kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
古典 宗教とアウトサイダ-

発心集 第四巻第8話 或る人、臨終に言はざる遺恨の事 臨終を隠す事 The Outsider Episode 44発心集 第四巻第8話 (あるひと、りんじゅうにものいはざるいこんのこと りんじゅうをかくすこと)

長年、わたし鴨長明と長い付き合いである友人が一人いた。今では過去となってしまった建久年間のころに、この友人が重い病にかかってしまった。このときに、彼が善智識にと頼りにしていたある聖(ひじり)を自分の病の床に呼び寄せたのであった。そうすると、その聖は 友人のところへ行って、ねんごろに彼の世話をしたということである。

そうして、落ち着いてこの人の様子をみても、病の気配などまったく感じられなかった。日数が経過するにつれて次第に具合が悪くなっていったのだが、本人はまさか自分がこの後すぐに死ぬであろうなどと思いもよらない様子であった。彼に仕えていた女房たちなども、本人がそんなだから、彼がこのあと死ぬなどと少しも思いもかけないような様子であった。

この人は幼い子供たちがたくさんいたのであるが、中でも殊コトにかわいがっていた娘が一人いた。こどもたちの母はすでに亡くなっていた。だから、彼は亡くなった妻のことを深く悲しんで、他の女と再婚もしなかった。この娘が いずれは みなしごになってしまうことを心配して、最近になって 娘に婿を取らせようとしてさまざまに準備して手配をしていた。そういった気苦労を 自らは病気を患ワズラいながらも 怠らずなしていた。

その我が友人の善智識として招かれていた聖ヒジリは、こういったわが友人が現世のことを種々に煩ワズラう様子を、「まあ、なんとあさましく 愚かなことであるよ」と思っていた。しかしながら、彼の病状に大きな変化がない間は、他人の手前もあって言い出せずにいた。

それから十日ほど過ぎた。その友人の病状が本格的に重い様子となってきた。当の本人もようやく事態を深刻にとらえ始めた。また、周囲の人も万一のその友人の死も近いのではないかと思う次第となった。こういった事態を察して 友人が頼りにしていた聖が次のように言った。
「憚ハバカりながら、この有待の身(ウダイノミ—衣服や食べ物でかろうじて維持できる儚い存在)つまりわれわれ人間というものは思いのほか儚ハカナいものです。ですから、ご本人様亡きあとのことを前もって定めなさいませ。」と。これを聞いた者たちも「誠にそれももっともことである。」などと言うのを聞いて、幼い子供たちや縁者の者がすすり泣く様子はとてももの悲しかった。

そのような雰囲気の中で、当の我が友人本人が、「今日はもう暮れてしまった。明日には必ず遺言を定めよう。」と先送りを周りに告げた。その夜に、彼の容態が悪化して 非常に苦しそうな有様となってしまった。

この事態に周りにいた人たちも驚きおののいた。「遺産の処分の仕方を 今申し合わせて定めましょう。さもないと、あなたの死後皆どのようにすればよいのかわからなくなってしまいますから。」と、聖ヒジリは 本人に勧めた。これを聞いた本人は、「誠に」と述べて、遺言を述べることになった。そして、聖が 「遺産の配分の細目は どのようになさいますか。」
と虫の息の本人に聞いた。これを受けて本人は 「遺産の細目のあるべきようは(私の決めたことがらは)—」と言って、苦痛をこらえて こまごまとひとときほどの時間(約二時間ばかり)口述したのであるが、苦痛で舌も回らず思うように語り述べる事ができなかった。聖が本人に、「何とおっしゃっているのか聞き取れません。」と言うと、「ならば、紙と筆とをここへ(持ってきてください)—。詳細を書き付けよう」と本人が言う。そうして、紙と筆を本人に持たせてみたのだが、手が震えて字を書くことができない。どうにか書いてみた文字は、まるでみみずが這いまわったような悪筆で読むことができない。

このような訳で、いかんともし難い事態となってしまい皆途方に暮れていた。そのような中で、その友人の娘である姫君の乳母ウバが 姫君の代弁者として以下のように語った。
「ご主人さまが 日頃ご希望されていたご遺産についての御趣旨は このようでした—」と、彼女がいうがままに聖が書き付けて 本人に見せてみた。しかし、わが友人は それを見て、「すぐにその紙を破いてください。」というので、やむなくその書付も破いてしまった。

