kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
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発心集 第二第10話 橘大夫、発願往生の事 The Outsider Episode22

発心集 第二10話 橘大夫、発願往生の事

  (きちだいふ ほつがん おうじょうのこと)

ちょっと昔の話だが、京の常盤(ときわ)に 橘大夫守助(きちだいふ もりすけ)という者が住んでいた。歳(とし)は八十を過ぎており、今まで仏法を知ろうともしなかった。仏法など関心がないから、皆が守る斎日(ときび さいにち 在家の者が精進 斎戒する日)といってもそれを守ろうとする風もなかった。また、僧侶を見ても貴(とうと)む気持などなかった。もし、仏道の話など、教えて勧めてくる人があれば、馬鹿にして相手にしない。だいたいにして、この上ない愚か者といっていい人物だった。

(時代考証とかめちゃくちゃなのですが、絵が面白いと思ったので 掲載です平安時代という

プロンプトなのに明治くらいですね あと紙きれ多すぎ 泣きすぎ 皆若すぎ(笑))

ところが、この橘大夫守助(きちだいふもりすけ)が 伊予の国に所領があるからと下って行った。ときは永長(1096-97)のころの秋である。この下向先(げこうさき)の伊予にて、特に病気でもなかったのだが、この橘大夫守助は 臨終正念として往生したという。そのとき、神戸 須磨(こうべ すま)の方から紫の雲が現れて、良い香りが満ち香り、吉祥(きちじょう-めでたい)な瑞相(ずいそう-兆候、現象)がみられたという。

(これはAI相当の画力です。プロンプトは「阿弥陀仏や諸菩薩の来迎の絵」。AIの絵は手とか目とかが変なのが多いですが、最近それもだいぶんよくなったようです。無料で数秒で作成スゲ-  いやよく見ると阿弥陀仏の手がおかしい)

これらを目にした人々は、仏法を軽んじていた橘大夫が 臨終正念として往生したことを不思議に思って その妻に聞いた。

「橘大夫(きちだいふ)はいったい如何(いか)なる勤行修行(ごんぎょうしゅぎょう)をやってきたのか。」と問うた。

これに対し、妻は

「皆さまご存じのように、夫は仏法に対し邪見をもっており、生前に功徳(くどく)をつくってきたなどという様子はありません。」と言った。

続けて、

「ただ、おととしの六月より、毎日 夕方に 自分の身体の不浄を気にしないで、衣服も気にせず、西に向かって一枚の紙の書付(かきつけ)を 両手を合わせて拝んでおりました。」という。

それを聞いた人々は、さらに妻を問いただして、その橘大夫が詠んでいたという一枚の紙きれを出してもらった。そしてその文面を見てみた。それは仏に対しての願文(がんもん)だった。願文の内容は以下である。

願文(がんもん)

「仏の弟子 橘大夫守助(きちだいふもりすけ) 謹(つつしんで)んで敬(うやま)い、西方極楽(さいほうごくらく)の教主(きょうしゅ) 阿弥陀如来(あみだにょらい)様、観音(かんのん)様、勢至菩薩(せいしぼさつ)様ほか もろもろの聖衆(しょうじゅ-臨終に来迎らいごう-するとされる仏菩薩)のみなさまに以下申します。

我(われ) 授かるのが難しい人身(にんしん)を授かり、遭(あ)い難(がたい)い仏法にめぐりあえりといえども、我が心 生来(せいらい) 愚癡(ぐち 無知愚か)にして、少しも勤め行う仏道はございませんでした。 我(われ) 徒(いたずら無為)に日々を明け暮らして、今空しく三途の川(さんずのかわ)を渡り 死を迎えようとしております。

さてここで、阿弥陀如来様は我(われ)と縁が深くございます。というのも、阿弥陀如来様は 濁(にご)ったこの末法の世の衆生を救おうとされて、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)であったときに四十八の誓願を立てられております。その誓願の趣意(しゅい 要点)は何かと愚考(ぐこう)しますと、『たとえ、四重(しじゅう 殺生、偸盗、邪淫、妄語の四罪悪。せっしょう殺人、ちゅうとう盗み、じゃいん強姦、もうご嘘をつく)、五逆(ごぎゃく 母を殺す、父を殺す、僧侶を殺す、仏を傷つける、仏道の集団を破壊する)を作った人であっても、命が終わろうとするときに、我が阿弥陀の浄土に生まれようと願い、南無阿弥陀仏と十度唱えれば、その者を必ず極楽浄土に迎えよう』とのお誓いを阿弥陀如来様はなさったことであるかと思われます。

今、我はこの阿弥陀如来様の本願を信じ頼りにしますので、今日よりのち、命を懸けて夕べごとに西に向かい、南無阿弥陀仏のお念仏を唱えてまいります。

願わくは、たとえば今晩 寝ている途中に死ぬようなことがあっても、寝る前の夕方の十度の念仏を、最期(さいご)の十念とおみなしいただき、阿弥陀如来様の本願(ほんがん)の通りに間違いなく我を極楽浄土へお迎えください。

またたとえ、まだ死なずに今晩は無事に過ごせまして、日中に 我が希望の通りに 南無阿弥陀仏と唱えられずに死んだとしましても、それまでの毎夕の念仏をもって終わりの十念とさせて頂きたいと思います。

生前の自分の罪は重いとは思いますが、五逆の罪は今までつくっておりません。わが功徳は少ないと承知しておりますが、本願のとおりに極楽浄土へお迎えいただきたいと切に願うものであります。阿弥陀如来様 必ずや我を極楽浄土へ引導してください。」

以上のように橘大夫の願文(がんもん)には記してあった。

これを見た人たちは 涙を流して、貴いことである、と言い合った。

それとは別の話であるが、ある聖人について次のような話がある。

彼は 橘大夫のような願文をつくりよむというようなことはしなかった。しかし、夜まどろんで眠っている時以外は、時間が経過するごとに、今が臨終 最期のときである との思いで、十度の念仏 を繰り返し 唱えていた。彼は これだけを 行(ぎょう)として、極楽往生を遂げたという。

勤行 修行に費やした時間は少ないが、常にこの世の仮想 無常を観想し、実相を観て 往生を心に掛けたということが この聖人が極楽往生できたことの要点である。

『往生要集』に「もし、人が常に心に忘れず、極楽往生を思い続けるならば、臨終して必ず極楽に往生できる。このことは、たとえば樹木がその曲がった方に自然に倒れるのと異ならない。」とある。

(20230928 訳す)

*なんと、まあ、素朴な時代。人々が素直な時代かと、率直に思いますね。みんなが、仏道、お天道(てんと)様主義で生きていた時代、性エネルギ-昇華の実践者が、出家という形でたくさん世間にあふれていた時代の話であります。

こんな時代、ただし疫病や貧困が巷に溢れ生きていくこと自体が必死だった 素朴な時代に、他者の修行を否定しないという条件でさまざまな仏道修行が民間でも行われていたことがよくわかります。天道に恥じない、まあ太陽神主義が素朴にいきわたっているという大前提のもと、様々な仏道修行で人生を全うした人たちがいたということです。

排他主義はカルトの姿勢。しかし基本の太陽神主義を排他しようとする、お言葉主義の 文献主義 エビデンス主義 唯物的実証主義 旧約聖書主義は 排他するしかね-ですね。