kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
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20231218注目記事日中随時更新 グノーシス文書は比喩文学の原点である!ほか

20231218記事

今日という日12月18日 1695年(旧暦11月6日)徳川綱吉が中野に16万坪の犬小屋接地

有名な生類憐みの令だが、よくは知らんかった。治世の内、69件摘発中(6から9!)死刑20件とか。は—わんこ殺して20人死刑か。たかだか300年ちょいで、熊射殺する世の中がきたわけだ。人間のつくる法とかいかにいい加減か、わかる。

・無茶無茶 殺伐サツバツの人命なんかゴミの時代の戦国の世1,600年終了→人々の殺伐の気風改めるために100年後わんこ殺したら死刑って法作った。

・人間の命は地球より重いの時代、女衒やバイタや痴漢盗撮おじさんたちが蔓延する世の中

→熊さん射殺 けど犯罪者やゴミ人間の命は地球より重いの対応となってる。なわけね-じゃん。

グノーシス文書は「譬喩文学の原点!」である!

*メモ

ヨハネ福音書6章53節はグノ-シス解釈、密教解釈でないと相当やばい規定である。原理主義ファンダメンタリズムが聖書の文言を文言通り厳格に解釈行動することとされているが ならばどういう結果が生じるのかは明らかであります。

人類社会の言語の二重基準の問題は常に意識していないとなりません。

文字で概念を表現するとき 表面上の意味と真意が常に存在するということであります。

これを「譬喩文学とグノ-シス」とも仏教の用語では「顕教と密教」ともいいます。

宗教の本義は「性エネルギ-昇華秘法」により太陽神と一体化するであります。これが人の本来の原初の観念であります。

この本来的な人 原初の人 つまり太陽系にて太陽の秩序の下 生きているヒト、頭上のお天道様を常に意図的に意識し続けて生きているヒトは原初の人で「太陽の子」であります。

しかし、このお天道様を意識せず、浅はかな天道以外の 神を信じその神の正当化の根拠が文献や文書であるばあい、その神は疑似神、嘘神、文字の神、人間の意識が作り出した神であります。これら嘘神を信じるものを総じて反太陽神教 といっていいでしょう。

これ嘘神の代表が聖書の神ヤハウェであり、妙法蓮華経の久遠元初の自受用報身如来=本仏であります。これら本来の太陽神の代替の疑似神嘘神は究極的に人間の都合、にんげん本位に作り出されたモノであります。人類史は ありのままの太陽神の現象がときに残酷に見えるとき、ご都合主義的ににんげん本位の疑似神をつくって 太陽系秩序の恩恵に甘え切った6歳児の自分を6歳児のままでとどめ成長をやめ、6歳児の中身で「カネと性的退廃」に耽り始めます(信じることの強要、天文学的な未来の一切衆生成仏の約束、現世の利益—ひで-詐欺じゃん)。中身の成長は6歳児で留めている癖に「成長」とは多くのカネとモノとしての雌、オンナを獲得し侍らせる努力と技術の習得の複雑化と高度化を「成長」と勘違いしています。どうしようもないクソ、ゴミです。中身は最高で6歳、太陽系秩序の6歳児以上には絶対に成長できません。途中で「痴呆症(=認知症)」という病気を患い6歳以下に精神年齢が低下していく現象も、この天道に反逆した顛倒のヒトたちに多くみられるパタンです。

けっきょく、宗教の本義は太陽神教であり、太古すべてはこれであったのですが、地球上の

各所で 人類が社会や文明を形成し、特に文字を形成してある段階になったとき、太陽神への帰依の観念を社会全体が忘却し、自分たち人間の営みや社会の都合の方を上位の太陽系の秩序より優先、優位に主張するという逆転現象が必ず観察されます。

これ所詮は下位の人間存在の上位の太陽系秩序に対する反逆現象にすぎません。わかりやすくいえば、上下の道理の分からぬ自分都合でしか世間を、世界を、宇宙を考えられぬ精神年齢6歳のクソガキの駄々、わがままに過ぎないのであります。

しかし、この道理、条理、上下のわからぬクソガキは数だけは多いので、徒党をくんで頭上の太陽神に反逆の拳を振り上げようとします—これが民主主義。そのこぶしの振り上げ方も、覚えたばかりの文字や数学といった片面的知性で持ってさんざんにイキガロウトします—学問。本質が6歳のばかゆえ、上下の逆転顛倒がわからぬまま、文字の装飾と数学の装飾を異常に複雑化して太陽神に反逆しようとします—学問の複雑化。さらに ばかクソガキほど肉眼の目に見えるセカイしか理解できず、徒党を組むので、何事においても外見外観の装飾を異様に華美にします。服装、持ち物、建築、住居 すべてを豪壮華麗にしておのれの天道に反している不安や破滅への予感を常に忘却し忘却に逃れようとします—外観の美化。