あれやこれやを試みて 結局すべて効果のあることはできなかった。やはり、身体は言うことを聞かぬようになっても、友人の意識は残っている様子であった。その彼が こう言いたい、ああ言いたいと、思ってはいるのだが実際には表現できないで悲しく思っているそのありさまは、まったく気の毒な事この上ないものであった。まだ真夜中頃は 表現はできないのだが、あれこれと思い考えることはできる様子であった。

明け方になって、いよいよ意識もなくなってきた。意識不明ではあるが急変の有りそうに思えない間に、遺産の処分の事はうやむやになってしまった。そうして、いよいよ いつこと切れてもおかしくない状態になってからは 「もはや、今は念仏だけでも」と思って、聖が念仏を唱えるように促してみるのだが、それも無駄なありさまであった。

そうして、明けて巳のとき(午前十時)ころに、本人は大いに驚いたような様子になって、二度ほど 声を出してうめいたのであるが、そのまま息絶えてしまった。あるいは、臨終に際し、恐ろしい物の怪モノノケなどが 彼の間際マギワの目には見えたのかもしれない。

以上の次第シダイは、遠隔地での出来事なので、後に人から伝え聞いて、もう一度なりともかの友人とあいまみえることも叶わぬ結果となってしまった。そのことを私 (鴨長明)は残念に思っていた。

友人が亡くなって二十日ハツカほど過ぎて、正にその当人と私は夢の中で会ったのである。夢の中で友人は つやのある衣服(絹製の品のある服、狩衣カリギヌ)を着て、生前のままの様子と変わらないありさまで私と対面できたことを喜んでいる感じであった。しかし、黙ったままコトバを発しないのであった。そのようにして、夢の中で ただ友人と私は向き合ったままで過ごしているうちに 目が覚めた。しばらくは、目覚めたのちも 夢の中での有様を現実のように鮮やかに感じられた。そうして次第に時間が経過するにつれて、夢の中のありありとした印象も 薄墨ウスズミのようなおぼろな残像になってしまった。さらに時間が経過して、友人の姿形も煙のようになってしまい 我が印象から消え果ててしまった。しかし、友人の面影オモカゲは 彼が亡くなった建久年間から二十年たった今でも 忘れがたく残っているのである。

だいたいにして、人の死ぬる様子というものは、感慨深く悲しいことがほとんどである。であるから、物の道理を解する人であるならば、健康な生前に常の事として終末の己オノレの死というものを念頭から離してはならない。そのためにも、苦しみが少ない終末を迎えられ、よい導き手(善智識チューター)に巡り合えるように常日頃から神仏に深く祈念し奉るべきである。仮に終末を迎えるに際して悪性の病を得てしまったならば、病の苦痛に責め苛サイナまれて 臨終がなかなか思うようにならないものである。また臨終に際し、正念(雑念を離れて正しき観想志向がなせること)ならねば、一生の修行も無駄となってしまい、善智識(チューター指導者)の教導も無意味という結果になってしまう。そして、たとえ臨終正念であったと自分では思っていても、道理を心得た善智識の適切な教示がなければ、現実には完マッタき終末とはなり難い。そもそもこの生涯 今この一瞬で御終オシマいであると心を定めたいのである。しかしながら、現実には身近な愛する人たちとの恩愛の別れであるとか、この世の名誉や物に対する欲望であるとか、その他の瑣末サマツな心から去らない種々の執着とか、生きているときの現実に見るもの聞くもの全てのことがらにおいて、全身全霊でおのれの注意力や誠意を込めないで済むようなことなどというものは基本的にないのである。生きて居るときはこのような瑣末事に全力を注がなければならないとすると、いったいいつに心の平静を叶えて 浄土を願えばいいのだろうか。

