kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
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発心集 第一第6話  高野の南筑紫上人、出家登山の事 

第一第6話  高野の南筑紫上人、出家登山の事

(こうやのみなみのつくししょうにん しゅっけとうざんのこと)

中ごろ、高野山金剛峯寺には南筑紫と呼ばれる尊い聖人がいた。彼はもともと筑紫の出身であった。生まれ故郷の筑紫の国(現在の北九州)では領地もたくさん所有していた。この国の慣習として、多くの田畑を所有することが「立派なこと」と考えられていたが、この男は家の前に約50町つまり約50ヘクタールもの広大な田畑を持っていた。

ある年の八月のある朝、彼が外に出てみると、稲穂がゆらゆらと見事に実っており、稲穂のうえに露が心地よくついていて、実り豊かな光景が遠くまで続いていた。そして、「この国に豊かであると評判の人は多い。しかし、自分のように門田を五十町も持つ人はさすがに珍しい存在だろう。私のような下郎の身には分不相応なことである。」と心にしみて思っていた。さらに、前世からの因縁が次のような気持ちにさせたのだろうか。「そもそも、これは何事だろう。この世の有り様は、昨日までは生きていた人が、今日は存在しなかったりする。朝には栄えた家も、夕方には衰えてしまう。一度目を閉じて死んでしまった後、貯めた富は何の役に立つのだろう。なのに浅はかにこの世への執着心に囚われて、永遠に六道の三途の河に沈んでしまうとしたら、それはとてつもない悲劇ではないのか」と、一瞬で無常を悟る心が強く湧き上がってきた。

そして、また「今 自宅に戻れば、妻子や多くの家族がいる。それに邪魔されるかもしれない。ただここを離れて、知らない世界に行って、仏道を歩もう」と考えて、何気ない風を装って京都に向かって出奔した。

その時、さすがに周りの人々は気づいたり、家人に告げ口したりして、驚き騒ぎが起こった。その中には彼がかわいがっていた十二、三歳ほどの娘がいた。彼女は泣きながら父親に追いついてきて、「私を捨てて、どこへ行かれるのですか。」と彼の袖をつかんで引き止めた。すると彼は「ああ!お前には絶対に邪魔されるまいぞ」と言って刀を抜き、娘の目の前で自らの髪を切り落とした。娘は恐れておびえ、袖を放して泣く泣く引き返していった。

以上のような次第で、そのまま真っすぐに高野の山に登って、頭を剃り、意志のとおりに出家してしまった。かの娘は 父の求道(ぐどう)の邪魔になることを恐れて、そのまま筑紫にとどまっていた。しかし、後に父の跡を訪ねて尼となった。そして高野山の麓(ふもと)に住んで、死ぬまで出家した父の衣類の洗濯や裁縫などの仕事をして、孝養を尽くした。

この聖人は後に徳が高まり、高い地位の人も賤しい身分の人も彼に帰依しない者はなかった。

さて、彼 南筑紫上人(みなみのつくししょうにん)が新たに堂を建てて供養しようと思った時、落慶の法会(ほうえ)の導師をだれにするのか考え悩んでいた。そのうちに見た夢で、「この堂はある日ある時、浄名居士(じょうみょうこじ、維摩詰ゆいまきつ 釈迦在世時の在家の高弟)によって供養されるであろう」と人が告げる光景を見た。その夢を見て、すぐさま枕もとに立てているついたてにその件を書き付けた。非常に不思議だったが、「何かわけがあるのだろう」と思いながら、そのまま何事もなく日にちが過ぎていった。

まさにその日 新たに堂ができ、供養すべきときになり、堂は荘厳に飾られた。維摩詰あるいはその生まれ変わりが到来するのを南筑紫上人は待ち遠しく思っていた。その日は朝から雨が降り、他からのやってくる人もいなかった。やっと時間が経ち、とても不思議な様子の僧侶が蓑笠(みのがさ雨具)をかぶって現れ、礼拝しながら歩いてきた。すぐに彼を捕まえて「お待ちしていました。どうかこの堂を供養なさってください」と上人はその人に言った。その僧侶は驚いて「私はそんな才覚学識のある者ではありません」と言った。「身分の卑しい私が、たまたまついでがあって立ち寄っただけのことです。」といって、滅相もないという態度であった 。しかし、夢のお告げがあったことを話し、書き付けた日付が確かに今日であることを示したところ、この法師も逃げ道がなくなった。そして、「では形式的に申し上げましょう」と言って蓑笠を脱ぎ捨て、すぐに堂の導師ののぼる盤上に上がった。そして、彼はすべてが絶妙で、喜ばしい説法を行った。

この導師をつとめた法師は、天台宗比叡山の説法に秀でたことで有名だった高弟の明賢阿闍梨(みょうげんあじゃり)であった。修学のため高野山を拝もうとお忍びで立ち寄り、姿をやつした様子でたまたま参拝されたのだ。以来、高野山ではこの阿闍梨を、浄名居士の化身と呼ぶこととなった。

さて、この南筑紫聖人は特に尊い存在として知られ、白河院に帰依されていた。高野山はこの聖人の時から殊に栄え続け、最後には臨終正念を持って往生したことが伝記で確認されている。先祖より受け継いだ広大な田畑財産を惜しまずに放棄し、六道世間を仮想のマトリックスと喝破(かっぱ)され九の覚者への道を志されたのは、稀有(けう)にしてありがたい心であった。

九の者覚者は、この世現世と未来に渡って苦しみを受けるのは、財を貪(むさぼ)る心を根源とする、と言われている。仮想のマトリックスに過ぎぬ財物を六道世間の人々はこれに熱中し、個人も深くこれが実在のものと執着する。その故に、争いが絶えず、欲深さはますます増し、怒りの心も燃え盛るのである。その挙げ句、人々他人の命を奪い、他人の財産もかすめ取るまでに至る。個人、家族や国が崩壊するまでの現象もすべてはこの過度の欲望から生じる。そのため、「欲深ければ災いは重い」とも説かれている。また、「欲望の因縁によって地獄、餓鬼、修羅の三悪道に堕ちる」とも説かれている。つまり、マトリックスにとらわれるとこの六道という監獄を永遠の住処(すみか)としてしまうのだ。

だからこそ、仏法滅尽とされる現代の世においては、財を見れば深く恐れ厭(いと)うべきである。釈迦の滅後の弟子たちは、「欲望深くして、欲望を貪ることが原因で戒律を破り、罪を犯し、地獄に落ちる者となる」と言っている。「財をみたならば、毒蛇を捨てるように、道の脇に捨てるべきだ」とも言っている。

(202300705 訳す)