太陽神、天道に反していることを魂の内奥では知っているのですが、ひとたび道理天道に反した人生をスタ-トしてしまうと、自分一人と自分の魂と向き合うということを避けようとします。したがって、此の顛倒の6歳児は 孤独を極端に嫌がります。破滅と崩壊を少しでも先送りにし、強がり続けるためには何でもします。顛倒の6歳児の癖にいたずらに生物的には年齢を重ね、太陽神のエネルギ-である生殖衝動性エネルギーを持て余し、漏出と暴走させることに快楽と快感を求め続けます。中身は6歳児で 「カネと生殖衝動」や美食や種々の退廃にまみれた醜さは極限にまで増し続けます。中身は6歳児のままですが、「カネの獲得と生殖衝動の充足」を原動力とし、行動するその経済活動と性的退廃の面だけは異常に経験と年数を経たような状態になります。退廃と老化の異常進行です。外見は老人です。しかし中身は依然最高6歳。場合により、外見は老人なのに中身は3歳以下ということも最近は珍しくありません。

この中身は6歳の カネの獲得と雌の獲得のための経験と技術にだけは長けたサルは 同じ価値観のサル達どうしの序列とマウンティングは最大の関心事です。本当は太陽神=魂と自分との関係がまずは人の成長の第一歩なのですが、これにふたをして同じサルたちの中だけの序列やマウンティングに「しか」関心はありません。そのサルたちの中での序列の目安にかつては身分制度がありましたが、現在は「学歴」や「賞」、勲章というもので位階を補強します。このニンゲン位階と序列の為に作った学歴と賞と勲章はその成立と維持自体多分にいかがわしさの極致であります。

しかし、これら学歴のピラミッド秩序と賞と勲章の維持のためのメッキや宣伝には入念に費用も手間もかけて維持形成がおこなわれます。高位階はより多くの「カネと雌」の獲得の為に、通常有利と考えられています。(しかしこの制度も一定周期で制度疲弊し形骸となり 有効に機能しなくなるようです。現在その様相を現実に目の当たりにしつつあります—学校制度崩壊。社会崩壊)

太陽神に反逆する6歳児の精神年齢で 「カネと性的退廃」のための世故にだけは長けている、これが 嘘神の周辺に群がるサルたちの特徴です。所詮、出発点が太陽系秩序に置いての太陽神への反逆という「犯罪」が出発点でありますから、かれら序列と性的退廃で群れ合う集団の結束は互いの共犯意識であります。共犯意識は その犯した罪が強ければ強いほど強固になります。また、得られる性的退廃による快感もタブ-が強度であればあるほどタブ-を破る事により得られる快感もより強度になります。これが位階の上位者退廃の極致の者たちのエリ-ト組織の参入資格だったりします(極度なタブ-の侵犯が参入の要件とか 殺人とか食人 これで強力な共犯意識が形成される)。

この共犯意識と禁止の侵犯つまり可能な限りの犯罪の連続が この太陽神に反逆した外見は老人である6歳児の支配層、高位階者の特徴になります。太陽神に反逆し、おのれのエゴを至上とした6歳のさるは「カネと性的退廃」を第一段階から第七段階まで順次タブ-を侵犯しつつお互いの共犯意識をたかめ 転落と堕落を極限まで進めます。

  • 一マス-ターベ-ション 理想の女性像女神像を汚す
  • 二肉の女、男を犯す
  • 三肉の女、男の子供を犯す
  • 四肉の女、男を犯し殺す
  • 五肉の女、男の子供を犯し殺す
  • 六肉の女、男を犯し殺し食べる
  • 七肉の女、男の子供を犯し殺し食べる

一から七まで 共犯意識とタブ-の解禁また反逆度太陽神からの距離は最大級になります。引き返し可能地点ポイントオブノ-リタ-ンは上記第二段階まで、最大第三段階までと思われます。

反太陽神宗教はすべて文字、聖典重視のものばかりです。6歳児が6歳児のままでとどまるとは、文字の表面を理解する限度でとどまるということ、もしくは文字の表面の意味通りに譬喩どーりに留まろうとすることであります。つまり、6歳児が6歳児のままでいる太陽神の反逆の状態とは文字を文字のまま理解する限度に留まる事の選択でありますから、これを顕教第一主義 と言ってもよいでしょう。人が太陽神へ帰依する精神的成長をするということは、文字の真意 比喩の真意 グノ-シスを読み取る つまり第三の目を開きグノ-シスと真言を読み取るということであります。これは 6歳児以上太陽系の大人、 太陽の子でしかなし得ぬことであります。性エネルギー昇華秘法つまり密教手法が必要となります。これが密教を選択する深義であります。密教とは 女神の崇拝、紅の卍の太陽神教の異名であります。したがって、顕教は それだけであると 女性の蔑視、暗黒の卐の太陽神教の異名となります。

顕密一致で 紅の卍密教+黒の卐顕教=田 で太陽神(魂)であります。

堕地獄堕落の極限6歳児にして老人の極致がヨハネ福音書6章53節等を文字のままよみとり実行する、太陽の子【9】の極限の対極の者であります。極限の顕教の者。上記七段階の者 ヒトの子を犯し殺し肉を食べるもの が卐の奥の院に存在することはこうして推論されます。表面には愛と平和、自由と平等、人間の尊厳を唱え 人の子を犯し殺し食べる者の存在は 事実としてあるのでありましょう。推して知るべしです。実証はできません、死人に口なしです。しかし、数学的な推論の結果 その存在可能性は限りなく高いといわざるをえません。

潜聖増上慢つまり聖人の顔をした悪魔の問題であります。ハムサムセンの極限。

まあ、こういった【6】聖人の顔をした悪魔の極致の存在を心にとどめておくことは大切であると思います。【6】の頂点に君臨するタロット15番の悪魔の魔力はこのあたり(最大のタブ-の侵犯つまり【9】殺し=6歳までの神の子としての幼児殺し)に秘密があるのかもしれません。

ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい

上記内容 オンゴズデイヴァ誓願随喜延命ソワカ×3 ハーム-サッ

24地雷復3爻危うけれど咎なし。運の盛衰に注意せよ。

変18地火明夷3爻 蟲の弊害甚だ深し。いふべからざるのとき。改正の処置につき厳格に過ぎるため、一時人望を失ふ。しかし、果断の徳をもってして終には大功を得る。

いってはいけない真実に触れ 一時人望失うが、断固として揺らぐな、遂には大功がある、との託宣とみる。どうせ失う人望などない。重要な内容であると思われるので、ここに記して記録を残しておく。

文章を書くこと自体が楽しい!

*メモ

井上光春—ときどき師匠のブログででてくる作家。瀬戸内寂聴のもと不倫相手と。まったく知識がないのでインタ-ネット検索。

井上光春のウィキ

はぁ—。けっこうおもしろい経歴です。独学で各種検定試験に通った。戦争中国家主義思想に影響受けたとか。要はナチズムでしょう。戦後は共産主義思想か。

ナチズムとユダヤ思想の両極を渡り歩いた、と。

戦争中の 戦記文学とか 被差別部落の文学とか この両分野の作家ってたしかにあんま聞いたことないなあ。生い立ちや経歴の多くが詐称が多かったから「ウソつきみっちゃん」で全身小説家 かぁ。

おもえば戦後の小説ってホントよんだことないあなぁ。二十歳前後のバイブルは コリンウィルソンの『アウトサイダ-』、『宗教とアウトサイダ―』でしたか。しかも、線引きぼろぼろになったこれら全部今では手放してしまって手元にない。んで、今でも記憶に残っているのはコリンウィルソンのドストエフスキーの評論の特に『カラマ-ゾフの兄弟』の大審問官の章の分析ですね。あと『悪霊』ね。これらは卐のちからや卐の秘密を垣間見えさしていると思いますね。おそらくドストエフスキー自身強烈な性的退廃者の大天才であったろうと思われますが、そういった悪魔組織での性的退廃の極限の経験や生きるか死ぬかの経験が 一種異様な雰囲気と情念でかかれている作品だと思います。

きほん明治以降の日本文学って植民地文学ですよね。特に戦後はホントひどい。これ師匠もどっかでいわれてましたけど、石原慎太郎や村上春樹や村上龍 ほんまよむに値しない。もう1ぺ-ジよんでゲロでそー。こんなあほうたちが文化人や政治家だってもてはやされる社会ってもうやっぱ、社会自体がおわってんだという何よりの証左だと思います。んで、わたしも芥川賞作家の発表分をなんかの機会でざっとよんだことあったけど、ほんとゲロでそう。時間の無駄。いやマイナス。

こういう経験があると、もう読もうってなんね-ですよね。確かに 賞という権威でゴミをむりやり売ろうとする詐欺ビジネスが 文学賞とか中心の日本の文芸かな。マンガという分野の方が 優れている気がしますね。ほんま あらゆる分野で詐欺が基本の植民地やと思います。

よく読んで今でも置いてんのは、横山光輝『史記』、『三国志』んで、史記のエッセンスマンガ『東周英雄伝』ですか。『東周英雄伝』たった三巻のマンガです。古本屋で一冊百円で売ってんの見かけましたけど。これはもう糸がとれてぼろぼろになるまで読んで今でも手元に置いてます。マジでこれ読んでると涙が出てくる。歳取ると涙もろくてあかんです。絵も台湾人作家の故 鄭問 の非常に美しい絵のマンガです。今この文を読んでる方 是非お勧めします。これがバブル期の確かビッグコミックスピリッツで連載だったというのが信じられん。史記のエッセンス。「天道(太陽神)是か非か」。1980年代にリアルタイムで雑誌で読んでた記憶がありますね。