kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
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20230901注目記事日中随時更新

日蓮と梵字

日蓮が自らの花押に vam 大日如来を籠めることは、不動・愛染感見記とは一致する。大日如来を中心に据えた大日三尊は不動・愛染を右左に配す。

日蓮の漫荼羅を見ると、その左右に梵字にしては、縦長の不可思議な記号のようなものがある。『本尊三度相伝』には、これを不動・愛染であるという。(富士宗学要集/相伝・信条部/昭和11年12月24日/P53)
しかし、この相伝には、花押が大日如来に拠っていることは記されない。けれど、右左が不動・愛染で花押が大日であれば、この配置はまさに大日三尊と一致する。(左上図)たしかに感見記も考慮し、大日如来から不動・愛染を記す点を見れば、この梵字が不動・愛染であると思えるのである。

一番左が不動の種子カーン、次がカン、次が縦長に変形した図、一番右が日蓮漫荼羅の右梵字である。

このように見比べると、日蓮が縦長に記したのは、不動ではなく、カンであると断定できる。

次に漫荼羅左の梵字も見てみたい。これは愛染の種子であるという。となれば、ウンである。しかし、そうだろうか。足下の渦が、日蓮漫荼羅左の梵字と筆の抜けが左右逆である。
該当する文字はないか。あった。カタカナで書けば同じウン。しかし、造形が違う。

一番左が愛染の種子のウン、次がもう一つのウン、次が縦長に変形した図、一番右が日蓮漫荼羅の左梵字である。これは愛染の種子ウンではない。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50832083.html

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50832258.html

梵字2文字のマニを横に並べて、花押と比較したのが、左の図である。一つの花押と結晶する連綿とした日蓮の筆はさておく。しかし、これはまさに摩尼宝珠の梵字を象ったのではないのか。日蓮が虚空蔵菩薩から受け取った宝珠を花押に籠めた…。「又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず」(一谷入道御書)の一節が俄然、重みを増す。
花押はしかし、まだ、いくつかの要素をもっているのかもしれない。けれど、わたしは、花押は摩尼宝珠を象ったものに違いないと、半ば確信を懐いた。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50833446.html

帰命オン不空アボキャ光明遍照ベイロシャナゥ大印相マカボダラ摩尼宝珠マニ蓮華ハンドマ焔光ヂンバラハリバリタヤ大誓願ウン

通読すれば、直ちに気づけるが、光明遍照(大日)・摩尼宝珠・蓮華という要素が光明真言にはある。大日の‘日’蓮華の‘蓮’で日蓮、摩尼宝珠は花押。日蓮花押には、光明真言の主要な要素が含まれている。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50834707.html

カンをもって愛染の種子とすることがあるとわかった。
となれば、右梵字も不動を表すと考えるのが妥当だろう。第8大漫荼羅の梵字2字につき考証した段で、日蓮が記す金剛界大日の種子が1画を欠くことを示した。()同じような事情が不動にあっても不思議なことではない。これらはしかし、日蓮の書損であるというより、日蓮における秘儀伝授、種子の頂戴が斯様の如くであったのだろうと思う。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50835491.html

仮説ではなく仮設である。
山中喜八が『御本尊集目録』で示しているところに拠れば安第49大漫荼羅以降、「花押が変貌する」(P74)。
山川が用いた説にいう日蓮花押を象る梵字のバンからボロンへの変化である。
ボロンについては、ここに述べる必要はないと思うが、一字金輪を表す種子である。

 日蓮がどうして一字金輪仏頂の真言「ボロン」を花押に択んだのかは分からないが、一字金輪仏頂(一字仏頂輪王)が日本では天皇という宗教的権威の本命尊であることを彼が熟知していたことは間違いない。 ―― (図は虚構山幻想寺から転載)

(3)で、わたしは日蓮の花押は摩尼宝珠の梵字を象ったのではないかと述べた。この宝珠の授け主は虚空蔵菩薩である。つまり、摩尼を花押に象り、記すことで、虚空蔵菩薩は暗示できる。それは、恰も妙法蓮華経の首題を大書しながら、その授け主である久遠成道の釈迦牟尼仏を図さずとも暗示できることと同じである。

では、不軽菩薩はどうだろうか。
この梵字はアである。試みに弘安元年図示で比較的、花押の形がわかる安第51大漫荼羅と対校してみたのが左の図である。
法華曼荼羅で、不軽菩薩は西南に位置することを、まず留意されたい。

