20240202記事
今日という日2月2日 1580三木の干し殺し終結、1959ディアトロフ峠事件、ほか
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1580の太陽暦2月2日旧暦天正8年正月17日
織田家の播州征伐の担当者豊臣秀吉の 城攻め 兵糧攻め 有名な三木の干し殺し終結の日です。秀吉の三大兵糧攻め 三木の日殺し、鳥取の餓え殺し、高松城の水責め であります。その内の一つ。
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1959 ディアトロフ峠事件が2月2日に発生してます。9人の男女の 意味不明の トレッキング訓練中の遭難事故。ミステリ-。9人がなんでこんな死に方してんの?という謎は結局いまだ解けていません。
「一行は摂氏マイナス30度の極寒の中、テントを内側から引き裂いて裸足で外に飛び出した(矛盾脱衣)とされた。遺体には争った形跡はなかったが、2体に頭蓋骨骨折が見られ、別の2体は肋骨を損傷、1体は眼球および舌を失っていた[2]。さらに何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の放射性物質が検出された。」
原因不明。謎。なんなんでしょうね-。この事件。
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いやもう 大学とか なんとかに行くよりもこの1年以上 サーティンキューブログで学んだことは かけがえのない至高の価値ある内容やったと思いますわ。
心から。
今までのカルトの家に生まれ なんかそれなりに大変やったことも このサーティンキューブログに出会えてこうして日日学べていることですべて報われてます。
「性エネルギー昇華秘法」にめぐりあえて、実践できること それができて人間に生まれた意味があると 始めて言えるんですよ。
いや、もうやっぱ 太陽神にも 白い月の女神にも,サーティンキュー師匠にも
やはり 毎日 ありがとう ありがとうありがとう ありがとうと叫び続けたい
率直な気持ち
ほんっとおおに ありがとうございます。
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文言を文言のままにしか読めない、顕教と その真意グノ-シスを読み取るという密教の問題は この直接の用語を使用する仏教だけではなく、人類の文字文明の社会で常に問題になる事であります。
そして、文言や経典に絶大な権威性やドグマを持たせる思考と、密教の対立と 問題解決のための止揚は常に重要な問題となります。
典型的【6】の思考は文字や文章 聖典そのものに権威を置こうとします。【6】はつまるところ人間存在の範囲でのみ その空間領域は人間社会、そして人間の生み出したもの、ヒト種そのものしかみていないからであります。よって、文字から始まり、文字 文章 住居 建築 芸術もすべて人間中心的なものを重視します。
文字の形式にこだわるのは人間の所為 行動 造作を重視すること、
文字の背後を重視するのは 人間世界より上位の規範、太陽系の規範を考慮しようとすることであります。
文字の形式重視の立場からは 経典原理主義が必ず生まれるのであります。経典の文言を字義通り厳格に解するのが至高 現実的修正は堕落、邪義とし 文言形式重視であります。この立場ではヨハネ六章五十三節は 幼児の血と肉を実際に食べなければならないということに必然的になります。これぞ【9】の対極にある【6】の極致の解釈と行動となるのであります。
また、仏教においても顕教妙法蓮華経の形式的文言解釈は 妙法蓮華経以前の経典は真実を現しておらず、法華誹謗の罪は堕地獄必定と また身灯供養 捨身供養を形式的にそのまま実践し 焼身自殺も行われるようになり、と現実になっているのであります。
顕教妙法蓮華経の文言解釈 文言実証主義は 天台智顗や日蓮の特徴的なありようでありました。
妙法蓮華経の 【6】礼賛、法華文言重視の一切衆生の救済の約束は 遠い遠い遠い×遠い未来の成仏の「文字だけの」記述であり、空約束 空証文であります。
ともかく文言重視の顕教世界では、文言自体で最高だの以前のモノは真実を表していないだの、とにかく言ったもの勝ち 文書表現したもの勝ちというなんとも お粗末な理由がその文言自体の正当化の根拠となります。
んな馬鹿なというようなことでありますが実際天台智顗や日蓮の諸論の究極の要点はこれです。
