20240123記事
今日という日1月23日 1902八甲田山雪中行軍遭難事件、1905ニホンオオカミ最後の一頭捕獲、ほか
*1902の1月23日
日露戦争の2年前、ロシアとの戦争の予感が国内に満ち始めた時、雪中行軍の訓練が青森の歩兵連隊でも実行されて 未曾有の被害殉職者をだした 遭難事故が起きてしまいました。
これが映画化もされた八甲田山の遭難事件であります。
わたしも小学生の頃だったかテレビで映画視聴の記憶があります。
北大路欣也だったかとおもいますがかすれた声で「天はわれわれをみはなした!」と叫ぶシーンが繰り返し放送されておりましたね。
今回wikipedia読んでいて新田次郎の小説の映画化放映後、新事実とかかなり発見されたようで、新田次郎の小説そのものが事実を基にした完全創作といってよい内容であったということが明らかにされておりました。
まあ、歴史や文学作品とは 常にそんなもんです。
特に印象的なwikipediaの記述は以下。遭難した青森歩兵五連隊はもちろん、行軍に成功したとされる弘前三十一連隊でも 民間の村の案内人の扱いや対応、待遇が随分酷いものであったというのです。小説や映画では案内人には軍は礼儀と手厚い対応をしたような印象で描かれているようなのですが、現実には 過酷な状況下で案内させられた人たちは寿命をちぢめるほどの状況の中 案内後も既定の日当以上の報酬は支給されず、中には死ぬまで身体の回復せぬ重傷をおってしまった人もいたようです。
参加者210名中199名が死亡。成功部隊の案内人の村人も 短命でなくなるほどの重症をおって数年後に死亡とか 総じて大きな犠牲をだした 事件でした。また案内人は使い捨てといった礼儀も節度もない 対応だったということです。
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1905の1月23日 最期のニホンオオカミが確認された、とのことですが、
もう純粋なニホンオオカミってじつのところはっきりしておらず、
野犬とかの雑種化もあって ニホンオオカミの実体ってよくわかってないようですね。
だから、
いまでも秩父山中なんかにニホンオオカミの末裔みたいなんが生きている可能性って—まあわたしも 根拠などないですが、なんとなくあり得ると、思っております。
秩父の山の奥深さって、なんかすごいですからね。人殺して埋めておいてもぜって-これわかんね-だろ、というような森であります。
まあ、日本全国にこういった森が広く分布しているのでしょうから、どこかにニホンオオカミの末裔たちがほそぼそと 家族たちと共にいきていて欲しいと 素朴に思っちゃったりしています。いきてるんではないかなぁ–。大神ね。
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ノストラダムス諸世紀10章72節を 生徒であるわたくしも
自分の立場で 受け止め 実践深化の年といたしたいと思います。
今年はほんとうにわたくしも公私ともに大激変の年とすでになっております。
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確かに今の諸現象は【6】の終わりの諸現象であるのかもしれません。
まあ、もともと
お笑いや ゲーノ-人やセイジ屋に なんの魅力も感じてなかったですね
これは昔から。むしろわたしは長年学問や学術に幻想や救いをかんじてきたのが長かったように思います。
まあ、子育てを通じて いろいろ学校ともやりとりあり、
「性エネルギ-昇華秘法」の実践を行いながら
子の将来の進学進路などを考えているうちに、
学問や学術への幻想も なくなったように思います。
そして サーティンキュー師匠のブログを今後も
じっくりと拝読させていただきながら、
いっそう自分の「性エネルギ-昇華秘法」の実践とグノ-シスの探究も深化させていきたいと思っております。
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師匠曰く「革新的性エネルギ-昇華秘法の戦士」としてアイデンティティを確立した、と。
それは真の聖書読みの者である、と。
また、題字「世界と戦っている時だけが、私は本来の自分」である、と。
まあ、マルスは 戦いが 生命であり、戦いが 人生 である者でありましょう。
また、それはすべての「性エネルギ-昇華秘法」の実践者にもおなじようにいえることであります。要はこの地上に生を受け、生きている 生きるということは
本来すべてが戦いであるということなのであります。
平和や安穏は 束の間の夢 地上での生は 戦いにほかなりません。
カネと性的退廃のふつうの地上の生にノンをいい、
「性エネルギ-昇華秘法」の実践者であることを宣言することは、即
戦いの人生の宣言をしていることに外なりません。
わたしども「性エネルギ-昇華秘法」の実践者は 性エネルギ-昇華秘法の実践を根本としつつ日々 カネと性的退廃の流れと戦いを継続していくのであります。
また、そこにこそ しあわせと喜びの人生もあるのであります。
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい