太陽神が古代から髑髏で表現されるのは、六道の者たちを抹殺することを必要だと思っているからだ!
2023-08-28 16:41
しかし、ここであまり指摘されないのは、社会が複雑になればなるほどより多くの小さなニッチが生まれ、そこで生きられるひとが増えていくことだ。
出版業界ではかつては女性誌がドル箱だったが、いまでは「絶滅危惧種」になってしまった。これはネット(SNS)によってファッションがパーソナライズ(個人化)したからだ。 1980年代の女性誌全盛時代は、ファッションモデルは長身でやせている白人女性ばかりで、平均的な日本人の体形とはぜんぜんちがっていた。彼女たちが着ている服を高いお金を出して買ってみても、(主観的には満足かもしれないが)ぜんぜん似合わなかった。 2000年代になると、より読者にちかい「読モ(読者モデル)」が全盛期を迎えるが、それでも体形は一人ひとりちがうので、雑誌で見て「いいな」と思った商品でも、実際に身に着けてみるとがっかりすることも多かっただろう。 しかし若い女性のこうした悩みを、SNSのテクノロジーが解決した。いまでは、自分と同じような体形の女性がどのような着こなしをしているかをインスタグラムで確認したり、自分と顔が似ている女性のメイク法をユーチューブで勉強したりすることができる。マス媒体である女性誌は、どうやってもこの個人化の流れに対抗できないから、新しい生態系のなかで徐々にその地位を失っていったのだ。
このニッチ戦略は、最近では「推し」と呼ばれている。どんな小さなジャンルでも、そこでナンバーワン(ロングテール)になれば、熱狂的なファンから「推される」ようになる。それが成功への秘訣だというのだ。『成功したいなら誰かの「推し」になれ』という本の著者は歌舞伎町のホストだが、若い世代の成功戦略をよく表わしているタイトルだろう。
【神様が味方する人の習慣】
「何事も自分でやる」より「困ったら他人に助けてもらう」ほうがいい理由
彼は、自ら集めた1500万円と、義父からいただいた8500万円を合わせ、1億円で宿を建てました。
一所懸命頑張って、自分で自己資金を貯めるという考え方は、やめてもいい。電話1本で「100万円出してくれる人」が100人いたら、1億円のお金ができます。
私自身も、「株式会社SKP」をつくるとき、知り合い4人に「お金は出すけれど、口は出さない出資者になりませんか?」と電話をかけました。すると、15分間で1000万円を出してくれる人が決まり、3日後には会社を設立する資金が集まりました。
すべて自分の力だけでやる、という考えは、「自惚れ、驕り、高ぶり、傲慢」です。なぜ、人を当てにしないのですか?
人を頼りにすればいいではありませんか。他人を頼ることができないとしたら、それは、自分が他人を許さないからです。甘えさせないからです。
「困ったときに、自分を支えてくれる人」をいかに増やしていくか。それが人生を楽しいものにしてくれるのです。
曼荼羅の向かって右側には不動明王である「カーン」が縦に長く伸ばして書かれ、左側には愛染明王である「ウン」が細長く伸ばして書かれていると言われています。
実はこの「不動」と「愛染」を左右に配して祀る形式が真言に存在しまして、これは「三尊合行法」と言います。これが定式化されたのは真言宗立川流の文観『三尊合行秘次第』です。
「三尊合行法」では左右に不動愛染を配して、中央に虚空蔵を置きます。
実は中央の日蓮の花押こそが、梵字で虚空蔵を指すとする説があります。
日蓮の花押が、梵字の「マニ」を指し、 「如意宝珠」を指すとする説を採るなら、これは左右に不動愛染、中央に虚空蔵の持ち物である「如意宝珠」を配することになり、まさに「三尊合行法」と合致します。
例えば『清澄寺大衆中』(真蹟曽存)では「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せしことを不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし」(学会版御書893ページ)とあるように、日蓮が立宗にあたって虚空蔵に願を立てたのは多くの創価学会員や法華講さんならすでにご存知のことでしょう。この『清澄寺大衆中』には「虚空蔵」の語が計3カ所存在します。
また『善無畏三蔵抄』(真蹟推定断簡)には「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云」(同888ページ)とあることからもわかります。
ただ日蓮が真言宗立川流の「三尊合行法」から影響を受けたとする仮説は、そもそも「三尊合行法」の成立年代を再検討しないと成立しない仮説です。推定ですが、文観(1278〜1357)の『三尊合行秘次第』の成立は1338年頃と考えられており、日蓮在世中のものではないことが明確です。
とすると、あくまで私の妄想に近い仮説ですが(笑)、真言宗立川流の創始者とされる仁観(?〜1114)が虚空蔵曼荼羅に関する行法をすでに立てていて、それをなんらかの方法で日蓮が摂取したことが仮説として考えることができるかもしれません。仁観に関する文献は後世の彼への弾圧によって失われてしまい、その全貌がほとんどわからない状態にあります。
そもそも日蓮は若い頃は覚鑁の『五輪九字明秘密義釈』を書写する真言の徒でした。また立教開宗の後もしばらくは「法華真言」未分の立場であったことは『守護国家論』(真蹟曽存)等の著作からも明らかです。