しかし、長年 観想修行や念仏修行の功徳クドクがつもり、道心の決意が深い者は、ホトケの功力クリキにより、最後には正念としていられるし、必ず理想のチューター(善智識)に巡り合えるであろう。そうして道心が定まっているならば、聞く事柄もホトケの誓願以外の事は聞かないし聞こえないのである。口に発するコトバは ホトケの御名ミナ以外の事は言わないものである。そうして発心の最初にホトケの来迎ライゴウに預かり極楽への引導を確信できるのであれば、妻子との別れも さほど辛いものではなくなる。我が五官の対象である色、声、香、味、触(シキ、ショウ、コウ、ミ、ソク 視覚、音声、匂い、味、感触)がすべて妙タエなる素晴らしいという五妙である極楽での境涯を思うのならば、この地上のもろもろの諸物にたいする執着もなくなるであろう。こうして一途に信仰がすすんで、その結果 ついには極楽往生を遂げることができるのである。

或いは以下のような言及もある。
「あらかじめ自分の死期をさとり、これを待ち遠しく思う気持ちは、旅行で住んでいる国を出立シュッタツする人が、その出発の日を待ち望んでいるのと同じである。」と。まして、諸仏菩薩の来迎ライゴウの約束の通りに、いざ臨終という時に 妙なる音楽が奏でられるのを聞いて、何とも言えない芳香をかいで、まさしくミホトケの見目形ミメカタチを見奉るそのときの心のなかの喜びの気持ちを創造すると、 適切に言い尽くすことができない。

したがって、たとえ道心が少なくて、臨終を恐ろしく思うという理由であったとしても、どうして、極楽往生を願わないでいてよいだろうか。いや、願うべきである。

(20240923訳す)

<訳者より一言>
「死」という現象について 作者鴨長明が念仏者として、つづった文章であります。

人が人生の最後に、この世に別れを告げる瞬間のありさま、というものは本当にさまざまなあり方があります。私事ですが本年2024の2月に実母の臨終に接しましたし。この半世紀ばかりの人生において、人並み以上に人の死というものに接する機会が多かったような気がします。

ありていに言って、平安末期大流行した 浄土宗、阿弥陀信仰による 死の救済の教えは わたしは「性エネルギー昇華秘法」実践者の立場からいってかなり懐疑的にならざるを得ないのですね。各種信仰の顕教的な約束や効果というものは 多分に文学的な装飾にみちあふれていて現代的視点からいってやはり 聖衆の来迎とか 死に際して芳香がただよった、とか 紫の雲がたなびいたとかの 奇瑞については 眉に唾で全く信じておりません。

そもそも死に際の死に方がきれいだから成仏とか、死に方が思わしくないから不成仏とかこれ本来の仏教あるいは太陽神教からいってなんの関係もないと思いますね。結局これ「死」という一般的には未知の分野に際しての情報不足の人々の不安心理に付け込んだ詐欺ビジネスが浄土教とかキリスト教とかの教えではないのか、と思っています。本当のところこれで正解でしょう。

もっといえば、本来の太陽神教の原初元型の「道理」や「条理」からいえば、
たまたま 無様みじめこの上ない死にざまであったとしても、立派な人間はどこまでも立派であるし、死に方がたまたま美しく見えたからと言って、その人間が「道理」「条理」に照らして極悪非道の生きざま、反太陽神教的いきかたであったのならば、その死に方も含めてすべてが詐欺的だったな、と私などは結論してしまいますね。

せいぜい、生前最大限に 「性エネルギー昇華」のプラクティスに邁進し、実際の死にざまは無様この上ない ものになるというようなのがあこがれと言えば憧れですかね。「死に方」などといった偶然性に作用されるただの現象でもって幸不幸や成仏不成仏は 断じて決することはできない、とわたしは確信しております。

もちろん、死を前にした 死への準備 美しく死のうとする準備 覚悟 といったものは、これは「美」を理屈抜きに感じますので、「道理」「条理」に照らし よしでありましょう。

しかし、現実には 敵に銃床で顔面を割られ、眼球が左右に飛びだし、はらわたを四方にまき散らしながら、無様に死んでいったとしても、私は全然その人の根底の生き方と死の現象とは関係がないものと解しております。せいぜい「美」を意識した精一杯の死への準備をなし、現実には無様な死にざまを露呈するので全然結構でありますし、十分「美しい」と思いますよ。やはり精一杯生きたかどうか、ここに尽きるのでしょうね。死の形態はさして問題でない。

日常の覚悟 これが大事ということであります。