第二第1話 The Outsider Episode13
安居院の聖とある隠居の僧
第二第1話 安居院の聖、京中に行く時、隠居の僧に値ふ事
(あぐいのひじり きょうちゅうにいくとき いんきょのそうにあうこと)
最近以下のお話を私 鴨長明は人から聞いた。
比叡山の安居院(あぐい)に住んでいるある聖(ひじり)がいた。
彼はなすべき用事があり、京都に行むかっていた。道の途中、大通りに面した場所につながっている大きな井戸があった。
井戸のそばでは身分の卑しい下層出(かそうで)の風の尼(あま—女の出家)が洗濯をしていた。彼女は通りかかった聖(ひじり)を見た。そして、しばしの間(ま)の後、突然かの聖に向かって声をかけた。「ここに ある人があなた様にお会いしたがっております。」と。
聖(ひじり)は一瞬 面食らったが、落ち着いて返した。
「その人物はどういうお人か?」と。
尼は、「ですから今、対面していただけますか。その人から直接あなた様にお話されるでしょう。」と言う。
尼は続けて、「ただただお会い頂ければ分かるのです。ちょっとでいいのでお立ち寄りください。」と切々と頼んでくる。
当然聖は、訝(いぶか)しく思ったが、やむなく尼を前に立たせて進んで行った。通りから奥深く入っていったところに、小さく作った庵が見えた。中に案内されて入ると、年老いた僧が一人いた。
その僧は話し始めた。
「互いに初対面なのに これからお話しする申し出はぶしつけであることは分かっております。」と前置きした。
そして、「御覧のとおりこの場所にて、形だけでも後世(ごぜ)を祈ってのほとけへの務めを自分なりに果たしてまいりました。
しかし私には知っている人もいなければ、仏道への導き手 善知識(ぜんちしき 仏道へのガイド)もございません。
また、自分が死んで亡くなったあとは、死後の手続きを進めてくれる人も思い当たりません。したがいまして、『どんな人でもいいから、隠遁者(いんとんしゃ)や聖(ひじり)のような人物が通りかかったら、必ずこちらに呼んでお連れしてくれ。』と、いささか気もそぞろな感じで 尼には常日頃より申し付けておりました。」と その老いた僧は語った。
さらに、続けて、
「さて、もし、あなたが承知していただけるのならばですが—。ごらんのとおりみすぼらしい住まいですが、他にこれを受け取る人物もおりません。したがいまして、私の死後はここをあなたにお譲りしたいとおもいます。
まあ、みすぼらしくはあるのですが、これはこれで住んでみるとそう悪くもありません。大通りから引っ込んだ位置にあって、なかなか静かで落ち着いた環境でございます。」と。
さらに、
「まあ、難点と言えばですねえ、隣に検非違使(けんびいし 中世都の治安維持 秘密警察)が住んでおることかと。
—これが罪人を責め苛(さいな)む音や罪人の呻(うめ)く声が聞こえて、時々うるさいことですか—。
実はこのことが嫌で私も、『立ち去りたい』とずっと思っておりました。しかし、『自分の余命もあまりないほどの身だから』と、居所(きょしょ)を変える煩(わずら)わしさを厭(いと)い迷っているうちに今へと至ってしまったような次第(しだい)です。」と、詳しく老いた僧は語った。
これに対し安居院の聖は、「—考えましたが、このような不思議な次第となって、あなたのお話を承(うけたまわ)るのも、浅からぬ因縁によるのでしょう。
承知いたしました。あなたがおはなしくださったことを為すことは、たやすいことです。
安心して後世(ごぜ)を祈ってお過ごしください。」と言った。そして、二人は、今後を深く約束して縁を結んだ。
こうして、安居院の聖は かの老いた僧が 不安にならない程度の間隔で 彼を訪問し、月日は過ぎていった。
その後、しばらく経っていよいよかの老僧の死期が迫ってきた。安居院の聖は 老僧のもとからの願い通りに、そこに通い、彼を世話した。
老僧は弥勒(みろく)信仰の修行者であった。だから、安居院の聖の見守りのもとその弥勒の名号(みょうごう)を唱え、弥勒のマントラを十分に唱えながら、臨終を迎えることができた。
故人がかつて聖に言った通り、亡き後の諸事について他に干渉する人もなかった。
そして、遺言とおりに故人の家を聖は譲り受けるかと思われたが、聖はそうしなかった。
かの尼に この家は取得させ管理を任せたのである。
しばらくして、聖は尼に尋ねた。
「故人は いったいどのような人生を送ってこられた人物なのか。」
尼は 存じません、という。
「また、故人は生前 どのようにして日々の暮らしをたてていらっしゃったのか。」
と、問うた。しかし、尼は
「わたくしも 詳しいことは知ることができなかったのです。
主様(ぬしさま—故人の老僧)とは 思いもかけぬご縁でお側にお仕えするようになりました。
けれども、長年お仕えしましたが、何というお名前だったのかもわかりません。」と。
また、
「故人を知っている人が訪ねてくるようなこともございませんでした。
ただただ、主様(ぬしさま)はさびしそうに一人でいつもおいででした。」ともいう。
さらに、
「四季おりおりの生活に要する金品(きんぴん)は、二人分を誰人(だれびと)ともわからぬ人が、いつもなくなるころを見計らって届けてくださいました。」と、尼は語った。
亡くなった人物も、それなりのいわれのある人であったのだろう。
(20230726訳す)