発心集 第四巻第2話 (じょうぞうきそ、はちをとばすこと)
浄蔵貴所(じょうぞうきそ)と呼ばれた人物は、かの宰相 三善清行(みよしのきよゆき)の子で並ぶものない修行者であった(有名な真言僧。康保元年964年74歳没)。
あるとき修行のためこもっている山野で鉢の法を行って(鉢は修行者必携の食物の容器である。これを空中に飛ばして乞食の手段とした)、鉢を飛ばして乞食を為して彼が、暮らしていたころの話である。
ある日彼 浄蔵が鉢を飛ばしたが、空っぽの鉢だけが帰って来て中に入っているものが何もなかった。不審に思っていたが、同様のことが続いて三日となった。浄蔵は、この次第に驚いて、「鉢を飛ばしている途中でいったい何が起こっているのだろうか。見てやろう。」と思って、四日目には 鉢が飛んでいく方角の山の峰にまえもって探索に出かけたのである。そして、もと自らがいた京都の方角から飛んでくる自分の鉢のところへ、北の方角から別の鉢が飛んでくるのを見た。そして、 その別の鉢が、自分の鉢の中の食べ物を移動させて取って移し替えて、もと来た北の方角に飛んで帰っていったのである。以上のあり様を浄蔵は、見届けた。
浄蔵は、
「まったくけしからんことだ。しかし、いったい誰がこのようなことをしているのだろう。」と思ったのだった。そして、
「いったいどれほどの通力の者が、わたしの鉢の物を移し取るようなまねをしているのだろう。驚くべき通力の者の仕業(しわざ)よな。確かめるか。」と考えて、自分の空の鉢を加持祈念して飛ばし、それを道案内としてついていった。加持された鉢ははるばる北を目指して飛んでいき、浄蔵も雲や霧を分け入って北の奥地を目指した。
そうして、二三百町(およそ2,30キロメートル)も来たかと思ったところで、とある谷のあいだに松風がごうとひびき吹いて 清浄の気が心地よく感じられる場所へと着いた。そこに一間(およそ2メートル四方程度)ばかりの草庵があった。砌(みぎり—軒下のきしたの石畳)も苔で青く蒸しており、近くには清水が流れていた。浄蔵がなかをのぞいてみると、高齢で痩せ衰えた僧が、ただ一人で室内にいて脇息(きょうそく—ひじ掛け)によりかかって、経をよんでいる。「どうもこの人はただ者ではなさそうである。おそらく、この人の仕業でないかな。」と、浄蔵は思った。やがて、その僧は庵をのぞきこんでいる浄蔵に気づいて、「これは、まあ、どこから どうやってここへおいでになったのか、あなたは。こんなとこには 今まで誰も来たことはないですのにのぅ。」という。
これを聞いて浄蔵は、次のように答えた。
「いや、ご不審はごもっともです。わたしは京の比叡の山に住んでいる行者です。ところで、ほかに生活の手段もないので、鉢を空に飛ばして食べ物を集めさせておるのですが、ここ数日飛んで戻ってきた鉢に食べ物がはいっておらんのです。不審に思い、さる何者かの仕業と考え苦情を申してやろうと、わたくしがここに参り来たというわけです。」と。
これを聞いたその僧は、
「いやよく分かりませんが、たいそうお気の毒な事でございます。ちょっと心当たりに聞いてみましょう。」と言って、小さな声で誰か人を呼んだ。
すると、すぐに庵の後方から 返事をして来る者がある。これを浄蔵がみると、年の頃、十四五歳の見目が非常にうつくしい童子が、精微な美しい唐装束(からしょぞく中国風の衣服)を着て出てきた。これは今思えば護法童子だったか。
そうして、その高齢の僧がその童子を咎(とが)めるように言った。
「こちらの方が仰せられることは汝のしわざか。そうだとすると大層不都合なことである。であるから、只今よりそのようなことはしないでくれ。」と。すると、その童子は顔を赤くして恥じ入る様子で、ひとこともものも言わずに退出した。
「こう申しておけば、今後はあなたのいわれたような不審ごとはなくなるでしょう。」とその僧は言った。以上の次第をまことに不思議なことよ、と思いながら浄蔵は帰り支度(かえりじたく)をしようとした。するとその僧が、
「はるばる遠方からここまで山野を分け入ってお越しになって、さだめしお疲れでありましょう。すこしの間そのままお待ちください。おもてなしいたしましょう。」と浄蔵に申し出た。そして、また誰か人を呼んだ。
すると、さきと同様の装束で別の見目うるわしい童子が返事して、僧の前に現れた。
「このお方は、お前も聞いた通り、非常に遠方よりここに参られた。だから それにふさわしいものを準備して差し上げよ。」と僧は 童子に言った。すると、童子はいったん姿を消してまた出てきて、美しい瑠璃(るり)の皿に 赤林檎の皮をむいたものを四つ並べたものを檜扇(ひおうぎ—薄く細長いヒノキの板を細い糸で結んでつくった扇)の上に並べてもってきた。「さあさあ、どうぞ召し上がれ」と勧められるままに、浄蔵はこれを取って食った。
すると、その味わいの美味なこと、天の不老不死の甘露(かんろ)のようであった。結局だされた赤林檎をまる一個たべただけであったのだが、疲れ切った身体も落ち着いて、体力も回復してきたと感じた。
さてそれから、ふたたび雲を分け、山野を分けつつ帰りの道をすすんで行った。もといたかの僧の草庵ももはや間近なところにあるようには見えなかったので、どこにあったのかも今となってははっきりしない。「かの草庵の僧は、その不可思議な様子はただの人とは思えなかった。おそらく、法華経読誦の功力(くりき)にて仙人となった読誦仙人(どくじゅせんにん)とかのたぐいといっていい存在ではないだろうか。」と、後に浄蔵は語っている。
(20240427訳す)
<訳者より>
いや、これも前回の話(Episode37)と同様に不思議譚として非常に面白い。ファンタジー色の強いお話ですね。
漫画家の方、誰かこれ本気で作品にしてくれませんかね。
わたしは、AIの進化にどうにかついていって、発心集の全部現代語訳しおわったら、AIでアニメとか 漫画とかつくってみたいですね。ささやかな、しかし、少し本気の入った願いではあります。