発心集 第四巻第1話 (さんまいざすのでし、とくほけきょうしるしのこと)
平安の中期に 義叡(ぎえい 伝未詳)という名の僧がいた。ここやかしこへと歩いて修行をしている行者であった。修験道の聖地 熊野山(現在の和歌山県南牟婁郡)から大峰(おおみね奈良県吉野山)に入って御嶽(みたけ みだけ吉野山の最高峰 金峰山きんぶせん きんぷせん のこと大峰の北部)へ抜け出ようとしている途中に 道を間違えてしまい、十日余りほど思いもかけず、険しい谷や峰をさ迷い歩いたのである。全身は疲れ、力も尽きてしまい、もはや命の危険さえも感じるまでになってしまった。だから、心を定めて自らが本尊としている仏にこの状況を救いたまえ、と祈念していた。
その験徳(げんとく・とくのあらわれ)があったのであろうか、その後やっとのことで険しい山を抜けて地形がなだらかなところへ出られた。そこに一塊の松の原があった。その林の中に小さな庵があった。義叡は近くに歩み寄って、この庵を見たがなんとも見事な新しく作った屋(いえ)であった。調度の道具も美しくしつらえた様子で、みな玉のように輝いていた。庭に敷いていた砂子(すなご)もその白さは雪のようであった。植木には花が咲いていた。木には果実が実り、庭前の植え込みにはさまざまの花がいろいろとりどりに咲いていた。義叡はこれらのことをみてこの上なくうれしい思いが沸き上がってきた。
義叡は、しばらくのあいだ休んでいた。そしてこの屋(おく、いえ)のなかを見てみた。すると聖(ひじり)とおぼしき人がひとりいた。年のころは まだ二十歳(はたち)ほどであると思われた。彼は、衣(ころも)や袈裟(けさ)をきちんと着て、法華経を声を出して読み奉(たてまつ)っていた。その読経の声の妙(たえ)なることといったら 他のものに譬(たと)えようもないほどである。法華経の一の巻を読み終わって、経机(きょうづくえ)の上に置いたのだが、その経巻は義叡が見ていると、勝手にひとりでに巻き返されて、元のようになった。こんなことが繰り返されて、法華経の一の巻から八の巻まで 同様にひとりでに元のあり様に戻っていくのであった。そして、その聖(ひじり)は 法華経全八巻一部をすべて読み終わって、廻向文(えこうぶん・読経の功徳を他に回す奉賛文)を読んで 礼拝(らいはい)して勤行(ごんぎょう)を終えた。
そうして、その聖は庵から出てきた。聖は義叡に気づいて不審がって次のように言った。
「ここには 昔より人間は来たことがなかったが。なぜかというと山の中にも更に奥にある山なので、鳥の声さえも聞こえぬような奥山であるから。なんじ(お前)はいかにしてここに来たのか。」と。
これを聞いて義叡は ここに来るまでのことを始めから順次に聖に語った。すると、聖は義叡をあわれんで、庵の中に呼び入れたのであった。
とこう聖と義叡との間にやりとりがあってのち、しばらくして 見目(みめ)がなんとも言いようもないくらい美しい童子たちが二人のもとへ、すばらしい食べ物を捧げ持ってきた。聖は義叡に その食べ物をたべるように勧めたので、義叡はこれに従って食べ終わった。その食べ物の味わいのたえなること 人間の食べるものとも思えない様子であった。そもそも、聖の住まうこの建物の屋内(おくない)のありさまは、なににつけてもすべてが不思議な様子であった。
義叡は、聖に問いかけた。
「あなたさまがここに住み始めて、何年ほど経つのですか。また、ここに住まわれることはどのような事情があってのことなのでしょうか。何事も あなたの望まれた通りのことなのですか。」と。
これに対して聖は答えていった。
「わたしがここに住み始めてのち、八十年ばかりになる。わたしはもとは比叡山東塔(とうとう延暦寺中心地)の三昧座主(さんまいざす十七代座主喜慶966七十八歳没)の弟子であったのだ。だが、ささいなことで師より酷く叱られて私も愚かだったので、そこを飛び出てここかしこをさ迷い歩き、決まった住みかもないままであった。歳をとって後に、ここに住み着いて今はここで死ぬのを待つばかりである。」と。
これを聞いて義叡はますます不思議に思って重ねて聖に問うた。
「あなたはここに人が誰も来ないとおっしゃられています。しかし、見目(みめ)すばらしい童子をたくさんみかけました。このことからあなたのおっしゃることは事実と違うと思われるのですが。」と。これに対し、聖は「法華経安楽行品に、法華経を読む者は常に憂苦なく、天諸童子、以為給仕(てんしょどうじ いいきゅうじ—天の諸童子、以て給仕を為す)とある。どうして童子がいたところで不思議があろうか。」といわれた。
また、義叡は聖に問うた。「あなたさまは、ご自身が老齢に達しているとおっしゃいましたが、こうしてあなた様のご様子をうかがうに、若くして青年のように生気が横溢(おういつ)したご様子であります。このこともまた わたしが理解できないことでございます。」と。これに対し聖は次のように答えられた。
「法華経薬王菩薩本事品(ほけきょうやくおうぼさつほんじほん)にいわく、得聞是経、病即消滅、不老不死(とくもんぜきょう びょうそくしょうめつ ふろうふし — 是の経を聞くことを得ば、病は即ただちに消滅し、不老不死ならん)。とある。これからわかるように 別に汝の言うように不思議なことでもないであろう。」と。