おそらく法華経サダルマプンダリカスートラ編纂のインド仏教カルト集団がこの経典の編纂主体だったし、まあ新興弱小のホッケカルトを維持するためにご利益と罰の思想をてんこ盛りに盛り込んで作り上げた んで俺達サイコー俺達サイコー 俺達を誹謗するものは地獄行き というので作文した経典がサダルマプンダリカスートラですね。
んで、同様に弱小王族出身の 還俗者で弱小カルトを主催した翻訳者が鳩摩羅什クマラジーヴァで この男も自カルト維持のため 原典歪めたり創作混入したりして翻訳して何でもありの経典翻訳やったんでしょうね。
全ては 自教団維持のため。 複数の妻がいたっつうから、まあ典型的教祖ですよこの人。
んではっきり言って詐欺教団が作ろうが 詐欺師が翻訳してようが 文字とさえ 仏典という形式さえあれば 尊ばないかんという顯教主義 文章実証主義の者たちが 天台智顗とか日蓮とかいうひとたちやったということです。
まあ、詐欺師の作ったもんを厳正解釈しようとしたんですね。
まあ、こういった悲喜劇コメディアが
洋の東西問わずアホな六道世間では常に見られるということであります。
ホンマバカバカしい。
んで、文言としてサイコーのモノを護持信奉してれば カネに溺れ性的退廃してもすべて許される、と。
信じられませんが、天台の本覚思想とかはとどのつまりそういうことです。弱さも愛すべき人間らしさですから。んなわけないやん。
そして同様の文化産物が 近現代の法学や憲法学ということです。基本的人権や権利章典を 文字にて規定すれば、永遠不滅の天賦人権が保障される、、、、ワケないやん! ということであります。
んなわけないやん。アホらし。
しかししかしですよ、
このアホなヒト種の詐欺師性的退廃者の作成の文学作品とか作文であっても最終的に 女神の力と太陽神の力にて (9)のための作品に変えてしまう 薬しかも妙薬に変えてしまう。
これがグノーシス読みつまり般若波羅蜜多のちから ということであります。つまり、性エネルギー昇華秘法のちからということであります。
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい
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諸世紀10章の72節
1999の7の月
恐怖の大王が天から姿を現すだろう
彼はアンゴルモアの大王を復活させ
その前後は火星が仕合せに支配する
まああれですよね。
世の政治情勢とかそんなくだらないことについての予言では絶対ないですよね。
太陽神にとっては【6】の至高の権力者や国家がどうとなろうとそんなん虫けら以下の動きにしかすぎんわけですから。まったく【6】の動向になんぞ眼中ないですよね。
まあ、すべてはすべてはですよ。世のレゴミニズムもグノ-シス文章も 太陽神の関連する太陽神の息のかかった作品は、要は【9】に対する、「蘇民将来子孫」にたいするメッセ-ジだということであります。太陽神が 相手にしているのは 【9】のみという冷徹な事実です。【6】は太陽系秩序の 害虫、ゴミ、アクタに過ぎませんから、太陽神もしくは太陽神の影響下にあるものが、【6】の者に親切に何かを残そうだのそのような配慮は一切ないというわけであります。せいぜいレゴミニズム保存のための一時的道具として存在が許される とかのことです。6は。
アニュスデイ 最後の審判 イエズスの磔刑が毎日毎瞬間にあるのと同じように、
1999の7の月は 「性エネルギ-昇華秘法」の実践者には、蘇民将来子孫には毎瞬間、日常であるということでありましょう。
そして、【6】の世に恐怖の大王—黒の卐—が降臨して、タロット16番の塔の崩壊がみられるようになるとき
「彼」つまり「蘇民将来子孫」は己の中にアンゴルモアの大王を蘇生させ、太陽の子 黄金の子をはらみ アンゴルモアの者として己が新生、再生し、紅の卍となって。
「性エネルギ-昇華」の達成の前後は、太陽の子、黄金の子、アンゴルモアの大王となって、「性エネルギ-昇華秘法」の戦士は大団円、本末究境等、コメディアを達成するつまりあらゆることを仕合せる 本末究竟する、と こんな意味ではないですかね。
まあ、そんなにハズレでもないと思いますね。
いずれにせよ
確かに本年はわたしにとっても公私ともに 大激動
恐怖の大王が周辺に降臨の様相が色々見られます。
まあ、すべてを受け止めてですね、
わたしはわたしの直接の次元で
本末究境等、大団円、コメディアの実現を為すべく
今日も奮闘しております。
一端実家から自宅東京に戻る前の空港において本文書作成しております。
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい