kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
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理趣経曼荼羅と愛染明王

(2)『理趣経』の概要

『理趣経』は正式名称(経題)を『大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅蜜理趣品』と云い、一巻の経ですが十七(じゅうしち)段に構成され、各段毎にその説主を変えます。

『理趣経』十七段とは言ってもその教説は初段の中の此の十七清浄句に尽きると云えます。是は般若波羅蜜の眼を以て世界を観察する時は、一切法すなわち全てのものは善・悪や清浄・垢穢(くえ)と云った対立概念から離れて純粋に輝いていると教えているのですが、先ず最初に「妙適(みょうてき)清浄の句は是れ菩薩の位なり」と説きます。妙適は男女の性的交わりによって得られる悦楽を云い、『理趣釈』は此の句について、

金剛薩埵は妙適の境地を楽しんでいる。それは無縁の大悲を以て際限の無い衆生世界の救済の為に奮闘して飽きる事が無いからである。

と解説しています(意訳)。経はその後も「欲箭清浄の句」から始まって「触・愛縛・一切自在主、見・適悦・愛・慢、荘厳・意滋沢(喜悦)・光明・身楽、色・声・香・味」と十六の清浄句は是れ菩薩の位なりと述べて、凡そ人間が楽しむ心の喜びは亦た菩薩即ち金剛薩埵の清浄なる喜びでもあると説いています。それは何故かと云えば、菩薩は般若波羅蜜の世界に生きているからです。

2.  第二段 毗廬遮那如来の自証の法門

本段に於いて薄伽梵毗廬遮那如来は自ら悟れる正等覚智について四種の般若理趣を説きます。『理趣釈』によればその四種とは四智すなわち大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智と相応する事です。

3.  第三段 降三世(ごうざんぜ)の降伏の法門

釈迦牟尼如来が金剛手菩薩に向かって一切法平等の理趣を説き、又たその義に反する種々の戯論(けろん)の調伏すべき事を説きます。一切法すなわち総てのモノが平等であるとは、此の世に存在する総てのモノが相互依存の関係にある事を言います。何故かと云えば、総てのモノはその本質に於いて一つ(平等)であるからです。

又た終りの部分に於いて金剛手菩薩は降三世明王に変身して上の釈迦仏の教えを顕す一字真言を説きます。

『理趣釈』では、毗廬遮那仏が閻浮提(えんぶだい/人間界)に化生して八相成道を示して釈迦如来となり、また須弥山の頂に於いて内心には観自在菩薩の慈悲心を抱きつつも外には威猛忿怒の形を示現して驕慢の諸天を降伏すると説明しています。

4.  第四段 観自在菩薩の清浄不染の法門

薄伽梵は自性清浄法性(じしょうしょうじょうほっしょう)如来となって、一切法平等の義を理解して世界を観る時には総てのモノは本質的に清浄であり汚れに染まることは無いと説きます。

『理趣釈』によれば、得自性清浄法性如来とは無量寿如来(阿弥陀仏)であり、「浄妙の仏国土に於いては成仏の身を現し、雑染(ぞうぜん)五濁(ごじょく)の世界に住しては則ち観自在菩薩と為る」と言います。

5.  第五段 虚空蔵菩薩の施与の法門

薄伽梵は一切三界主如来となり、欲界・色界・無色界という三界に遍満する無限の宝を自在に与える智恵について語り、また虚空蔵菩薩はその意を標示する金剛宝(如意宝珠)の一字真言を説きます。

『理趣釈』によれば一切三界主如来とは宝生仏であり、虚空蔵菩薩はその変化身に他なりません。

6.  第六段 金剛拳菩薩の三密成就の法門

薄伽梵は一切如来智印如来となり、瑜伽行者の身口意(しんくい)の三業(さんごう)は四種智印の加持によって仏の三密となり如来身を成就すると説きます。

7.  第七段 文殊師利菩薩の智慧の法門

薄伽梵は一切無戯論(むけろん)如来となり、世界の本質は実体の無い空性にあり、その故に亦た世界は光明に輝いていると説きます。又た終りに文殊師利童真は般若波羅蜜多の最勝真言を説きます。

