第一第9話 神楽岡清水谷仏種房の事
第一第9話 神楽岡清水谷仏種房の事(かぐらおか しみずだに ぶっしゅぼうのこと)
京都神楽岡の清水谷には、仏種房(伝未詳)という貴い聖人がいた。私 鴨長明は彼と直接対面したことはない。しかし、彼は最近まで存命の人物であり、近隣の人々から覚者往生人として尊敬され、その高貴さを噂されていた。
この聖人は、その昔 比叡山の西の谷の水飲(みずのみ)という地に住んでいた。あるとき聖人が木を拾いに谷に下りている間に、盗人(ぬすっと)が聖人の庵(いおり)に入った。
留守の間にささやかなものをすべて奪い、遠くに逃げよう、と盗人が逃げたと思って振り返ってみると、もと居たところに戻っている。「なんなのだ これは?」と思って「よし、逃げるぞ」というようなことを繰り返しているうちに、およそ二とき(約四時間ばかり)経ってしまっていた。結局、盗人はこの水飲の地の湯屋(ゆや 風呂場)のまわりをぐるぐる回っているだけでどうしてもその外に逃げられなかった。
そうこうしているときに帰ってきた聖人は そこでうろうろしている男を不思議に思って男に何をしているのか、と問いかけた。これに対し、「おれは盗人(ぬすっと)で、あんたの小屋で仕事をして遠くに逃げようとおもったんだ。けどな、やった、逃げた、と思っても、なんど逃げようとしてもどうしても逃げることができねえんだ。こんなことはふつうのことじゃねえ。こうなったら盗んだものを今 返すから、お願いだ、許してくんな。逃がしてくだせい。帰りてえんだ!」と盗人は言った。
これに対し、「お前はいったいどうして罪深く、人のものを盗もうとするのか。ただ欲しいと思う気持ちが強いから 人のものを取ってしまうのだろう。—まったく返す必要はない。それがなくても、私はべつに困らないから。」と聖(ひじり)は言った。そうして、盗人に物を取らせたうえで逃がしてやった。実に、深いあわれみの心を聖人は持っていたと思われる。
時が経ち、神楽(かぐら)の清水谷(しみずだに)に聖人が住むようになった後の話である。ここに聖人のお世話をし聖人を庇護(ひご)している壇越(だんのつ、檀那、パトロン—この話では女性の壇越)が住んでいた。この女性は聖人に深く帰依(きえ)し、機会があるたびに贈り物をしていた。そうして何かにつけて布施(ふせ)の品を聖人のところへ持ってくることを習慣としていたのである。
ある時、聖人はこの壇越の家に意図的にやってきた。そして、
聖人は、
「以外に思うかもしれませんが、最近思うところあって参りました。このたび、粗末な庵室を建てるために、大工を雇っていますが、この大工が魚をうまそうに焼いて食べているのを見て、うらやましく思っていました。私も魚が欲しくなり、『壇越のあの方の家に行けば、魚がたくさんあるのかもしれない』と思って、わざとここに参りました」と。
主人は愚かな女心で「あらまあ、驚いたこと。魚は僧侶は禁食でなかったかしら。」と意外に思ったが、快くたくさんの魚を取り出して聖人に差し出した。聖人は喜んでむしゃむしゃと魚を食べ、食べ残しをうつわを蓋にして敷いた紙に包んだ。そして、「これを持って帰って、庵(いおり)で食べよう」と言って、懐(ふところ)に入れて出て行った。
その後、この女性は 聖人の魚食を残念に思ったが、やはり崇敬する仏種坊さまにひもじい思いはさせられない、と思い直した。
そして、「先日召し上がった魚をお持ち帰りになったことが、夢の中の出来事のように思えます。ですので、今また重ねて差し上げます」と言って、さまざまに魚を調理して聖人に贈り届けた。しかし、今回は聖人は受け取らなかった。
「お心遣いは嬉しいです。しかし、先日の残り物で満足してしまいました。だから、今はもう欲しくありません。これをお返しします」と聖人は言った。
聖人のこのことばも、おそらくこの世に執着を残さないと思ったからではないだろうか。
この聖人 仏種房は後のある時、風邪を引いて苦しんでいた。
彼の家は荒れ果てており、修理することもなかった。彼の病を見舞う人もいなかったので、彼は一人で病床に横たわっていた。八月十五夜の明るい月の夜、夜の初めから聖人は念仏を唱えていた。
近隣の家々に、この念仏の音声が聞こえてきた。念仏につられ近隣の人が集まって見ると、板壁が合わず、荒れ果てた家に、月の光が妨げるものなくあばら家の中に差し込んでいた。
深夜を過ぎる頃、「あな嬉し。これこそが、長年私が思いつることよ」と言う声が、中から壁の外へ聞こえてきた。その後、念仏のこえも聞こえなくなった。
朝になって人々が見に来ると、聖人は、西を向いて座り、手を合わせて、眠っているように死んでいた。
聖人の家は、町中から少しも離れず、身分卑しい下郎の家々が続いていた。
(20230702訳す)