*20240122記事
今日という日1月22日 1976大久保清1971の連続強姦殺人につき死刑執行 写真wikipediaマツダク-ペ
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1976の1月22日 大久保清の死刑執行の日です。没年41歳。
性欲絶倫の異常性欲者ははっきりいって世にあふれかえるほどいるわけであります。
まあ、絶大な太陽エネルギ-は抱えて生きる人間存在の 象徴として有名犯罪や犯罪者の存在があるわけであります。
単に異常な性欲の持ち主という犯罪者の特異性質に 原因をもとめようとすることは余り実りの多いものの見方とは思えません。大久保清は「わたし」であり、「わたし」は大久保清であるという 視点からこの事件を見ていくと 学びも大きいのでないでしょうか。
強大な持て余し気味の性エネルギ-の正当の運用は わかってみれば「性エネルギ-昇華」という方向性しかないわけであります。しかし、これに目覚めることができない場合、性エネルギ-は 漏出か暴走かという帰結しかなくなります。
漏出—つまりマスタ-ベ-ションは誰にも迷惑を掛けない、という人間界の法律の世界では犯罪になりません—だから、好きなだけ マスタ-ベ-ションはやりなさいというのがわれわれの生きている現代社会であります。
しかし、漏出は漏出そのものが 罪である とする視点というのも一つの思考実験で考えてみることも必要であります。そして、事実 気付いてみれば 性エネルギ-の漏出は太陽系秩序のもとでは許されないことなのでしょう。あるべき運用は「昇華」一択なのであります。
一つの思考実験として、「漏出」そのものが罪であるのならば、
自宅でAVみてマスタ-ベ-ションしている者も、
現実の物理的存在の女性を物体として性欲発散の対象物としてセックスしている者も
「漏出」という点ではかわりがない。となります。
これを 犯罪か否かを分けるのは、
女性の同意があるかないかだけというのは 人間界の法律がそうであるのであって、
まあ、確かに人間界の犯罪者にならない選択というのは確かにひとつの常識的な解決であるのでありますが、—太陽系秩序の視点から言えば、性エネルギ-の漏出という点では同列であります。
また、他人の命を奪うという点についても、
人間界の法の考え方では、人権や生命という法益を保護し守る為に許されない、という考え方となるのでしょう。しかし、太陽系の秩序維持の無用物 廃棄物の廃棄の観点から、大量殺人現象としての災害、戦争が肯定されるという思考実験も可能な訳であります。これが是とされたとき、大量殺人が必ずしも太陽系秩序においては罪でもなくただの調節機能として作用しているに過ぎない という見方もあるわけです。この視点から言うと より多くの人間を殺害消滅した者ほど有能な清掃者 という評価もあり、歴史上常に大量の殺人者粛清者が一面では英雄として扱われる現象というものも 不思議な現象であります。
生命尊厳や生命尊重などという思考も いかにも永遠の不変の真理のようにわれわれも教育を受けてきている訳でありますが、そんな人間界の観念など 状況によっていともたやすく変化してしまうことなど 歴史を虚心にみて事実をひろっていっているとままあることではあります。
まあ、【6】にとって現状肯定の 生命尊重 絶対平和の人間界にしか通用しない観念や現象なのか、とか【9】にとっての太陽系秩序の維持 という次元の観念や現象なのか、とか、
虚心に道理じょ条理をもとに現象を考えるということも必要かと思うのであります。
別に犯罪者だから劣ってるとか、また犯罪者だから優れているとか 正義や優劣により判定するのではなく、犯罪は一つのその時代の人間存在や社会の縮図や象徴としてあらわれる典型的現象であると考えると、コリンウィルソンが過去に記述しようとした犯罪者の諸現象の研究というものもまあ ある一定の意味はあるかと思うのであります。
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大変貴重な師匠のもとカルト関係者とのやりとりのお話です。示唆に満ちてます。
まあ、伝統仏教のそれなりの立場の者が カルト集団の一員だったというのも興味深いですし、まあ伝統仏教者の「仏教」というレベルってどんなものかも拝察できますよね。
というか、日本の伝統仏教の関係者って もうほとんど妻帯者ばっかですよね。
どの宗派も。べつに浄土真宗に限らず。
まあ、厳しく言うと みな僧侶のコスプレしてるに過ぎん存在ですよね。
まあ、いわゆる僧侶 いわゆる聖職者って、【9】=「性エネルギ-昇華秘法」の実践者の為に、教義や文献、建築や寺宝を残すために存在しているに過ぎない性的退廃者です。
これが現実のところであります。
わたしの身近にしっている「いわゆる僧侶」も100%これですね。
だから、
【9】は基本的にいかなる組織宗教、仮に伝統的なものであっても所属する必要なんてないですね。
特に今のインタ-ネットの時代に。
人生はあまりにも短いので、
おのれの生物的物理的生存のための最小限の地位確立のための戦いをまずなさねばなりません。これだけでも結構大変です。1000年前は乞食業、托鉢業だったりするわけであります。
まあ、現在でもそれなりに結構大変な労働をこなさなければならんですね。
加えて、生活のための労働だけでおわって、家帰って酒かッ喰らって、風俗通ったり、AVで オナニ-して日々費やしておわるのがふつうの労働者ですけど、「性エネルギ-昇華秘法」の実践者は 余暇をグノ-シスの探究に費やしていくわけです。しかもこれ、これ自体が喜びという次元にならなければ意味ないし、喜びになれば サイコ-の時間の過ごし方になりますね。
こうなると、人生はほぼ無駄のない 充実したものとなっていくわけです。
いやまことありがたい日々を送らせて頂けております。
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい
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なるほどなぁ。
地球人というインサイダ-に対して
アウトサイダ-の火星人という関係の問題との表現もできるということであります。
地球人の退廃と堕落の問題の解決は、ね。
ノストラダムスの諸世紀の10章72節によると、そうも言えますね。
【6】は地上の圧倒的多数者でありますから、地球人ですね。
たしかに、此の圧倒的多数者の 退廃と堕落に染まらない存在って、
別の惑星人であるということといえますね。
太陽系人類=火星人ということでもあります。
火星=マーズ(マルス)=戦いの神の星ですからね。
火星—火の星—INRIの星でもあります。
まあ、戦いなくして 真の人生なしですね。
結局 カルトとの死闘って、地球人との死闘といういいかたもできるということか—。
カネと性的退廃に生きようとする 地球人との死闘なくして、真の太陽系人類とはなれないですからね。
そして、とはいえ この地球でうまれた存在である 「性エネルギ-昇華秘法」の実践者は、この 戦士の星 火星の知識 を指向して 地球人にして火星人ともいえるような存在を目指す、単なる地球人で終わるというのではなく、
地球人であるとともに火星人ともいえる、「太陽系人類」とならなければならない、ということでありましょうか。
ためには、師匠の言われる【性エネルギー昇華秘法の確信的な戦士】とならなければならない、のです。そのためには「性エネルギ-昇華秘法」の実践と深化が欠かせないのであります。
性エネルギ-昇華秘法の確信的な戦士とは 蘇民将来子孫でもあります。
性エネルギ-昇華秘法の確信的な戦士とは INRIの者であります。
性エネルギ-昇華秘法の確信的な戦士とは 紅の卍の者であります。
性エネルギ-昇華秘法の確信的な戦士とは 布袋尊であり、大黒尊であります。
性エネルギ-昇華秘法の確信的な戦士とは 毘盧遮那の崇拝者であります。
性エネルギ-昇華秘法の確信的な戦士とは 金胎一致の智拳印の大日如来の崇拝者であります。
性エネルギ-昇華秘法の確信的な戦士とは 「旭」の者であります。
ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい