kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
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発心集 第一第8話  佐国、花を愛し蝶と成る事 付、六波羅寺幸仙、橘の木を愛する事 

第一第8話  佐国、花を愛し蝶と成る事 付、六波羅寺幸仙、橘の木を愛する事

(すけくに、はなをあいしちょうとなること、ろくはらじこうせん たちばなのきをあいすること)

ある人が仁和寺の近くにあった円宗寺(えんじゅうじ)の法華八講と呼ばれる法華経八巻の講義会に参加しようとしていた。彼は待っている間、時間があったので、近くの人の家を借りて立ち入ることにした。

彼がその家を見ると、さほど広いとはいえない庭の庭先の植え込みには何とも見事に木々が植えられていた。その植え込みの上には仮の屋根が取り付けられ、少し水もかけられていた。この水は、本当は水ではなかったのだが、それは何だったかはのちにわかる。そこでは、さまざまな花が咲き乱れ、錦(にしき)をかぶせたように見えていた。その上、いくつもの蝶が楽しそうに飛び回っていた。

彼は、この庭の様子をとても素敵だと思ったので、わざわざ家の主を呼び出して、それについて尋ねた。

すると、「この庭には深い理由があると言えばあるのです。ある思いがあってこのように花を植えているのです。私は、名を佐国(すけくに—大江助国おおえのすけくに 漢詩人)といった世に知られた博士の子であります。父の佐国は存命の頃は花に熱中し、折々趣向を凝らして花々を育てておりました。

そして、その気持ちを詩にもしたためました。『日本全国の花々を見てもまだ飽きず。生まれ変わっても、きっと花を愛する人でありたい。』という意味の漢詩が父の作であります。

しかし、ここまで思いが強いと、生死の境を超えるほどの執着になるのではないかと私は心配いたしておりました。父の死後に、ある人が、 父が蝶になって遊んでいるという夢を見たと言いました。それを聞いて、ありそうな罪深いことである、と感じました。であるならば、蝶となってしまった父 佐国がこのあたりにも迷っているのかもしれない、と思って、その自分の心当たりのままに花を植えるようにしました。そして、ただ花だけではまだ不十分かと思い、朝ごとに花に蜜をたらすようにしているのです」と主人は語った。

また、六波羅寺の住僧である幸仙(伝未詳)という人がいた。彼は長年 道心が深かった。しかし、橘の木を愛し、執着心に取り憑かれ、蛇になってその木の下に住んでいたと言われている。この件は伝承として文献(『法華験記』『拾遺往生伝』)に残っている。

以上のように執着心が原因となって人間以外の生物に生まれ変わることを、他の人が知るようになった例は希(まれ)である。多くは、知られずして人間以外の生物に生まれ変わっていると考えてよいだろう。結論すれば、我々各人が一瞬一瞬に起こる執着心を原因として、おのおの悪身(あくしん―――人間以外の生物)となってしまうことは疑いない。何気ない現世のマトリックスに対する執着心が身の破滅をもたらすというこのことは、実に恐れに恐れても足りないほどである。

(20230702 訳す)