kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
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発心集 第三巻第3話 伊予入道、往生の事 The Outsider Episode27 

発心集 三巻第3話 伊予入道、往生の事

 (いよにゅうどう おうじょうのこと)

伊予守源頼吉(いよのかみ みなもとのよりよし頼義 前九年の役ぜんくねんのえき平定などで知られる高名な武将 承保二年1075 八十八歳没)は、若き頃より武人として多くの殺生(せっしょう)の罪をのみつくり、すこしも自らがしたことに対して慚愧(ざんき—悔恨かいこん)の気持ちがなかった。であるから、当然の事として 彼が仕えた後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)のご命令ではあったのであるが、前九年の役(ぜんくねんのえき)でみちのく東北地方に向かい、十二年の間に謀叛(むほん)を起こした安倍頼時(よりとき)、その子の貞任(さだとう)、宗任(むねとう)らを躊躇(ちゅうちょ)なく滅ぼした。さらには、その主人たちに付き従った諸々(もろもろ)の眷属(けんぞく家来)たちの、その身を滅ぼし殺戮(さつりく)したについては数えきれないほどのものだった。

仏法で言う因果(いんが)のことわりが嘘でないのならば、頼吉の地獄落ちは疑いないと思われた。ところが、ここに みのわ入道という法師がいた。彼は、頼吉の隠居よりまえに出家隠棲して、仏道に入っていた。この みのわ入道が おりおりに この世の無常のことわりや、この世で我が身が為した報いの恐ろしさなどを言っているのを 頼吉は聞いていた。その結果、たちまちに頼吉は発心して 髪の毛を剃って 一筋に往生極楽覚醒(おうじょうごくらくかくせい)を願うようになった。その みのわ入道がつくったお堂は出家して伊予入道となった頼吉の家の向い、つまり、左女牛小路(さめうじのこみち)よりやや北の西洞院(にしのとういん)の近くにあった。みのわ堂(頼吉自身建立こんりゅう に関係し、前九年役の犠牲者の耳を土壇の下に埋め耳納堂といったのが由来ともいわれる)といって、最近まで存在した。

この堂にて、頼吉—伊予入道は こもって念仏勤行をするようになったが、そうして自身が昔為(な)した罪を悔い悲しむようになった。彼が流した涙が お堂の板敷きに落ちてたまり、堂の床から縁の下に流れて土に落ちるまでに 伊予入道は泣いたということである。

その後、人に伊予入道は次のように語っている。

「今となっては、我が往生覚醒の願いは疑いなく、叶えられると確信しています。往生への思いについて勇猛にして強盛なる気持ちが湧き上がってくることは、昔 前九年の役のときに安倍氏の衣川の館(ころもがわのたち—岩手県胆沢郡西舘いざわごおりのにしだて)を攻め落とそうとしたときの気持ちと異なりません。」と。

その言の通り、まことに臨終の様子はめでたくて、見事 往生極楽覚醒(みごと おおうじょうごくらくかくせい)したことが、『続本朝往生伝(しょくほんちょうおうじょうでん)』に記(しる)されている。

以上のことから、仮に多くの罪を過去に作ったからと言って、卑下するべきでない。深く 発心のこころを起こして しかるべき修行(しゅうぎょう)、勤めをおこなえば、往生覚醒ができることは この例からも間違いのないことなのである。

さてところで、伊予入道源頼吉(みなもとのよりよし頼義)の息子、源義家(みなもとのよしいえ八幡太郎義家はちまんたろうよしいえ)については、その最期はついに彼を導く高徳の善知識もなく、彼自身 自らの為したことがらについて慚愧(ざんき後悔)の心もおこすことはなかったので、彼の罪障は消滅することはなかった。

彼が、晩年に重病となって床に臥(ふ)せているときに、義家の向かいの家に住む女房が恐ろしい夢を見た。種々様々のかたちをした化け物や妖怪たちが、義家の周りを取り囲んでいて、その数も数えられないほどであった。彼女が「なにごとがあったのか。」とその妖怪たちに尋ねると、「人をからめとらえようと思って俺たちは集まっているのだ。」と、いう。

しばらくたって、その化け物たちが、男を一人捕らえ追いたて行列を組んで進んでいった。その行列の先頭に、高札(こうさつ)を差し上げていたので、その女房はそれを見ると、「無限地獄の罪人」と書いてあった。

その女房は 夢から目覚めて、自分が見た夢について大変不思議に思い訝(いぶか)っていた。それで、周りの者に聞いてみると、「今朝がた、隣の源義家殿は、すでにお亡くなりになったよ。」とのことだった。

<20231109 ナチスSS発足の日に訳す>