発心集 第三巻10話 (しょうくうりっし けもうふかきこと)
薬師寺(奈良市の西の京にある法相宗の総本山)に、証空律師という僧がいた。
その証空律師が、老齢になって引退してしばらく経ってからのことである。
かの人が次のように言った。
「薬師寺の (事務総括の)別当職の欠員があるようだが、これに私が就任したいと思うのだが、どうだろうか。」と周りの者に希望を述べられたという。
これに対し、弟子たちは異口同音(いくどうおん)に次のように言った。
「そのようなご希望を師がのべられるとは、あるまじきことです。
なぜなら、師はお年も召されて引退なされた身です。
さきごろ僧官のおつとめを引退なさったのも、必ずや師に深いお考えがあってのことであろうと、人々も奇特なことであると感心して師の引退を受け止めて今に至っているのでございます。
それが、今更 薬師寺の別当職になりたいだのと希望をなさいましては、意外なことであるとして、人々も幻滅いたすに違いありません。」と。
弟子たちは皆、情理を尽くして、証空律師を諫めたことであった。
しかるに、当の本人は それらの諫言(かんげん)に もっともなことである、と納得するような様子がない。どのようにしても、別当職に就きたいという希望が深いようであるので、弟子たちの気遣いも力及ばないような有様であった。
弟子たちは、このような事態になったことを嘆きつつ次のように言い合った。
「この上には、師にどのように申し上げても 我等の諫(いさ)めはお聞き入れないようである。
それでは、架空の夢の話でも語って、師が身もだえするほど怖がらせて差し上げようではないか。」と。
このように弟子たち一同で取り決めたことであった。
そうして、日も経ち 静かなときを見計らって、一人の弟子が証空律師に次のように語ったのである。
「先日の夜に、とても理解しえない不思議な夢を わたしは見ました。
ここの庭に いろいろと恐ろし気な様子の鬼たちが たくさん集まって 大きな釜(かまど)を皆で準備して 色を塗っているのでございます。わたしは、不審に思って、鬼たちに何をしているのか問うたのであります。すると、鬼が『ここの坊主の律師の責め苦のための釜だ』とこたえたのです。
どうして我が師が責められるような深い罪があるであろうか。
理解できないことである、と思ったのでございます。」と。
話し終えて、当の弟子は 律師が、この話を驚き恐れるだろうと、思って師の様子を見ていた。しかしながら、律師は 耳元まであふれるばかりの笑い顔となって、
「わたしのこの度の 別当職に就きたいという願望は必ずかなうということだろう。この夢の件は他言するのではないぞ。」と言ったというのである(夢告の他言は夢の実現を妨げるという考えがあったのである)。加えて願望が叶うよう神仏に拝みのしぐさまでする始末であった。
これに対し、さすがにその弟子も二の句が告げなくなってしまい、もうそれ以上何も言えずに黙り込んでしまったということである。
(日本風の地獄絵図作成できません—-とほほ けど、いい雰囲気ですね)
以上の話から、わたし鴨長明が思うのは以下である。
この貪欲の僧証空律師も、それなりの智者であるからこそ律師の地位に昇りつめたのであろう。しかしながら、年齢七十歳にもなって、自分が地獄で責め苦にあっても願望が叶うという夢を喜んだというのである。非常に不愉快なまでの貪欲(とんよく)の深さである。
この話は、 前の章に述べた 無学の樵(きこり)の父が独りで悟りを得たはなしと引き比べて、比較もできないほどの情けない智者のありさまではないか。
(20240305訳す)
<訳者から一言>
特に述べるまでもなく、本文の通りであります。
無学にして身分も卑しい 樵の父親の現世のこだわりを厭うというはなし(前回分三章の9話)のあと、世間的に 地位も高く 智者と誉れの高かった人物の欲深く、己の願望を七十歳になっても遂げようとする有様の比較であります。
いつの時代にもままある話かとも思われます。
ただ、深読みにてこの証空律師が、たとえ自分は世間の非難を浴び地獄に落ちても、衆生救済のために薬師寺の別当職に就こうとした、という美談にも仕立てられる可能性もあるという点で、聖職者の美談と実体というのはいつの世も ホントのとこはどうなのかという問題もありますね。
まあ、往々にして、聖職者が一番自分の説いてきた宗教上の教義を馬鹿にしてて、現世への執着が人一倍世間の俗人以上に強いという現象が一般的かと思われます。ヨーロッパの教会史とかにもそんな話は枚挙に暇なしで、まあ職業的宗教者というのが信用ならない人物が多いというのは心の片隅に留めておいていいことであるとは思います。
(20240315)