8.  第八段 転法輪菩薩の入大輪(にゅうだいりん)の法門

薄伽梵は一切如来入大輪如来となり、纔(わずか)に発心(ほっしん)すれば唯それだけで既に仏の世界に入って悟りへの道を歩んでいると云う般若理趣を説きます。

9.  第九段 虚空庫菩薩の広大供養の法門

薄伽梵は広大儀式如来となり、仏に真実供養する法門を説きます。即ち菩提心を発(おこ)す事(発心)、人々の為に尽力する事、仏の教えを守って忘れないようにする事、仏の教えを記した経典を読誦(どくじゅ)し書写する事が如来に対する広大なる供養と成ると説き、最後に虚空庫菩薩は此の義を顕す金剛供養の一字真言を説きます。

10.第十段 摧一切魔菩薩の調伏の法門

薄伽梵は能調持智拳如来となって四種の一切有情(うじょう)調伏の理趣を説き、次いで摧一切魔菩薩は金剛薬叉の形を現し忿怒大笑の一字真言を説きます。

『理趣経』は全段を通じて難解なる教説が多いのですが、此の一段も常識的な考えでは理解に苦しむ経文が記されています。一例として四種の調伏を述べてから、

一切有情の調伏は則ち菩提と為す。

と言いますが、この部分の解釈を少し試みてみます。抑(そもそ)も「調伏」とは一体何を調伏するのかと云うと、それは過度な自尊心に代表されるような狭隘(きょうあい)なる自我について言っています。生命ある者(有情)は皆その「生命力」を宇宙の根本力である大日如来によって生かされていると云う点では「一つ」すなわち「平等」である事を本質としていますが、実際には自分の欲望を実現する為に他人を虐(しいた)げ利用する事を意に介しようとしません。又た少しでも侮蔑され無視されるとその事に思い悩んだり、時には仕返しをしようとしたりします。こうした狭苦しい自我から離れて積極的に自己実現に邁進する事が「調伏」であり、それは亦た「菩提」に他なりません。

さて『理趣釈』によれば、能調持智拳如来(能調の智拳を持す如来)とは摧一切魔菩薩(金剛牙菩薩)の異名であり、実にはその本地身は慈氏菩薩(弥勒菩薩)であると言っています。又た四種調伏の中、第一を降三世明王の法門、第三を馬頭観音の法門としています。

11.第十一段 金剛手菩薩の智慧の法門

さて薄伽梵は一切平等建立如来となり、般若波羅蜜多を実践する事によって世界の中に最勝(最良)なるものを生み出すことが出来ると説きます。「平等」とは前にも述べたように自他平等のことであり、それを「建立」するとは狭隘なる自我に対する執着を離れて他をも包摂する大いなる自我(大我)の世界に生きることです。また終りの部分で金剛手菩薩は、一切如来と菩薩との平等義を顕す一字真言を説きます。

『理趣釈』によれば一切平等建立如来とは普賢菩薩の異名ですが、普賢と金剛手すなわち金剛薩埵とは同一体です。

12.第十二段 外(げ)金剛部の菩提の法門

薄伽梵は一切有情(うじょう)加持の般若理趣を説き、一切有情すなわち生きとし生ける者は皆な実には普賢菩薩であり如来の加持力によって自他平等の真実広大なる世界を生きることが出来ると言います。時に外金剛部の諸天は此の教えを聞いて歓喜して目覚め、内心に宿る不滅の真実心を顕す一字真言を説きます。

13.第十三・十四・十五段 諸天の覚悟の法門

第十三段に於いては七母女(しちもにょ)天、第十四段では末度迦羅(まどきゃら)天の三兄弟、第十五段では四姉妹女天がそれぞれ内心の真実を顕す一字真言を説きます。

14.第十六段 毗廬遮那如来の法界遍照の法門

薄伽梵は無量無辺究竟(くきょう)如来となり、此の般若理趣の教えの究極の相(すがた)である平等金剛の出生(しゅっしょう)を説き明かします。即ち般若波羅蜜多には無量の法門があり亦その内容は広大無辺であるから、それを体現する一切如来も無量・無辺である。一方、世界の中に存在し活動する総てのモノは同一の本質を有して、而(しか)もそれぞれが究極の有り様を示しているから、般若波羅蜜多も実には一性であり究極(大悲の活動)を実現すると云います。