そうこうしているうちに しばらく時もたって、聖は 義叡に次のように促していったのである。「早くもと来たところへお帰りなさい。」と。
これに対して、義叡は嘆いて次のように言った。
「先に申し上げた通り、ここに来るまで幾日も迷い歩いてきました。ですから、身体は疲れ果て、力も入らず、すぐ帰ろうなどという気持ちにはなれません。加えて、もう日も傾きまして夜に成ろうとしております。いったいどうして、あなた様はわたしのことを嫌い遠ざけようとなさいますのか。」と。
これに対して聖は、
「汝(なんじ)の事を、厭(いと)うて言うているのではない。わたしは、こうして長い間人間界の俗臭(ぞくしゅう)を離れて多くの年月を経ているので、こうしたらいいだろうということをあなたに勧めているだけで他意はないのだ。もし今晩ここへ泊まろうと思うのならば、あなたは自分の身を動かさないで、音も立てないようにして じっとしていなさい。」と教えた。これを聞いて義叡は、聖の教えた通り、じっと声も出さないで隠れるようにしてその場に居た。
そうして次第に夜が更けていった。聖(ひじり)の庵(いおり)の建物の周りに 風がすこしづつ吹き始めて異様な雰囲気が立ち込めてきた。そうして、さまざまの形をした鬼神(きじん)や諸々の気性の激しいけだもののたぐいたちが数多く集まってきた(法華験記には「数千」とある)。
その異形のものたちのなかには馬面(うまづら)のものもいた。また、牛に似たかたちをしたものもいた。また、鳥の頭をもっているものもいた。鹿のかたちをしたものもいた。その異形たちは、おのおの香華(こうげ)の花々や 果物(くだもの)などのじぶんたちが普段 飯食(おんじき)しているもの等を捧げ持ってきたのであった。彼ら異形たちは、聖の庵の前の庭に高く机をたてて、その上にめいめいがもってきたものを置いて 掌(たなごこころ)を合わせて、敬い拝んで平伏していた。この異形たちの中のある輩(やから)が、「変だな。普段と違う。人間の気配がする。」と言った。これを聞いて聖(ひじり)は、義叡に万が一のことがあってはならぬと思い、彼の命を護る為に発願して法華経を読誦朗誦(どくじゅろうしょう)した。
夜明けが近づき、聖の法華読誦も最後の廻向文賛(えこうもんさん)に至った。すると、それらもろもろの異形たちは、聖に対し 敬い拝みして去っていった。以上のさまと次第を恐怖しつつじっと見入っていた義叡は、聖に問うた。
「かのさまざまの形をした異形たちが数えきれないほど参って来ておりました。彼らは何のたぐいで、いったいどこから来たのでしょうか。」と。
これに聖はこたえて言った。
「法華経法師品に『若人在空閑、我遣天龍王、夜叉鬼神等、為作聴法衆(にゃくにんざいくうかん、がけんてんりゅうおう、やしゃきじんとう、いさちょうぼうしゅう—若し人 空閑にあらば、我は天、龍王、夜叉、鬼神等を遣わして、ために法を聴くための衆となさむ)』とある。あなたが昨夜見た光景はこの経文の内容である。」と。
義叡は、ここにきてさまざまの不思議を見て、疑問を問うてきたが聖が淀みなくこれらに答えることばをきいて、ありがたく頼もしく思うことこの上なかった。
完全に夜が明けて、義叡はさあ帰ろうと思ったのであるが、やはり再び道に迷うであろうことを思ってつらく感じていた。その様子を察して、聖(ひじり)が「あなたに 道案内をつけて見送りしてあげよう。」と、言って 修行者の持つ水瓶(すいびょう、みずがめ)を取って来て義叡の前に置いた。すると、その水瓶がひとりでに飛び上がり飛び上がり始めて、どんどん先導して進んでいく。こうして義叡は、その水瓶のあとについていったのだが、二時(ふたとき約四時間)ほどしてある山の山頂に登り着いた。そこから見下ろせば、ふもとに人里が見えたのである。そのときに くだんの水瓶は空に昇って行って、元の方角へ飛びかえって行った。
そうして、義叡はふもとの人里に山を下りおりて行ったのである。そうして自分が山中で見聞きしたことを里の者に語り伝えたのである。それが『法華験記』ほかに記録されて文献記録として残っている。文献記録の詳細は煩わしいので、ここには書かない。わたし鴨長明が人から聞いて覚えていることを今こうして書き記しておいた。
(20240424訳し終わる)
<訳者より>
当時平安期の有名な法華経修行者の体験記霊験記です。
平安中期、後期 ここまでの記述から ひとびとの浄土信仰と妙法蓮華経信仰がいかに一般的なものとして流布していたのかよくわかります。浄土信仰と法華経の信仰が 日本の大乗仏教信仰の二大柱になっていたのであります。
ここでは、面倒なことは考えずに、素直に当時の求道者アウトサイダーたちが素朴に浄土教と法華経という 原初と元型の太陽神信仰の修行を為していたと理解しておきましょう。
原初と元型の太陽神信仰の修行、つまりは「性エネルギー昇華秘法」の修行であります。
単純に 不思議譚として 面白かったですね。だれか漫画家とか漫画にしてくれないですかね。いやAI技術進めば わたしが漫画に仕上げてもいいですね。あるいは動画アニメとかにね。これからの遠くない将来、そういったことが楽しめる時代がもうそこまで来ておりますね。そういう意味で楽しい時代に生きているということは言えると思います。