20240306記事
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1948の3月6日菊池寛死去60歳と。「6」日の「60」歳で死去ね。
芥川賞、直木賞、菊池寛賞創設
文芸春秋社 創設。
両刀使いの者と。愛人多数。隠しもしない時代のこと。
あの 小森のおばちゃま 小森和子は文芸春秋社の社員出身で、公然の愛人だったと。
知らんかった。んで、小森和子は恋多き女で、複数の有名な男たちの愛人であることを隠しもせず、それでゲイノー界に居場所、ひとかどの地位をつくったすげーオンナなんですと。まあ、デヴィ夫人みたいな人か。高級バイタ。
まあ、この菊池寛の週刊文春が 現代の松本人志ほか性的退廃者を多くスクープしてるけど、その創設者自体が 当時最大の性的退廃者というのもなんというか、もう性の病の【6】世界はどうしようもないですね。
【6】の世界は性的退廃を接着剤にしてぐちゃぐちゃにくっつきあって、【バカの集合体】つまり【民主主義】を作ってるというわたしの見解に一層確信持つ事例ですね。
そういやバブルの頃は セックスがあいさつの時代やった、いい時代やったと抜かしている高学歴のバカもいたな。性的退廃=六道世界の接着剤説に一層確信持ちました。
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メモ。私見を交えつつ。
・男性は 「神輿(紅の卍)を担ぐ者となるとき最大の生きがいを感じる。」言い換えると、「太陽神を蘇らすものになるときに最大の生きがいを感じる。」と。
確かに。
太陽エネルギー=性エネルギーで生物の駆動力、生殖本能の衝動ですが、このエナジーが適正な方向に発揮されると、神輿を担ぐ、太陽神を蘇らせるエナジーとなって、つまりマルス戦士となることによって発揮発散させられる、ということです。
・問題は、この性エネルギー、エナジーの方向性が「嘘神の神輿担ぎ」に使われるときもある、ということであります。それが、近くは1980年代の麻原ショウコウとかの自称救世主を持ちあげようとした若者たちの熱狂であり、また、70年代では 本仏論という仏教の皮を被ったキリスト教的異端の教義の元、側近に本仏と唱えさせた池田だいさくという神輿を担ぎあげようとした若者たちの熱狂ということだったわけであります。
・私自身、60年代、70年代 この嘘神を担ぐことに熱狂した両親のもとに、うまれ、育てられた因縁の出事でありました。その熱狂も衰退も、悲惨もまじかで全て見てきました。まだ部分的にはその悲惨のさまは継続中ですね。
・反太陽神の極致がイエズス会もしくはイエズス会的な現象のすべてということでしょう。
古くは 太陽神バールをベルゼブブ—ハエの王と貶めた 新旧聖書のユダヤキリスト教という嘘神勢力。大航海時代以降は イエズス会が 嘘神要素に学術要素の二大部門をもって世界征服乗り出して、それが世界に拡散されました。
・反太陽神 の二大支柱これが 嘘神信仰+学問信仰(アンチ噓神)であります。
嘘神要素=カルトでありこの嘘神は 嘘神そのものの盲目的信仰と加え得て「生身の人間」を神の子としたてて、「救世主」としてこれに盲目的信仰を強要するという手法です。
学問(アンチ嘘神)の理知主義、理性崇拝 リベラルですね。
近現代は 大航海時代の始めに結成されたイエズス会が
この嘘神信仰+学問信仰を世界中に大輸出したのであります。
反太陽神の極致の、強烈な現世主義、唯物論と理知主義、理性主義ですね。
欧米の植民地支配の根底は常にこれら反太陽神要素が存在しますから、
まあ近現代は大 反太陽神の時代といってもよかったと思います。
ジャンケンのチョキ(リベラル)とパー(カルト)の時代。
この流れで
1868以降我が国も、カルトの勃興と、学術の興隆が起きて現代に至っているとなるわけであります。
特に1945以降の 絶頂期が1980年代で
師匠ご指摘のように 大小さまざまの「救世主」があふれ、
朝まで生テレビ文化人大学教授たちが 学問学術により解決があるかのような幻想を世に振りまいたのでありました。
それらの体たらくの帰結がいよいよ昨今の連日のエリートたちの猥褻犯罪逮捕とか、おれおれ詐欺がもう若者たちの新たな就職先になったような風潮とか、ゲーノー人たちの没落とか、政治家たちの没落とか、各種首切り事件の発生とか ばくはつしつつあるのが昨今の情勢となりますか。
・この情勢はまさに 諸世紀の1999の七の月が単なる西暦を言ったのではなく、まさに今がその時ということであります。だから
「恐怖の大王」つまり黒の卐が降臨し、
「アンゴルモアの大王」つまり紅の卍が蘇るときであるのであります。
そして、紅の卍と合一する資格のあるマルス戦士が「蘇民将来子孫」ということであります。
師匠曰く
□【アンゴルモアの大王を蘇らすマルス!】とは、本当の真のエリートである。確信をもって【太陽神の紅の卍】を蘇らす者でないと「性エネルギー昇華秘法」はできない!ということ。【出口は鬼(バアル)である!】が出口王仁三郎の名である。日々、太陽神の研究をする者でないと、神輿を担ぐ者にはなれない!ウソを見抜いて、本物の太陽神を蘇らす者となる!それは達人にだけ出来ることだが、今の日本の状況では、それをやるしかない!
蘇民将来子孫也 われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者也
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい
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メモ。私見を交えて。
・陰謀論も 主張する者が性の病の【6】の者であるならば、
所詮は性的退廃者の性的退廃者に対するやっかみにすぎなくなる ということでしょう。
また、自分本位に生きる 他人軸で生きない ということが 大切であるということかと思います。
エゴ至上にて 魂と霊の上位にエゴを据えるということは結局 究極の他人軸の生き方と同義なのです。
ゴミクズ同然の バグ塵アクタにすぎない エゴ=自我=自由意思を魂や霊の上位にすげるとそこで起きる現象は、 エゴは結局は選択の自由の主体でしかなくなる、つまり単なる 信者や消費者、購買者や、ホスト大好きホストの奴隷や、アイドルの追っかけや
純粋な知的探求心でなく受験技術を猿回しの猿宜しく時間と禁欲によって叩き込まれた他人評価の成績を知性と勘違いする高学歴者とかを生み出すんですね。これらは全部他人軸の者で建前上は自由意思、個人主義の主体として現在の法秩序にて最大限の主体として尊重されてますが、実質は過去史上最低限度の奴隷、他人軸基準の奴隷の中の奴隷なんですね。
甘い囁き、「己の欲望のままに生きよ、己のエゴを最大化せよ。」「理性に生きよ」「純粋理性、実践理性に生きよ 何、批判的に生きればいい」全部同じですね、地獄への第一歩ですね。
カントの純粋理性とか実践理性とかの批判哲学の帰結は結局 強度に他人基準の奴隷の中の奴隷を生み出す、というこれがこの200年の実験の結論ですね。まあ、自由意思、自我とか理性批判とかきれいな言語にだまされないことですね。(理性批判とかって、とにかく全部言語で解決しようとする試みですよ。先に言っちゃう。ああーこれもう言ってるじゃん、なんでこんなバカやんのあんた、言ったじゃんこれやっちゃだめって。って言われたってやっちゃうんですよ。愚行を、人間は。言語で言ったから何か解決したと思い込もうとするのは西洋人のというか【6】の性の病の者のまた、オコトバの病ですね。いや、もうわかってやっている。確信犯ですね。言語でいっとけば、もう責任回避できる。だから、言語でやっちゃいかんことを先に全部言っといて、実質的にバカたちに全部愚行をやらせる、やるんだ、これが。だから敢えて先に言っとく。禁止を。実質やらせたいことを禁止の形式とかで先に言っとく。これが、「哲学」とか「法哲学」の本質じゃねーですか。言語の呪い。顕教の呪い。「やっちゃいけねー、って先にホントはやらせたいことを言っとく」という手口。これが学問の呪い、言語の呪い、顕教の呪いですよ。)
まあ、これが反太陽神の性の病の【6】のインテリの帰結ですね、奴隷の中の最高度の奴隷。キングオブ奴隷。
んでこの単なる選択の主体でしかないエゴをクソゴミでロクデナシ、塵、アクタと自覚して毎日毎瞬間この自我を磔刑にしてぶち殺す この技術儀式が INRIのイエズスの磔刑でこれができるのが「性エネルギー昇華秘法」であるということであります。
選択の主体にしかなりえない、エゴは霊魂に従属させてこそ正常であり、このエゴを霊魂の上位に解き放つことが全体に未聞の世界の大混乱を生み出すという実験 現象をもうわたしは嫌というほど見聞きし、体験してきました。もう十分ですね。
またこれが 涅槃経にいう「己の師とはなるとも、心を師とせざれ」の深義、英知のコトバですね。んで、心エゴ、実在の人間存在イエズスを至上の価値とする生き方が、結局西洋山賊海賊ヤクザ主義 つまり唯物論と理性崇拝の自由意思尊重ということ近現代の根底の二大誤謬ですね。
まあ、これが「カネと性的退廃」の根底の問題。反太陽神ということの問題の本質であると思います。
師匠曰く
□★六道の性的退廃者がいかに「世界」を考えても「妄想」である。親鸞聖人像のように六道を超える者たちは、【性エネルギー昇華秘法の実践者のシンボルの杖を持つ者】である。そして常に鬼太郎のように太陽神の目玉おやじからの教えを受けている。
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「性エネルギー昇華秘法」の杖を持つとは
太陽神とともに生き「性エネルギー昇華秘法」を常に実践し、グノーシスの探究をなすことの表明であります。
己のエゴを抹殺し、「性エネルギー昇華秘法」を実践する 日々の生活にしかまっとうなヒトの生き様はないのであります。
師匠曰く
□しかし毎日「太陽神の紅の卍と合体するために性エネルギー昇華秘法を実践する!」ということは、自分の人生の主役が自分に成った!ということ。
□自分の人生の主役が自分になることは、性エネルギー昇華秘法の毎日の実践することでできることである。その行為によって「太陽神の紅の卍」と「白い月の女神」と毎日向かい逢い出逢うことになるからだ!
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【6】性の病の者シックスの顛倒の世 故の最大の逆説。
「エゴ」至上の人生が、もっとも他人軸の生き方つまり奴隷の中の奴隷に陥らざるを
得ないということ。
そして、己の頭上に 太陽神と月の女神つまり魂と霊をおのれのエゴの上に抱いて生きる事、太陽神と月の女神の子太陽の子として生きる事、これが実は最大限に自分自身の人生を生きることに繋がる。つまり他人本意ではなく 最大限に自分が主役の自分本位の人生を生きることになるのであります。この事実を深く深く考え、また「性エネルギー昇華秘法」の実践をすることです。AVみてマスターベーションするということをやめるというこの行為の意味は、エゴ至上、エゴを魂と霊の下位に従属させる初めの第一歩。
「己の心の師とはなるとも、心を師とせざれ」の第一歩なのであるということであります。
「みんながやっているから」この理由付けが、もう他人軸の生き方の第一歩になっているのであります。己の中のロクデナシの磔刑が如何に最重要事で毎日この連続を為していかねば真実の人生を歩めないのか よくよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。
んで「みんながやっているから」の理論化、政治化が「民主主義」であります。まあ、結局【バカの集合力】を美語化したのが民主主義ですね。反太陽神用語の重要な一つですね。
蘇民将来子孫也 われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者也
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい
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メモ 私見を交えて。
<33>
・33という数字は、秘教やエソテリックの世界では重要な数字である。
・3月3日 雛祭り 得阿耨多羅三藐三菩提=依 般若波羅蜜多 故の「性エネルギー昇華秘法」そのものを祝うことほぐ日。桃の節句。「性エネルギー昇華秘法」の節句。
・三十三 観音菩薩の変化数
・イエズスは三十三歳で磔刑INRIでキリスト復活 33で6から9
・義経神社の義経は33センチ
・京都妙法院三十三間堂は三十三の脊椎骨を表す。
1001体の千手観音がおわす。
師匠曰く
□【三十三間堂の中の千一体の千手観音様とは性エネルギー昇華秘法を援助する宇宙の母の仏教芸術的表現】
<レゴミニズム>
・レゴミニズムは【太陽神の紅の卍と白い月の女神】から来る文物である。
・ゆえに、レゴミニズムを守護し守るものはハイラーキーから守られる。
ハイラーキー高次とは太陽系の諸仏諸菩薩天部のことでありましょうね。
まあ、仏天の加護があるということであります。
・【狸の置物】の一つを守っていてもハイラーキ―に守られる!ということ。
<イエズス会>
・イエズス会こそが「座禅否定」の「性的退廃カルト」の親玉!ということ。
・イエズス会の下部カルトは「過剰な人間的努力で一瞬繁栄するが、すぐに破滅する運命」である。
*まあ、イエズス会は近現代の根底に存在する唯物論とエゴ自由意思尊重の牙城ということでありましょう。現世の繁栄、現世主義の極致つまり性の病の【6】の極致であります。
タロット15番のデヴィルとはイエズス会という理解でよいと思われます。まあ、陰謀論でないので別にイエズス会という語を使用する必要もないかもしれません。
まあ【6】のシックス性の病の者を コントロールし従属させ搾取し、使役支配するそれがイエズス会 デビルということであります。唯物論と自由意思の牙城ですね。つまり学術 学校制度の牙城でもあります。事実そうなんですね。
また、医療福祉制度の牙城でもありますね。
反太陽神の極致の者 あるいは理念そのものでありますね。
・レゴミニズムを守るものはハイラーキーからの守護がある、のですが、ハイラーキーの頂点には太陽神と白い月の女神がおわしますから、要は紅の卍と白い月の女神に守られる。
つまり、おのれの霊魂をつねにおのれエゴの上位に置き 生きる 天道に従って生きるということであり、そのものを太陽神と月の女神が守護するという事であります。
これ、1868年までの日本の素朴なオテントサマに恥じぬ生き方、そして郷土の
オオカミやタヌキやキツネさまヘビ神様達に感謝し 生きていくというあり方だったわけであります。
これが
天道に生きる 女神の行者 そのための牛頭天王と稲荷大明神の結界に守られた日ノ本ということだったということですね。