15.第十七段 五秘密菩薩の法門

薄伽梵毗廬遮那は秘密法性無戯論(むけろん)如来となり大楽金剛不空三昧耶なる般若理趣を説き、利己的な欲望と快楽の追求を小さなものにしてしまう大欲・大楽の世界に生きる菩薩は亦た大いなる力と自在力を得て、此の苦悩と混乱に満ちた世界の中で人々の利益と安楽の為に奮闘して飽きることが無いと云います。

「袋」地名は全国に分布するが、その大半は土地の形状、つまり「地形」に由来する。全国の多くの都市にある「袋町」という町名は町筋が袋小路風になっていることにちなむが、「袋田」(福島県須賀川市・茨城県久慈郡大子町)、「袋原」(宮城県仙台市太白区)などのように、多くは地形が袋状になっていることによるものが圧倒的に多い。

つまり、「池袋村」は南北に長い村で、その位置は現在の池袋駅界隈ではなく、北に2、3キロほど行った所にあった。もうちょっと行けば中山道につながる位置だった。現在の町名で言えば「池袋本町三丁目」に「池袋氷川神社」がある。その神社一帯は地形が窪地になっており、かつては「袋状の池」であったことを推測させる。

現在の池袋駅周辺は「袋状の池」には無縁で、従って水害を被るエリアではなかった。水害を被る可能性を持っていたのは旧池袋村周辺であった。

現在の池袋駅周辺が「池袋」と名付けられるきっかけになったのは、1902(明治35)年、この地に鉄道の信号所が開設されることになり、その名を近隣の有力な「池袋村」からとって「池袋信号所」と名付けたことによる。そして翌1903(明治36)年、信号所が駅に昇格して「池袋駅」となり、今日の繁栄へとつながっていく。

水害地名の「池袋」という地名を負った背景にはこんな歴史が隠されていた。

もし地名に文法みたいなものがあるとすれば、この「落合」ほどその地名の文法にかなったものはない。「落合」という地名はまず間違いなく、川と川が合流する地点を指している。つまり川と川が「落ち合う」地点を意味している。現在川が存在していなくても、地形を見ればそのような形になっていることが多い。それほどに、「落合」という地名は文法に忠実だと言える。

「落合」という地名は東日本に多いが、北は北海道から南は九州まで至る所に分布する。日本列島の特色として、いかに川と川が合流して海に向かって流れているかがわかるというもの。関東に限定しても、茨城県筑西市、栃木県那須烏山市、同下都賀郡壬生町、埼玉県飯能市、東京都多摩市、神奈川県秦野市に「落合」という地名が存在する。

実は東京のど真ん中にも「落合」がある。西武新宿線で高田馬場駅を出ると次は下落合駅である。山手線でいうと高田馬場駅と目白駅を結ぶ線から西一帯が「落合」というエリアである。町名でいうと新宿区「上落合」「中落合」「下落合」「西落合」ということになる。

ここの「落合」は江戸時代から存在していた地名で、神田川と妙正寺川が合流した地点につけられた地名である。神田川は徳川家康が江戸に入府した際、水不足に悩む江戸のために井之頭池から水を引いたものだが、この地点で妙正寺川と合流して神田方面へ流れていったのである。

エリファスレヴィとゴッホ

2019-07-14 10:56

★さてバホメットの絵ですが、首から下は乳房を出した白い女性の裸です。首から上が頭上に火がある黒い雄ヤギの顔です。宇宙の父は常に「 ドクロ 」で古代から表現されます。そして宇宙の父は「 火 」で古代から表現されてきました。そして宇宙の母は「 白い月の女神 」で表現されタロットの17は「 ベールを抜いた女神 」の絵です。この知識があればレヴィのバホメットの絵の謎を解明できます。

★頭上から火を出している黒い雄ヤギは「 宇宙の父 」を表現してます。そして首から下の白い乳房を出した女性の裸体は「 宇宙の母 」を表現してます。宇宙の父は数字の1です。宇宙の母が数字の2です。宇宙の父と母が本当の我々の「 父と母 」です。肉体の両親は今は親ですが、転生輪廻の間に逆に成る可能性もあります。あくまで「 肉体の父と母 」と認識すべきです。本当の我々の父と母は「 宇宙の父の数字の1 」と「 宇宙の母の数字の2 」です。