kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
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発心集 第二第11話  或る上人、客人に値はざる事 The Outsider Episode23

発心集 第二11話 或る上人、客人に値はざる事

(あるしょうにん きゃくじんに あわざること)

昔、道心を深くして 阿弥陀仏の観想(念仏—南無阿弥陀仏を観じて瞑想したり唱える)をおこたらない聖(ひじり)がいた。互いに周知(しゅうち よくしっている)の友人が、この聖(ひじり)に会いたいからといって、わざわざ訪ねてきた。これに対し、かの聖は、「今はかかりきりになっている用事があって、会うことができないのだ。」と、言う。

これを聞いた弟子は、「どうしてだろう?」と思った。だから、その聖の友人が帰ったあとに、聖に次のように聞いた。

「なぜさしたる意味なくお客をお返しになったのですか。師匠に急ぎの用時も特にあるように見えないのですが—。」と。

これについて聖は、

「この世でめったに遇(あ)い難(がた)い人間の身を授(さず)かったのだ。今度(このたび)こそは流転(るてん)の生死(しょうじ6)を解脱(げだつ)して極楽往生(ごくらくおうじょう—9究極の覚醒)したいと思う。このことは、今生(こんじょう)の自分にとって、最も大切な営(いとな)みであるだろう。この極楽往生に比べて ほかに大事のことなど何事があるというのだ。」と言った。

これを聞いたこの文章を読むあなたがこの聖(ひじり)のことばをあまりに厳しいものと思うのならば、それはまだ自分の心が真剣に仏道を求める境地に至っていないからに違いない。

坐禅三昧経(ざぜんさんまいきょう鳩摩羅什くまらじゅう編 坐禅について説く)にいわく、

今日営此事  明日造彼事  キョウエイシジ  ミョウジツゾウヒジ

楽著不観苦  不覚死賊至  云々  ラクチャクフカンク  フカクシゾクシ   

ウンヌン

(今日はこれをやろう あしたはあれをやろう などと俗事を楽しんだりこだわったりして苦をみようとせず 死という賊卐が迫ってくるのに気付かない  うんぬん)

世の中の人々で、やはり未来のことを考えない者はいない。しかしながら、

この経文(きょうもん)にあるように、「今日はこれをやろう あしたはあれをやろう」などと思っているうちに、死という無常の賊が敵(かたき)のように知らないうちに近づいてきて、あっという間に人としての命が終わってしまう(卐)ということを、ふつうはわかっていないのだ。

(20231006訳す)