これが 英国、米国、イエズス会によって完全確信犯的に根底から徹底破壊されました。んで、みな唯物論と自由意思 目の前のニンジン カネとオンナをぶら下げられてこれに狂奔する 性的退廃の中身幼児の大集団が出来上がってしまったんですね。
狸大明神 狸の置物 を守り、牛頭天王の蘇民将来子孫也と自覚し、INRI稲荷大明神を尊崇する 「性エネルギー昇華秘法」の実践者として 今日も一生懸命生きていきたいと思います。
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい
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沢木耕太郎氏につき
門外漢故に謹んで拝読。
なつくさや つわものどもがゆめのあと
という芭蕉の句を思い出しました。
まあ、世は古来 【6】の英雄、成功者たちの栄枯盛衰の廃墟廃物で成り立っているというのがホントのところであります。
たかだか、わたしの今世のいままで50年ちょいの人生でも有名人たちのいくつかの栄枯盛衰を神芝居として見てまいりましたし、身近な親戚知人の生き様一つ一つを種々思い起こしてきてみても、やはりこの【6】の諸行無常、栄枯盛衰、は鉄則でありまして、
一時は 繁栄の頂点を極め奢っていた者たちも 天道からはずれた生き方をしておると、
その衰退、破滅はまぬかれ得ないのである、ということであります。
只の一つも例外はありませんね。
そして、この破滅はなぜ起こるのか、【6】の世界とは何だったのであるか、
天道とは?の種々の疑問、そして この滅びゆくべき【6】の人生から離脱し、
天道とともに生きていくという人間の本道 これが今 改めて明確な言語と表現と方法で示されたのであります。それは救世主や偶像アイドル、英雄を崇拝信仰する 新たな教えの創設新設などではないのであります。
人類の原初、原観念への復帰、枢軸への回帰が本道中の本道であったということであります。そのために伝統の文物の霊的発掘と探究が必要なのであります。 グノーシス=人類最高の英知の探究であります。創設、新設ではないのです。
浦島太郎のお話、桃太郎のお話、法隆寺聖徳太子像の意味、法隆寺五重塔の意味、法隆寺救世観音の意味、日本の大晦日、正月、三月、五月、七月、九月各節句の意味、日本の縁起物の意味それらが志向するものとはなになのか。神社や仏閣の構造や 配置 配置物の意義は何なのか。近く本当に近く日本人のあしもとにこの原初、元型、枢軸はすべてあったのであります。
しかし、それらも本当に使命のある偉大な行者の探究と思索の成果がないと絶対に何一つわからなかったでありましょう。事実ふつうは このヒトの世に生を受けて皆何一つわからずにただ死んでいくだけであるのです。特に1868ねん以降、1945ねん以降はより一層加速度的に この何一つわからずにただ一生を馬車馬のように金儲けに奔走し、酒だ女だの目の前にぶら下げられたニンジンを追い求め、ただ死んでいくという われらニホン土人のありさまが加速してきました。
何もかもが 逆転 逆転 顛倒 顛倒のおかしなよのなかになっております。
ひとびとの英知は 最も賢いものとされる者達でも、実際のところ
いろはうた一つの内容さえもわかっていない、そういうレベル 滅びゆく 目の前の酒とオンナとに狂奔して カネを稼いで病気になって哀れに死んでいく そういった日本土人のレミング—崖に向けて転落していく集団自殺するネズミ—の様相が今 現在の現実に起こっている有様であります。醜く歳だけを重ねた性的退廃の六歳児の 集団破滅の大行進であります。
この破滅の大行進から抜け出て、原初、元型、枢軸への回帰をなし得るためには、
天道 太陽神と女神への懺悔と回帰への誓いの実践の日々を送る必要があります。
見失ったおのれの魂と霊への回帰であります。それを成し遂げる方法が奇跡のように開示、教示されているのであります。それがサーティンキュー師匠の「性エネルギー昇華秘法」であります。真言秘中の秘 秘密の教えが 明確に タダで 公開、公示、教示されております。しかも、サーティンキュー師匠本人の日々の世相解説と実践のアドヴァイスのもと。親切さも極まれり。
ただ、これが真に奇跡であると心からわかるためには 強烈な今までの性的退廃の人生を悔い懺悔し 今後女神とともに、太陽神とともに生きていくのであるという決意と 実践の深化のための探究が必要となります。しかし、幸いなことにこれらは禁欲の苦行ではありません。ただ、真の本道王道天道への回帰の日々となりますので、毎日は深い深い喜びと仕合せの連続となるでありましょう。
蘇民将来子孫也 われは「性エネルギー昇華秘法」の実践者也
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい