kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
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発心集 第三第1話 江州増叟の事 The Outsider Episode25

発心集 第三第1話  江州増叟の事

 (ごうしゅうの ましてのおきな のこと)

*江州(ごうしゅう近江地方おうみちほう—滋賀の異称)

今よりだいぶん昔のことだが、近江(おうみ)の国に乞食(こつじき)してありく翁(おきな叟)がいた。その叟は 立っても、座っても、また、見る事や聞く事の動作の都度に、「まして(それにも増しての意味)」とだけことばを発するのだった。だから、その叟(おきな)の周りの者たちは彼を「ましての叟(おきな)」とあだ名して呼んでいた。

彼は たいして人から尊敬せられるような徳のある人物ではなかったが、いつも普段から愛想をふりまいて乞食(こつじき)をして歩き回っていたので、人々の前にその姿を現すと皆(みな)彼に 施(ほどこ)しを与えていた。

その当時、大和(やまと)の国(現在の奈良)にある聖(ひじり)がいた。どういう経緯からか、その聖(ひじり)は夢でこの「ましての叟」が必ず往生(おうじょう)を遂げるという夢告(むこく夢のお告げ)を得た。そこで、貴く往生する人に会って結縁(けちえん)し功徳(くどく)を得ようと、わざわざ近江の国までその叟(おきな)を尋ねて行った。そして、叟(おきな)の粗末な草庵(そうあん)に泊めてもらった。夜になって 聖は かの叟に、夜はどのような勤行(ごんぎょう)をしているのか、と問うた。しかし まったく決まった勤行などしていないと叟は答えた。次いで、「では、過去にどんな修行をしてきたのですか。」と問うた。すると叟(おきな)は特別な修行などしていない、という。

そんなはずはない、何かあるのではないかと納得できなくて、その聖(ひじり)は更に重ねて叟(おきな)に次のように言った。

「私は今回あなた様をお訪ねした本当の目的をお話しします。それは、あなたが 覚醒往生をはたすであろうという旨の夢を わたしは自分の夢の中で見たのです。だから、わざわざあなたを訪ねて来たのです。お願いです。往生のための勤行など教えてくださいませ。お願いです。隠さないでください。」と。

それを聞いてさすがに叟(おきな)は聖(ひじり)の熱意に感じることがあったのであろう。叟(おきな)は次のように語った。

「わたしは実は一つの行をこころがけて、いままでやってまいりました。つまり、実はわたしが『まして』といっていることば癖(ぐせ)、それがわたしの心掛けてきた行なのです。」と。

続けて、叟は言った。

「その意味は、こうであります。たとえば、飢えたときは地獄の餓鬼道に落ちたときの気持ちを想像します。そうして、今は飢えているが、実際の地獄の苦しみは まして これ以上であろう、という思いのもと、『まして』といってきたのです。同様に、寒さや、暑さを耐え難く感じた時も、実際の地獄の 八寒地獄(はっかんじごく)、八熱地獄(はちねつじごく)はまして こんなものではないであろう、という思いのもとまた『まして』と言ってきたのであります。」と。

さらに、叟は言った。

「こうして、諸々(もろもろ)の苦しみにあうたびに、地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪道に落ちたときのことを思い、重ねて重ねて『まして』実際の地獄はこんなものではないだろうと自らに言い聞かせ、自らを戒めてまいりました。

また、美味(びみ)なる食べ物にありつけたときは、その現実の味に更に天上の諸天が摂取しているという不老長寿の甘露(かんろ)を観想して、『まして』天上の甘露はこれ以上であろう、と現実の飲食に執着(しゅうちゃく)をとどめないようにして参りました。

同じようにして、現実に美しいものを見たり、優れた音曲をきき、良い香りにめぐりあったときにも、これらは、『まして』天上のものに比べれば、ものの数ではないであろう、とおのれを戒(いまし)めてきたのでございます。つまりは、ほんとうの極楽浄土にあるものは、何事においても『まして』どんなに素晴らしいものであろうか、と思ってこの世の楽しみに執着して耽(ふけ)ることを戒(いまし)めてきたのでございます。」と、言って話し終えた。

かの聖(ひじり)は、叟(おきな)の話の次第を聞き終えて、涙を流し、掌(たなごころ)をあわせて、合掌して 叟(おきな)の草庵を立ち去った。

以上の話から、わたし鴨長明が思うに、この叟(おきな)は 通常のように極楽浄土の荘厳(しょうごん)なありさまを観想する方法はとらなかった。しかし、彼は 生活の中のおりおりの場面で、道理に合った観想をこころがけ実践していた。煩雑な観想の手続きや次第にしたがわなくても、いま自分にできる 道理に根差(ねざ)した観想の方法でも、現世の執着を離れ、覚醒往生を遂げることはできるのである。

(20231020訳す   レイテ沖海戦の日に)