者なり
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい
師匠曰く
□太陽神の紅の卍との合体の道は第一にこれまでの「性的退廃行為を懺悔」することから始まる!
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その通りであります。
懺悔文 懺悔喝
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋痴
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
我昔所造諸悪業 がしゃくしょぞうしょあくごう
皆由無始貪瞋痴 かいゆうむしとんじんち
従身口意之所生 じゅうしんくいししょしょう
一切我今皆懺悔 いっさいがこんかいさんげ
懺悔文 懺悔喝
我昔所造諸悪業 わたしが過去に為せし性的退廃の悪行は
皆由無始貪瞋痴 皆 自分の生来の貪り、瞋り、痴か が原因です。
従身口意之所生 己の為した身業、口業、意業の三悪業 により虚偽の生でした。
一切我今皆懺悔 性的退廃の反太陽神の虚偽の生のすべてを悔恨懺悔いたします。
華厳経よりの出典とあります。
懺悔 過去の己の性的退廃の女神や太陽神価値を貶めてきた自分の所業を抽象的に反省するのではなくて、明確に反省するために この懺悔文も「性エネルギー昇華秘法」の導入の前に定例として唱えることにします。反省のための反省ではなく、よりよい「性エネルギー昇華秘法」実践のためにそれは必要であると思えます。
現在の定式「性エネルギー昇華秘法」の開始第一に懺悔文を唱えること。
4山水蒙6爻<爻辞>
「蒙を撃つ。冦を為すに利ろしからざる。冦を禦ぐに利ろし」
変7地水師6爻<爻辞>
「大君命あり。国を開き家を承く。小人用うる勿れ」
懺悔文により懺悔を定式化することは、あくまでプラクティスの前座 従とせよ、本は
十句観音経、白鳥の秘法「性エネルギー昇華秘法」である、ということです。
5天水訟5爻<爻辞> 「訟、元吉」
変64火水未済5爻<爻辞>「貞にして吉。悔なし。君子の光。孚有りて吉」
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非常に納得の託宣です。火水△+▽はいまだならず、しかし 5爻にてほぼその完成を見る。つまり白鳥の秘法「性エネルギー昇華秘法」により、人生の完成は半ば成っている。理論面は完璧であり、これを未だ成らずから既に成っているとするのは、最後は自身による「実践」である、の意味と解します。
蘇民将来子孫也 われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者なり
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい
http://www.anjyuji.net/zangemon.html
臨済宗 安住寺の懺悔文の解説。ネット説法にも有益なものもある。ここの解説はよく納得できた。
*今回の神芝居は
水原一平 金の亡者 詐欺師 表面善に見えた悪人
大谷翔平 無邪気な野球一筋の男
松本人志 性奴隷の上納システムを利用していた 思いあがった川原乞食
湯浅弁護士 学問のバカ
いやいつも神芝居はおもしろいなぁ。
いろはにほへと ちりぬるを 色は匂へど 散りぬるを
わかよたれそ つねならむ 我が世誰ぞ 常ならむ
うゐのおくやま けふこへて 有為の奥山 今日超へて
あさきゆめみし ゑひもせす 浅き夢見じ 酔ひもせず
太陽神の神芝居は 常に地上の子供たちである
わたくしどもに「いろはうた」の深義を理解させるための
ものであるかと思います。
しかし、身読は第三句の転句を「性エネルギー昇華秘法」実践しなければできません。
ひとえに太陽神は 蘇民将来子孫に日々 神芝居という形で教えを垂れておられるのです。
蘇民将来子孫也 われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者なり
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい