第二巻五話 仙命上人の事 並 覚尊上人の事
(せんみょうしょうにんのこと ならびに かくそんしょうにんのこと)
仙命上人—俗名未詳。幼少より出家。嘉保三年(1096)八十三歳没
覚尊上人—俗名没年未詳。鴨川堤防再建など功績多数。
近年、比叡山に 仙命上人という高僧がおられた。彼の日常修行は止観を旨として、仮のこの世の事象をみわたし 真理の観想をこころがけ、念仏を唱えていた。
あるとき、持仏堂(じぶつどう)にて、念仏を唱えながら 真理の形象としてほとけを観想思念(かんそうしねん)していた。
そのとき虚空(こくう)から、「あああ、なんとあなたは 貴いことを観想なさっていることか!すばらしい。」と声がした。
仙命上人は、不思議に思って、「誰ですか?そんなふうにおっしゃるのは。」と、虚空の声の主に尋ねた。
これに対し、「わたしは 比叡の山の三聖(さんしょう 釈迦、弥陀、薬師の三如来の化身)です。あなたが、発心したまえるときより、日に三度 天(あま)を駆けて、あなたをお守りしております。」とこたえる声がした。
この仙命上人だが、特に自分の日常生活のことには無頓着(むとんちゃく)であった。
彼がつかっている小法師が一人いた。
小法師は日に一度 比叡山の僧房を乞食(こつじき)して回って その日に聖人が食べる食料を集めて聖人を養っていた。
仙命上人は それ以外は何も人の施(ほどこ)しを受けなかった。
その当時の 白河院の御妃(おきさき)の女御(にょご)が
今の世に優れて貴い高僧を供養しようと思われて、周りの人々に当代一の出家僧についてお尋ねになり相応(ふさわ)しい人物を探された。
結局、仙命上人こそが周りに比するものないほどの貴い僧であるとの噂を聞きあてられた。
そして、かの女御(にょご)はおん自(みずか)ら 僧の着用する袈裟(けさ)を縫い奉られた。
さすがに、ありのままに白河院の妃である自分が縫ったというと、当の袈裟をまさか受け取りはすまい、とお考えになって 一つの策を思いつかれた。
それは、仙命上人のつかう かの小法師に よく言い含めて、
「思いがけないおかたから この袈裟を賜りました。」と言わせて仙命上人に捧げさせた。
かの聖(ひじり)はこの袈裟をよくよくみて、
「三世の諸仏よ、受け取り給え」と叫んで、袈裟を谷へ投げ捨ててしまった。
結局、どうしようもなくこの件はそのままになってしまった。
そもそも、仙命上人は、他人が欲しがるもので自らのもっているものは惜しむことなく与える風であった。
たとえば、
板敷きの板を欲しがる人がいれば、住んでいた房(ぼう)の床板を二三枚とりはずして、もたせたりしていた。
あるとき、
比叡山の東塔(とうとう)の鎌蔵(かまくら)に住んでいた親友の覚尊上人(かくぞんしょうにん インフラ構築等の公共事業に功績があった)が、夜の暗いときに仙命上人のもとに来たことがあった。
覚尊上人は当然、其処(そこ)の板敷きの板がないのを知らないので、床下に足を落とし入れてしまい、「ああ、痛い」と叫んでしまった。
それを聞いた仙命上人は、
「御坊(ごぼう あなた)は不覚(ふかく 心得違い)の人よのう。
もし、そのまますぐに死んでしまうようなこともありえないことではないのだから、『ああ、痛い』などという臨終の言葉があってなろうか。
そういうときは、『なむあみだぶつ』と言ったらいいのだ。」といわれた。
あるとき
かの仙命上人が 覚尊上人の住んでいる東塔の鎌蔵(かまくら)へ出かけたことがあった。
すると、覚尊上人が ちょっと、急ぎの用がある、といって 仙命上人を置いたまま出て行ってしまった。そして、すぐに覚尊上人が戻ってきて、なにやらごそごそと住まいの中で処理を施している。
これを不審に思った仙命上人が、改めて 彼の施した処置をみてみると、多くの家財にいちいち封をしてあった。
これをみた仙命は、「なんとも不愉快なことをするものじゃ。まさか、いつも外出のたびにこのようなことをしているのではあるまい。覚尊(かくぞん)にこの私を疑うという気持ちがあるからこそ、このようなことをするのだろう。
覚尊のヤツめ、早く帰って来い。
このことを問い詰めてやろう。」と、待ち構えていた。
そのうちに、覚尊上人が帰ってきた。
今や遅しと、待ち構えていたので、仙命上人は、覚尊の姿を見るや否や、問いただした。
対して、
「いや、もちろんいつもこのように封をしたりなどするわけではないですよ。
また、他の人が 自分のものを取るのも惜しんでいる訳ではないです。
されども、御坊(ごぼう あなた)が留守の間にいらっしゃるからこそ、このように普段はしない、家財に封などをしたのです。
その理由はこうです。
もし、なんらかの事情で 家財のうち無くなるものがあった場合、
私は凡夫ですので、御坊を疑う気持ちが自分自身に生じてしまったなら、大変な罪障を積んでしまうと思ったからです。
そういった自分自身の心が疑わしいと、そういう理由で封をしたのです。
物そのものが無くなることが惜しいなどと思ってのことではないのです。」
と、覚尊上人は語った。
かくて、この鎌蔵の聖(覚尊上人)が先に亡くなったとき、それを聞いた仙命上人は、次のように言われた。
「覚尊上人は必ずや往生されたことであろう。
物に封をつけるほどのことをなして、自らの弱き心をコントロ-ルしようとした、心の匠(たくみ)であったのだから。」と。
その後、仙命上人は夢で覚尊上人に会った。
それで、「御坊は 極楽の(九品中の)いずれの品に往生されたのか?」とお尋ねになった。
対して、夢中の覚尊上人は
「下品下生(げほんげしょう—最下等)です。
しかし、それさえも辛うじて得た位階でした。仙命上人のお陰でなんとか往生をとげることができました。
日頃の橋を渡し、道をつくるという行だけでは、往生はかなわなかったでしょう。
御坊のすすめにしたがって、ときどき観想の念仏をしたので往生がかないました。」
と、こたえた。
続けて、仙命上人は問うた。
「この仙命は往生は叶うだろうか?」と。
覚尊上人が、
「御坊の 覚醒往生は疑いございません。
上品上生(じょうほんじょうせい—最上等)にお定まりになっております。」と、
語るのが、夢の中で見られたということである。
(20230824訳す)