kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
古典 宗教とアウトサイダ-

発心集 第一第12話  美作守顕能の家に入り来たる僧の事 偽悪のアウトサイダ-

第一第12話   美作守顕能の家に入り来たる僧の事

(みまさかのかみ あきよしのいえにいりきたるそうのこと)

美作守顕能(みまさかのかみ あきよし藤原顕能 保延5年-1139年33歳没 従四位)の屋敷に、歳若い僧が、突然入ってきた。そして、大変尊い様子で読経(どきょう)をなした。主(あるじ)である顕能はこの読経を聞いた後この僧に話しかけた。

「汝(なんじ-お前、そなた)はなんの用があってここに来られたのか。」と。

その若い僧は顕能の近くに寄つて、

「私は乞食(こつじき)の僧でございます。ただし、家ごとに物乞(ものご)い歩くというやりかたは採っておりませぬ。西山の寺に住んでございますが、いささか望み申すべきことがあるので聞いていただけますか。」と言う。

その様子は、あるひたむきな真剣さも感じられ、この僧を無下(むげ)に捨て置くこともできない感じがあった。だから主人の顕能も、「汝(なんじ)の望みは何であるのか申してみよ」と丁寧に尋ね問うた。

すると、その若い乞食僧(こつじきそう)は、「では申しますが、自分でもとても普通でない事情であるとはわかっております。」と、前置きして、続けた。

「実は、私は、ある所の若い女房(にょうぼう)と深い関係になってしまい、身の回りの世話などをさせておりました。そして、思いもしなかったのですが、ただ事ならぬ事態になってしまいました。—つまり、まあ、妊娠してしまったのです。お察しください。」と。

さらに、 「それで出産予定日がこの月になってしまったのですが、『この事態の原因はつまりはこの自分の過(あやまち)である。だから、今後はともかく、出産のために彼女が動けない間だけは、彼女が命を維持できるだけの糧(かて 食べ物)を、与えたいものだ。』と存じておりました。」と。

そして、最後に「しかしながら、どうにもこうにも ただの乞食僧の自分でありますのでその願いを叶える力がございません。したがいまして、『もし、この事情をはなせば、同情して援助をいただけるかもしれぬ』と思い、恥を忍んで此方(こちら)に参りました。」と、その若い乞食僧は語った。

次第をじっと聞いていた主人の顕能(あきよし)は、根本の原因である女が妊娠に至ったまでの経緯については、僧である者と女の関係ということで完全には納得できなかった。しかし、こと最終的に女が妊娠してしまい、自らに資力がないので、有力者の元に恥も外聞もなく来て女の為に援助を請う、その姿は同情すべきであると思うようになった。

思案の結果、口を開き、「あい、わかった。簡単なことである。」と言った。

そして、身内の者を手配して、その若い僧が女の為に必要な食料を持たせて家の者に持たせて、かの僧の住んでるところへ届けさせようとした。

この顕能の申し出に対し、かの僧は、「ここまで申し上げましたとおり、色々な点で恥を感じてございます。勝手な申出(もうしで)とお思いになるかもしれませんが、私の住んでいる場所は知られたくないと存じます。ですから、いただいた食料は自分で持っていきましょう。」

と。そうして、顕能に準備してもらった食料を、背負えるだけ背負って、屋敷を出ていった。

その後、顕能は、やはりなにやら腑(ふ)に落ちぬ、と訝(いぶかし)しく思った。そこで、屋敷の小者(こもの  身分の低い使用人)を若き乞食僧の居所(きょしょ)に探りにやらせた。つまり、かの僧の跡をつけさせたのである。

主人の命令でその小者は 変装し、隠れてかの僧の住処(すみか)を探索に追跡した。

やがて、かの僧に気取られぬように、潜伏していくうちに、北山の奥にはるばると分け入りて、人も通はぬ深谷(しんこく 深い谷)に入っていった。そして、ようやく時間をかけてかの僧は居所(きょしょ)に到着した。

かの僧は、一間(いちげん  二畳敷き)四方ほどのみすぼらしく小さな柴でできた庵(いおり)の内に 仏具や生活のための品を並べて住んでいる様子だった。小者は、しばらく かの僧の暮らしぶりを観察していた。

そして、かの僧が、「あな苦し、大変であった。しかし、三宝(さんぽう 仏 法 僧)の助けあって、安居(あんご 夏安吾ゲアンゴ 四月十五日から七月十五日の九十日間の籠もり修行)の食(じき)も得ることができた」と庵の入り口で仏に報告するように独りごとを言うのを聞いた。そして、自分の足を洗って、庵の中にはいりしずかになった。

この一連のできごとを観察して、この使いの小者は、「なんと 意外にして 稀有(けう—めずらしい)な事情だったことよの」と思った。

日もとうに暮れてしまい、今晩は主人の元に帰れそうもなかった。小者は、庵のそばの木陰で腰を据え、 静かにそのあとも かの僧を観察することにした。

やがて、時間は経過し、夜は更けていった。かの僧の法華経読誦(どくじゅ)の声は とても尊く響き渡った。

静かな闇夜の中でそれを聞いていた小者は、次第に次第に涙が止めどもなくあふれ出てきた。

そして、いつの間にか寝入ってしまった。

夜が明けて、遅くなってしまったと、小者は屋敷に帰っていった。

そして、主人 顕能に、ことの次第を報告した。

顕能は驚いて、「さればよ(やはりな!)。かの僧はただ者ではないと思ったとおりである。」といった。

そして、その小者を使って重ねて手紙を持たせてかの僧のもとに持っていかせた。手紙には「昨日持って帰られた食物は意外にも 貴僧の夏安居(げあんご)の修行のための御料(ごりょう—食物の敬語)と納得いたしました。そうであるならば、量が少し少なすぎはしないでしょうか。使いに 追加の御料を持参させましたので、お納めください。さらに、必要なことがございましたならば、必ずおっしゃってください。助力させていただきます。」との文面で追加の食料と他の物と共に持参させた。

また、口頭でも小者を通し申し述べさせた。

しかし、かの若い僧はひたすら経を朗々とよむばかりで、何とも返事は言わず姿も現さなかった。

仕方なく、結局、その小者は、持参した種々の物を、その小さな庵の前に取り並べて帰った。

その後 月日も経って、「さて、あの若き法師(ほうし)はあれからどうされたことであろうか。様子を見に行ってみるか。」とかの小者は思い立った。

そして、再び森の中の草庵を訪れてみた。

しかし、かの庵には既に人の気配はなくなっていた。

おそらく、かの僧は最初に得た物を持って他の場所へ去っていったと思われた。以前主人の命令で後に届けた贈り物はそのまま置かれたままの様子であったが、森の鳥・獣(けだもの)たちが食ひ散らかしており、ここかしこにこぼれ散らばっていた。

真の道心ある人は、以上のように、敢えてわが身の徳を隠そうとする。それどころか、必要以上に我が身の過(とが)を強調して、自らが人から尊敬されるのを恐れるようにふるまったりもする。

もし仮に、ある人が、六道の仮想の現実を遁れようとして宗教者または宗教的人間の形をとったとせよ。しかし、彼が「立派にこの世を捨てたと思われたい」だの、「宗教者として貴い振舞いをしていると他人から思われたい」だの、宗教的人間としての評判や評価を気にしての行為が存在するならば、世間一般の単純な名声を求めてのことよりも罪が重い。宗教的偽善、宗教者の欺瞞は二重の意味で偽善の中の偽善、欺瞞の中の欺瞞といえるのである。

この故に、ある経に、「出家者が名聞(みょうもん)を求めることは、たとえるならば、血を以て血を洗ふが如し」と説かれるのである。つまり、出家は名聞を超越するためのものであるのに、出家者としての名聞を求める結果になるのは矛盾も甚だしい。これを血をもって血を洗うといってもいいだろう。

宗教的立場を得ることによってもとの血は、洗はれて、落ちやすいかもしれない。つまり、出家前のその人間の罪は消せるし、消せたような気がするのかもしれない。ほんとのことは分からない。しかし、出家した後の、今の血は、大いに汚(けが)す。つまり、宗教的立場を得てからの名声を求める振舞は 二重の偽善であることを 今の血は大いに汚すと言っていいだろう。これは、愚の愚。愚劣の極みである。六道を形式的に否定し、六道世間に実質的に拘束されているから。しかし、この愚劣の極みが現実には多いのである。学者、インテリの偽善、宗教者の偽善これは現代でも枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。

(20230720訳す)