kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
古典 宗教とアウトサイダ-

発心集 第一第11話 高野の辺の上人、偽りて妻女を儲くる事 偽悪のアウトサイダ-

第一第11話  高野の辺の上人、偽りて妻女を儲くる事

(こうやのほとりのしょうにん いつわって さいじょをもうくること)

高野山の周辺には、長年 修行を行ってきた聖人が住んでいた。彼は伊勢国(いせのくに)出身であり、たまたま自らここに住み着いたのだった。

彼は行徳があるだけでなく、多くの人々が彼に帰依(きえ)していた。だから、さほど貧しいというわけでもなく、多くの弟子もいた。

そんな風な有様(ありさま)で次第にとしつきも経過して聖人も老いた後、彼は特に頼りにしていた弟子を呼び、次のように言った。「御身(おんみ-おまえ)に聞いて欲しいとずっと思っていたことがある。この思っていることを御身にいった場合、これを聞いた御身の心中に気兼ねして、ずっと言い出せずにいたのだ。どうか、どうか、これから言う頼みを断らず聞いて欲しいのだ。」と。

一方、「どんなことでも、師(先生)がおっしゃられることは 間違いなく実行致します。ご遠慮は無用です。速やかに師(先生)の申出(もうしで)を承(うけたまわ)りましょう。」と、弟子はこたえた。

「こんな状況で御身(おんみ—そなた)に頼みごとをする自分自身、まさかこれから頼むことが必要になるなど思いもしなかったことである。」と前置きした。

そして、「高齢の身になって、身辺が寂しくなって、事あるごとに不便に感じている。だから、適当な女人(にょにん)と話しをして、夜の伽(とぎ)の相手としたい、と思っているのだ。」と。

さらに「その女性(にょしょう)は、あまり歳の若い者はよくないだろう。ある程度の年配でよく気の付く人を、こっそり探してもらいたい。そして、その女に夜の伽の相手をするように仕向けさせて頂きたい。」とのたまわれた。

加えて、「ここの寺の住坊の管理と運営は御身(おんみ-そなた)に譲りまかせる。私が長年してきたように御身はこの坊の主人として、檀家の人たちの信仰などを上手に処理してもらいたい。そして私を寺の奥の家に住まわせ、二人の食事を決まりのものとして届けてもらいたい。」と。

最後に「私のこの申出(もうしで)について御身の心中を推し量る(おしはかる)と、面(おも)はゆい(恥ずかしい)ので、今後御身と対面などもしないようにしたいと思う。御身以外の者は私が生きていることを知る必要はないだろう。だから、今後は私のことは死んだ者として ただ命があるかぎりの必要最小限の配慮を為していただきたい。

ここまで述べてきた希望をかなえてもらうことのみが、長年抱(いだ)き続けてきた宿願であるのだ。」と、一番弟子に対して熱心に聖人は訴えるのだった。

対して聞いていた弟子は、あきれるほど意外な師の申し出であると思い驚きつつも、「このように率直にお話しくださったのは嬉しいことです。今後のことは急いで準備いたしましょう。」といった。

その後、心当たりを身近の者や遠くの者たちにあたり、師の希望にかないそうな女性を探し始めた。

やがて、未亡人で歳四十(とししじゅう)ほどの女性があるのを聞きあてた。

そして、彼女をねんごろに説得して、暮らしやすいように配慮しつつ、師のもとに住まわせた。

師の希望通り、誰も人を通さず、自分も師匠のところへ行くこともなく時は過ぎていった。

跡を譲られた弟子は、その後の日々の坊での修行や生活が思い通りにいかないことや、いろいろ相談したいことがあって 師の考えを聞きたいと思うことが幾度も出来(しゅったい)した。

しかし、あのように師と約束したことであったので、師のもとにいくこともなかった。

そうこうして、気が晴れぬままに時は過ぎ六年(!6!六道世間の6 マトリックスの6)の年月が経った。

六年の時が経過したある日 この女人が泣きながら房の方にやってきた。

そして彼女は、「今朝がた、聖人様はお亡くなりになりました。」と言った。 

跡継ぎの弟子は驚いて師の住まいに行って見た。

すると、持仏堂(じぶつどう)の中で、仏像の手に五色の糸が掛かり、それを自らの手に垂らして引いてにぎって、脇足(きょうそく 座って肘をのせる道具)に寄りかかりながら聖人は亡くなっていた。念仏を唱えるために合掌された手のようすも生前と変わらず、数珠(じゅず)が手にかけられた様子も、ただ生きている人が眠っているようで、世に言われる正念臨終(しょうねんりんじゅう)の様(さま)に少しも違(たが)うものではなかった。

仏壇には勤行(ごんぎょう 読経どきょう修行)の仏具が整えられ、鈴(れい 念仏を唱えながら鳴らす小さなすず)の中には紙が押し込まれていた。

かの弟子は、とても悲しくて、彼女に師の生前の様子を細かく尋ねた。

すると、かの女人(にょにん)は次のように語った。

「年数を重ねながら、こうして仕えてきましたが、普通の妻や夫のような男女の関係はありませんでした。」!。

さらに、「夜は敷物を互いに敷いて並べ、私も聖人様も目覚めている時は、人の人生の生き死にまつわる煩わしさや厄介なことや、それを乗り越えて浄土を願うことにつきこまごまとおはなしし、お教え頂きました。言ってもせんのないようなことは語らず、二人で 心温まるひと時を過ごしました。」。

彼女は続けていった、「昼間はほとけさまの行法(ぎょうぼう)を三度欠かさずに行い、その他の空いた時間には自らおねんぶつを唱えておいででした。また、私にも勧(すす)めて頂き私も聖人様の真似事で唱えるようになりました。」と。

続けてさらに、「はじめのころの二月(ふたつき)、三月(みつき)までは、聖人様もかなり私のことをお気遣いでした。

そのころ聖人様は『このように 世間から離れ 普通でないような有様(ありさま)を、御身(おんみ)はせつなく思っているのではないか。もし そうならば 心にまかせて思うとおりに ここを出ていってもいいのだ。もし、御身がここから出ていって赤の他人になっても、ひとたびこのような間柄になったのは前世からの因縁である。ここであったことを、ゆめゆめ他人に語ってはいけない。

もし御身と私とが互いに仏道成就(ぶつどうじょうじゅ)のための縁、 善知識(ぜんちしき)となって二人のそれぞれの人生で後世(ごぜ)までのつとめを静かに果たせる機縁となるならば、こんなにうれしいことはない。』と自分のような者にもありがたいお言葉をかけていただきました。」とかの女性はいった。

さらに彼女は続けて、「それに対して私も聖人様に、『まったくお気遣い無用です。一緒に暮らした夫に先立たれて どうして 夫の後世(ごぜ)を弔(とむら)わないでいられましょうか。

私も出家(しゅっけ)の方のように、このような憂(うれ)いの多いこの世に巡りあいたくない、と この世を厭(いと)う気持ちはございます。

しかしながら、人はこの世でどうあってか生きてまいらねばなりません。さても日々の糧(かて)を得るために寡婦(かふ 未亡人)の身で生活をなりたたせる手立てもない境遇でございました。

不本意ではございましたが夜伽(よとぎ)の相手として人からおうかがいし聖人様のもとに参りましたので、世間一般のふつうの女子(おなご)のようにはわたしのことを おぼしめなされなくとも結構です。

聖人様にお気遣いいただきましたように、ここでの聖人様とのこの生活を決してせつなくなど思っておりませぬ。ましてや、わたくしごとき者のことを ありがたくも仏道の縁(えん) 善知識(ぜんちしき)ともおっしゃっていただき、身に過ぎたことと存じてございます。』と聖人様に申しました。

それを聞いた聖人様は『御身(おんみ-そなた)のその言葉を聞いて、返す返すもうれしきことである』とおっしゃりました。」と語った。

かの女人(にょにん)は最後に、「このたびの聖人様ご自身のご臨終のことも、前もってご自身でおわかりのようでした。死期をさとられてからもわたくしに、『わしが死のうとするとき、ほかの者に知らせないでくれ』とのおことばがございましたので、お言葉通りに皆様には聖人様のご危篤のことを申さないでおきました。」と、かの弟子で現在の坊の主人に語り終わった。

(20230714訳す)