多宝塔は西面に建つから漫荼羅、奧が東で、手前が西とならなければならない。一方、日本は中国の儒教の影響を経た風習で天子南面。すると、奧が北で手前が南面となる。方や西面、方や南面、この両立は不可能である。しかし、日蓮は右側に東西、左側に北南の方位を持たせることによって両立させていた。見事な発想である。
この結果、漫荼羅上の日蓮花押の位置はまさに西南に位置していることになる。法華曼荼羅における不軽菩薩の位置、西・南の両意に立つことになる。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50838753.html?ref=head_btn_next&id=469468

建治までの花押は摩尼宝珠である。わたしは、そう述べた。
では、不動・愛染との関係は、という疑問が生じるだろう。大日三尊の左右が、そうであるからだ。故に花押をバン(大日)と見れば、見事に辻褄が合う。
しかし、辻褄が合うのは大日三尊だけだろうか。
もう、ずいぶん、前のことになるが、ネット界の博学・顕正居士師が、密観宝珠を如意輪・不動・愛染を表すことを言及された。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1084417030/436


(7) に「ボロン(一字金輪)ではなく、ア(不軽菩薩)ではないか」と、記した。方位、その時代における日蓮の自画像の投影から、該当する種子が探った結果のことだった。弘安前期の花押は、そのように見えなくもない。けれど、たとえば富士門流信徒の掲示板の投稿者諸氏からも疑問の声も挙がった。弘安を年重ねる毎に、その象形は、たしかにア字から遠のいていくように見える。
しかし、では、それはボロンなのだろうか。わたしは、どうにも頷けなかった。

弘安期の日蓮の花押を象る種子がもし、ソ・スであれば、面白い。
左にボロンを上に、花押を中央に、ソ・スを下に並べた。(花押は、安第82漫荼羅が、その形状が見やすいので用いた)

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50839844.html


ソ・ス
ソ・スとは妙見菩薩の種子である。
日蓮の真蹟遺文から、しかし、妙見を窺う資料はない。日蓮の漫荼羅には大日天、大月天、大明星天といった星の神が勧請されている。けれど、妙見の勧請はなかった。

虚構山幻想寺には、以下のような引用があった。

「日蓮の人物像をとらえるには、彼を日蓮宗の開祖という偉大な僧として考える以前に、まずワダツミの血を引く家柄に、倭人の星として生まれた事実を、深く認識して置く必要があろう。清澄山に登った彼が、薬王丸となって虚空蔵堂に篭ったというのも、修行の場が、たまたま虚空蔵堂であったということではなかった。彼の胸中には北辰への熱い祈りが秘められていたものと思われる。

(中略)
 日蓮の説く「釈迦との対話者として、万民が平等の友」という教えは、それを「日本国主・天照大神のもとでは、すべての人々が平等」と置き換えることもできたであろう。
 彼が出家以前に、薬王丸としての四年間を、虚空蔵堂(虚空蔵は北辰・妙見であり、天照神である)に学んだことが、それを物語っている。また彼が日蓮宗を開くにさいし、「日本の柱とならむ、眼目とならむ、大船とならむ」と誓ったことは、現世に天御中主(アマテル同一神、妙見社に祀られる)を再現し、自ら一つ目の大人となって王権の在り様を正し、ヤマタイの昔に存したワダツミのおおらかな世界を、もう一度喚び戻そうと念願したからではなかったか。」(沢史生著『闇の日本史 河童鎮魂――』1987年 彩流社刊 P286)


虚空蔵 – 妙見 – 天照大神という脈絡から、日蓮の花押が説明できれば、という着想である。
星にまつわれば、本命宿がある。生年月日を、二十七宿の一つにあて、本命宿とする。宿から東-北-西-南の順に数えていくのである。
日蓮の漫荼羅は右奧が東・左奧が北、右手前が西・左手前が南である。わたしは宝塔西面、天子南面を両立させたアイデアであると考えるが、なぜか、この方位とも一致している。
もしも、花押がソ・スで象られたものならば、上記のような脈絡は成り立つことになるだろう。

わたしの手元に安第82漫荼羅を模刻した信行寺蔵の板本尊の写真がある。ここから花押のみを抽出し、その筆跡から梵字を解析し、ボロン字と並べたのが右図である。筆を走らせることによって、< 様の2点を描いているのだと思う。やはり、ボロンなのだろう。
この点で、先人の慧眼は正しかったように思う。

バン字ではなく、摩尼。しかし、弘安以降は、ボロン字によって象ったのが、日蓮の花押であった。取り敢えずは、そのように考えることにしたい。