第二第4話 三河聖人寂照、入唐往生の事
第二第4話 三河聖人寂照、入唐往生の事
(みかわのしょうにん じゃくしょう にっとうおうじょうのこと)
三河の聖(みかわのひじり)は、俗名を大江定基(おおえののさだもと)といい 文章博士(もんじょうはかせ 大学寮の教官)であった。
*大江定基(おおえのさだもと 従五位下 三河守みかわのかみ 寛和2年986年 寂心について出家する。寂照じゃくしょうと名乗る。入宋(にっそう)し、三十二年其の地にいた。長元7年(1034年) 中国 杭州で没。七十三歳。)
定基が三河守(みかわのかみ)になったとき、もとの妻を捨てて、この上なく愛した女を連れて任地三河の国に下った。
しかし、任地三河の国で、その女は病に罹(かか)って死んでしまった。
定基の嘆きはひとかたでなく、死んだ女を恋い慕(した)うあまりに、野辺の送り(葬儀)もしないで、女の遺骸(いがい・むくろ)を傍(かたわら)において泣き過ごしていた。
やがて、日数が経ち愛した女の骸(むくろ)が変化し腐り果てていく様を見続けていった。
そして、その観察を為している間に この世の無常 厭(いと)わしさが思い知らされ、六道の世界を超えて、九(究)の世界を目指す心を起こし出家したのである。定基(さだもと)二十代半ばのことであった。
その後あるとき、剃髪(ていはつ)して後、乞食(こつじき)し町を彼は歩いていた。
そのとき、「俺の道心は まことに本心からのものであるか試してみよう。」と彼は思い立った。
彼が向かったところは、かつて愛する女を伴うに際して、捨てて都にそのままにしたもとの妻のところであった。そこで 乞食(こつじき)を行った。
その女は、
「わたしに辛い目をあわせた報いに、落ちぶれろと思っていたが、それが実現してこれ以上の喜びはない。」
と、乞食をする彼に向き合い言ってのけた。
しかし、彼は屈辱や怒りの心が少しも沸き起こらないのを実感した。
彼は、
「あなた様のお陰で、私は覚者になることができそうです。な-む。」といいながら、
女に向かい合掌して、喜んでそこを立ち去った。
のち、かの内記聖人(the outosider episode15) 寂心 の弟子になって、東山の如意輪寺(にょいりんじ)に住んだ。
そののちは、比叡山の横川(よかわ)に上(のぼ)り、源信僧都(げんしんそうず)に弟子入りをし、天台の法門を学ばれたのである。
最後に、遂に中国に渡られて、宋(そう)の国に入国された。
かの地で 数々の奇蹟のような霊験をあらわしたので、大師号を贈られた。
円通大師(えんつうだいし)との名がそれである。
宋の地で往生されたときの様子が中国より渡来し伝えられている。
三河聖人 寂照 は 往生の際に 仏のみ使いの音楽を聞いて、詩を作り、歌を詠まれたという。
詩
雲の上にて 菩薩の吹く笛の音(ね)が聞こえる
日が沈むまえに 仏(ほとけ)や菩薩(ぼさつ)達のお迎えが来られている
和歌
雲の上はるかに楽のおとすなり
人や聞くらん ひが耳かもし
(雲の上はるかに 楽の音がなりわたっている
他の人はきいているのだろうか。それとも、もしかして私の空耳か。)
(20230814訳す)