kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
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20231018注目記事日中随時更新 死神を崇拝する者が最も賢き者 来島恒喜と広田弘毅 ほか

今日という日10月18日 1889来島恒喜により大隈重信遭難

来島恒喜 玄洋社社員 後の文官でただ一人A級戦犯とされ東京裁判で死刑判決を受けた広田弘毅と結構な関係がある。来島恒喜とこのテロを途中まで協力 実質共犯のような関係にあった月成巧太郎が、広田弘毅の妻の父である。しかも、広田弘毅の妻、つまり月成巧太郎の娘 静子は広田弘毅が東京裁判に起訴されて間もなく夫の裁判の行方を見ることなく服毒自殺をしている。玄洋社の関係者の娘である自分の存在が、夫の裁判の動向に不利を与えないように、また後顧の憂いなく夫が裁判に臨めるようにとの配慮からの自裁と思われる。この死は なぜか来島恒喜の自裁と重なって見える。

右翼はright(正しい)の意義である。結局、大隈は死ななかったが、不平等条約の一層の改悪は阻止できた。来島の一死によりて 目的は達成された。

また、広田弘毅は A級戦犯の 巣鴨拘置所での絞首刑のまえに皆が「天皇陛下万歳」を唱えた中で、ひとり「天皇へいかマンザ-イ!」と叫んで刑に臨んだとなっている(異説あるが、わたしはこの漫才説はありそうな話と思う)。広田弘毅は 明治以降のイエズス会傀儡天皇家の秘密を知っていたのではないかと思われる。

死神の出現を喜び、死神を崇拝する者が、最も賢き者である!

師曰く

太陽神の50%は「死神」だということ。だから「死神を崇拝する3人は太陽神を崇拝している!」ということ。

太陽神の一義は虚空の中心 宇宙の中心 太陽系の万象の生と死を司る。

虚空宇宙の中心に存在する太陽神(田)=卍+卐

虚空=太陽系 太陽系の中心に (田)は存在する。太陽系の万象をあまねく照らす。

卍として        卐(死神)として        

卍エロスの根源=生の根源=性の根源  卐タナトス死神=死を支配=死滅と破壊を司る

太陽神のもう一義は己心の中心の魂(田)=卍+卐

人の自我(エゴ)が(田)を指向する場合→調える。この人を支援し育む。この場合卍。

人の自我(エゴ)が(田)から切断の場合→調伏する。【四散・放浪・差別・迫害・隔離・追放】の現象を引き起こす。

人の自我エゴはろくでなし6である これが(田)と合一するためには、意思の力、個人の努力だけではどうにもならない。白い月の女神の助力を得なければならない。

白い月の女神の助力を得ることを、性エネルギ-昇華秘法といい、仏教用語では仏母=般若波羅蜜多という。グノ-シスの言葉ではINRI(6のすべてを火-女神の智慧によって9に転換する)

つまり、自我6がINRI、般若波羅蜜多、性エネルギ-昇華秘法、イシスの秘儀により9となる。

これにより 9となった者を旭ともいいホルスともいい、太陽の子ともいい、ウルトラマンともいう。

自我エゴが魂と切断された状態を「冥」または「6の者」または「ユダヤ」という。

魂と切断されたとは、太陽神と切断されたということと同義である。なぜならば己心=宇宙であり、一念=己心は即 三千=宇宙であるから。これを展開観察したのが天台の法門である。妙法蓮華経における文学の天才鳩摩羅什の十如是義訳ーーーサンスクリット原文は十如是はない。鳩摩羅什の創作ーーーがもとになった、この己心は即宇宙という天台智顗の観察は、それ自体では、実は問題解決、救済の道を何も説いていない。ただ、己心は即宇宙と言っているだけである。己心は即宇宙という観察はなにか深いことを言っているようで、現象の一面を高尚な言語で説明し精緻化しているに過ぎない。この、己心に宇宙を観るというのが、天台智顗の摩訶止観=観想の骨子であるが、6の者がただ、己心に宇宙を観たところで迷いの6の自我が 暗黒の6の宇宙を三千に観たに過ぎない。6はただ6である。6が6の宇宙を一層複雑に観たからと言って、結局何事も起こらない。逆に、解決が迷路に入り込み一層複雑化するか、あるいは 複雑化した迷宮の地獄=6世界に一層囚われ、抜け出せなくなるだけのことである。単純な観想がそれだけでは迷いと迷妄を一層複雑化する危険性はよく知っていないといけない。

この単純な天台の止観 観想の迷路への道を打開することは、天台が密教化することに依るしかなかった。観想のための観想、目的なき観想は6の地獄へ一層迷い込み閉じ込められる基になる。密教化とは要は 太陽神との合一という観想の明確な目的の導入である。しかも、太陽神との合一は、絶対的に女神の尊崇 女神の力が必要になる。単純に太陽神との合一といってもそれは不可能なのである。女神の助力があって、太陽神との合一は初めて成り立つ。結局、密教化とは女神の力の導入ということなのである。単純に太陽神との合一を意志の力で成し遂げようとしても無理なのである。

そして、「女神の助力を得る」とは、「性的退廃がない」ということとまた同義なのである。

であるならば、「性的退廃がある」ならば、「女神の助力を得る」ことは絶対に不可能になるのだ。「性的退廃がある」とは非常に多様な範囲を含む表現であるが、要は「女神の助力を得る」に必要な性的態度や姿勢が必要だということである。

そして、「女神の助力を得る」に必要な性的態度や姿勢とは、もうひとえに性エネルギ-昇華ができているか=性エネルギ-のフィードバックが適切にできているか、ということに尽きるのである。ゆえに、「女神の助力を得る」に必要な性的態度や姿勢の形成を意志の力のみで行おうとしてもそれはまだ、「性的退廃がある」と言わざるを得ないのだ。つまり、禁欲ではダメなのである。禁欲は結局、より強度な快楽を得るための手段に過ぎない、つまりより複雑化した性的退廃の一形態が禁欲なのである。オナ禁、禁欲—意志の力で性的退廃の第一歩であるマスタ-べ-ション等をやめようとしてもダメなのである。

性エネルギ-とは、生エネルギ-であり、太陽のエネルギ-そのものである。生物はこの太陽のエネルギ-により駆動する生き物である。問題なのは、太陽神が 正の面卍と負の面、死神卐をもつことに対応して、この我々の駆動力太陽エネルギ-=性エネルギ-表出の方向も正の表出卍と負の表出卐が当然あるのだ。性エネルギ-が適切に無駄なくわれわれの活動に使用され、漏出や暴走がない状態卍と 性エネルギ-が無駄に漏出したり、暴走したり、制御不能になったりしている場合卐である。

性エネルギ-の運用が適切な状態は 性エネルギ-昇華秘法によるしかないのである。これにより卍が卍の結果を生み出す。つまり我々の生き方の卍の姿勢が卍の結果を生み出す。性エネルギ-昇華秘法を行っている人物を、魂 太陽神が調え応援するとはこのことである。

一方性的退廃者つまり性エネルギ-の適切運用ができていない、漏出や暴走、制御不能に陥っているものは、この卐の姿勢(漏出、暴走、制御不能)が卐の結果を当然生み出す。

具体的には漏出とはマスタ-べ-ション、暴走とは売買春・不倫・乱倫等、制御不能とは性犯罪であるが、これらは当然卐の結果をもたらす。

また、現実存在の女性とのつながりセックスによって、人は社会の体制、機構に組み入れられ、取り込まれていくのだが、その人の性エネルギ-表出の態様によって、現実の6社会への 没入の度合いは性的退廃の度合いが高度であればあるほど、6の機構への埋没もより深くなる。6の機構への過剰適応の強度と性的退廃の度合いは正比例する。

一般的に、性的退廃者の弁護弁解はつきつめると、「みんなやってる」と。これにつきる。民主主義である。民主主義とは結局6の者が自己の性的退廃をごまかすために理論化した原理なのではと思えてくる。こうして、みんなやっている、という主張でみんな卐の結末、みんな仲良く地獄行きの結果になるのである。結局6の主要思想民主主義は「赤信号みんなで渡れば怖くない」、結果みんなで地獄落ちになろうという地獄落ちの破滅の思想にほかならない。人間存在のありのままの肯定、弱さの賛美、愚かさの賛美、弱さ万歳。馬鹿万歳。性的退廃の愚かさを数の力を頼んで肯定してもまったく無意味である。魂(田)の審判は冷徹無情 数学的 機械的に 結果があらわれるからだ。そこには一切の情状酌量も、人情もない。神の審判の前には人は最後は一人で立つしかないのだ。

師曰く

【旭】という漢字は、空海が唐から持ってきたレゴミニズムの【両界曼荼羅】でもある。

*メモ 考察

いや、考えたことも無かったが、言われてみるとその通りである。

旭=九+日=金剛界曼荼羅+胎蔵界曼荼羅=太陽系宇宙全体

太陽系宇宙全体=一念三千=妙法蓮華経 つまり

金剛界曼荼羅+胎蔵界曼荼羅=妙法蓮華経の教主釈尊は大日如来

先の天台法門はこの二つを取り入れて、迷路から脱出し、実質ある己心=宇宙論を展開できるようになったのである。つまり、金剛界曼荼羅 胎蔵界曼荼羅の教主大日如来=太陽神の導入が天台法門 摩訶止観を真に完成させたのである。

妙法蓮華経は断じて専修法華の6の者どものものではなく、太陽神を頭上に抱くホルス 9の者が太陽神からの知識もその功力も深義も真に所有するのである。

般若心経に曰く 「無知亦無得 以無所得故」—つまり、「6の者は知なくまた得るところがない。6の者は太陽系においては何物をも持つことができないからだ」と。

師曰く

ウソの書であり呪われた書である「旧約聖書を信じる者たちは、四散・放浪・差別・迫害・隔離・追放」に堕ちる

曰く

人間の生きる目的は「イシスの秘儀で誕生する黄金の子ホルス」になること。

ありがたい ありがたい ありがたい ありがたい