The Outsider Episode 31
発心集 第三巻第7話 書写山客僧、断食往生の事 此の如きの行を謗るべからざる事
The Outsider Episode 31
発心集 第三巻第7話 書写山客僧、断食往生の事 此の如きの行を謗るべからざる事
第三巻第7話
(しょさやざんきゃくそう、だんじきおうじょうのこと かくのごときのぎょうをそしるべからざること)
播磨の国(はりまのくに:現在の兵庫県西南部)の書写山天台宗円教寺(しょしゃざん てんだいしゅう えんきょうじ)に、他から来た放浪修行の法華経持経(ほけきょうじきょう)の修行僧がいた。
—*法華経持経について法師功徳品(ほっしくどくほん)「この法華経を受持し、もしくは読み、もしくは誦し、もしくは解説(げせつ)し、もしくは書写せば、この人はまさに八百の目の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得(う)べし」とある。これにより持経修行者が古来多くあらわれた。—
そして、かの地、書写山円教寺の人たちのなさけにて、そこで何年かを過ごした。とりわけ円教寺の長者の僧を頼りにしていた。あるときこの持経者が長者に次のように言った。「わたしは、深く臨終正念として極楽に生まれることを願っております。しかし、おのれの死、つまり臨終の様子は真に知ることはできません。したがいまして、今のうちこれといった邪念もなく、我が身に病もない間に この我が身を仏道の為に捨身(しゃしん:自殺自裁)しようと思っているのでございます。
しかしながら、身灯供養(しんとうくよう:焼身自殺)や入海供養(にゅうかいくよう:投身自殺)は その有様(ありさま)があまりにも目立ちすぎます。それに、身灯や入海は死ぬときの苦しみも深いと思われます。ですから、わたしは、食べ物を断って、やすらかにこの世を終わろうと思います。」と。
続けて、
「つきましては、この決心を自分だけが知っているのでは 決心が鈍るかもしれないので、このようにあなた様に打ち明け、存じ頂いておこうと申し上げているのです。ですから決して決して、他にこの件は口外なさいませぬようお願いいたします。」と。
重ねて
「断食に際しまして、居所(きょしょ)は南の谷に用意しておきました。これより以後はここをお暇(いとも)しまして、その場にこもるばかりであります。こもって後は 無言の行と致しますので、あなたのおことばを承(うけたまわ)るのは今日限りとなろうかと思います。」と。
これに対して長者は 涙を落としながら、
「まことにまことにあわれに感じ入りました。あなたがそのように思い立たれたことでありますから、もはやあれこれと申すつもりもございませぬ。
但し、わたしが気がかりになったとき、そっと忍んであなたのおこもりの居所に行きまして、あなたの様子をみにうかがうことはお許しいただけましょうか。」といった。
その長者の申し出に対し、持経者は、
「もちろん構いません。あなたのことを信用しておりますので、このようなことまで申し上げたのです。」などと、よくよく長者と約束をして、持経者は 件(くだん)の南の谷の居所に行き隠れた。
円教寺の長者は、 以上の次第(しだい)についてとても感じ入り稀有(けう)な貴いことであると思ったのであった。そののち毎日でもかの持経者の居所を訪ねてみたいと思ったのであるが、彼も自分がみだりに訪問したら煩わしく思うであろう、と遠慮していた。そうして、いつのまにか数日の時間が経ってしまった。前のわかれの日から七日程が過ぎていた。そして、かの持経者が教えた場所を尋ねて行ってみた。すると、身体ひとつが入るほどの小さな庵をつくって、そのなかで彼は座って経をよんでいた。
長者は彼に近づいていき、「体も弱ってしまって、苦しさなど感じてはいないですか。」と長者が問えば、断食の持経者は無言の行に入っていたので次のように紙に書きつけて返事をした。
「行に入った当初は とても苦しく思って気持ちも弱り、このままでは我が臨終もどんなに見苦しいものになってしまうことか、などと心配しておりました。
しかし、まどろんで二三日前に見た夢で、法華経安楽業品(ほけきょうあんらくぎょうほん)のごとく 幼い童子がきて 我が口に水を注いでくれたように感じました。その後は、この身も涼やかな気持がして、力もでてきて、今では何の苦痛もございません。只今のこのような状態ならば、我が臨終も覚醒正念のねがいのようになりましょう。」と。
このことがあってから、貴くかつうらやましいことであると、長者は寺に帰ったのちに 余りに珍しく奇特なことであるかと思った。そのため、おそらく 近しい弟子たちには この件について 口止めされていたのに、語ってしまったのであった。
そうして、次第に断食の持経者の行のことが評判になって、書写山円教寺の僧たちが 貴い修行者に結縁(けちえん)しようとして、件の谷の庵に尋ね行く者が出るようになってしまった。
この有様を見て、庵(いおり)の持経者は
「ああ、何ということか。あれほど口止めしたのに。」と、思ったがもうどうしようもなかった。
しまいには周辺の郡内(ぐんない)にひろくこの様子が知られてしまい、近くの者のみならず遠方の者まで集まって大騒ぎするようになってしまった。
責任を感じて 円教寺の長者である老僧も、現場に行って全力で騒ぐ者たちを制したりするのだが、彼らは全く聞こうともしない。持経者は無言の行にてものは一切言わないのであるが、ひどくつらそうな様子である。その様子をみると、長者はひとえに自分のあやまちがこのような事態を招いてしまったと思って、くやしくまた持経者を気の毒でそれ以上みていられなくなってしまった。
かくて、集い騒ぐ者たちは、さまざまに庵に向かい物を投げかけたり、拝んだりしたので、持経者の往生にとって不都合なことこの上ないと思われた。
結局、どのようにしてか隙を見て、この持経者の僧は庵を捨てて、どこへともなく秘かに隠れてしまった。ここらに集まった者たちは、手分けして山を踏み分け 行方を捜したが、遂にかの僧をみつけることはできなかった。
いくら探してもみつけられないので、「それにしても不思議なことだなぁ。どこへいってしまったのだろう」などといいあって、皆いぶかっていた。
そうして、十日と数日程経過して後、思いがけずかの僧の痕跡(こんせき)をみな見出(みいだ)した。もとの庵からわずかに五六段数十メ-トルほど離れたところに、真柴(ましば)が深く茂っていた場所の物陰に、経典と紙衣(かみぎぬ—和紙で作った衣服)とだけがそこに置いてあった。
以上は、今わたし鴨長明が、こうやって記しているときから三、四年のうちの出来事である。だから、実際にかの山で見聞きせぬ人がないというほどの有名な出来事である。まあ、末世の世にはめったにないような出来事と思われる。
この話からの学びは何であろうか。
およそすべての人は諸々(もろもろ)の罪をつくり背負っている。その罪障のすべては この我が身が過去に為してきたことを原因としている。そのことをよく踏まえて、臨終に際して覚醒往生を願うのならば、往生の決定について一体何の疑問をいだくことがあろうか。
しかしながら、現実にはこの濁世(じょくせ—汚れた世)のならいとして、ヒトは自分の分限を越えた望みを抱いだりするものである。あるいは、他人の願ったことにつき、それを誹謗批判して、たとえば「前世に 他人に食べ物を与えないで、おのれの分限をわきまえなかった報いに、希望した覚醒往生が叶わないという目にあうのだ。」とあげつらったりする。
あるいは、「人の善行を妨げる天魔が 周りの人間の心をたぶらかして、修行者を驚かして 覚醒往生の願いを妨げようとたくらんだのである。」などと批判したりもする。
これらは実際に今回の話について聞かれた批判のコトバであるが、ほんとうに人の宿業(しゅくごう カルマ)というものの実際は知ることができないのである。ならばそのような批判をしてしまえば、ヒトののぞんだ往生のための行はどんなことをもってしても楽しく豊かになどはなりようがないではないか。
そもそも、どのような行であったとしても、欲望を抑えしのんで、自分の身を苦しめて、苦心することを基本の条件としている。だから、そのような修行をすべて過去に他人を苦しめた報いであると言ってしまうのはいかがなものだろうか。他人の真剣な行についての批判はたやすい。
まして 仏道の成道つまり仏や菩薩を目指す行は 総じてすべて仏法を重く見て、現世の我が身を軽くするものである。だから、一見ほとけや菩薩になるような往生の痕跡が見られないのは、自分の心が及ばないからそうなのである(カルマがどうのこうのという問題ではない)。
であるから、それぞれの立場に応じて修行者が真剣に学んだり取り組んだりしたことを安易に謗(そし)る必要などないのである。また、謗るべきではない。
有名な善導和尚は 念仏の祖師である。生身(しょうしん)のまま悟りを得給(えたま)える人であった。覚醒往生されることは疑うべくもなかったのであるが、木の枝の末にて首を吊られたもうた。しかしながら、善導和尚ともあろう人が、人々にとって悪しきことをご自分がなさろうはずもないではないか。つまり捨身という供養も深義にてあり得るのである。
また、法華経(薬王菩薩本事品)にいわく、「若し、ヒトが道心を起こして菩提を求めようと思うのならば、手の指足の指を燃やして仏(ほとけ)に供養せよ。この行為は、国や城や妻子や太子、或いは国土等のもろもろの宝をもって供養するよりも優れている。」と。この文言を見て思うことは、以下のとおりである。
ヒトが我が身を焼いたりすると、現実には皮の焼ける匂いは臭く、けがらわしい感じもする。こういった行為は仏(ほとけ)のためになんの必要があるだろうか。なんの必要もない。とすると、身を焼く身灯供養は ひとふさの花にも劣り、ひとひねりのお香にもおよび難いのである。しかしながら、身灯供養する者の志が深く、苦しみを忍ぶという理由で、大いなる供養となるのに違いない。
そういう次第で、もしヒトがいさぎよく発心して次のように思ったとする。
「捨身は、太子や国土を寄進する以上に勝れた供養であると、仏がおっしゃったからには、私たちにとっては難しいことではない。この身は我らが所有するものである。そして、普通夢のように虚しく朽ち果ててしまうだけである。であるならば、どうして供養を指一本に限る必要があるだろうか。どうせ虚しく朽ちる身であるならば、この体と生命の一切を仏道に捧げて、無限の過去からの連続した生死の罪を償いたいと思う。そうして、仏の加護を賜(たまわ)り、よく臨終正念となることを期(き)そう。」と、深く心を固めて、喰い物をも断ち、身灯供養をもし、あるいは入海供養をしようとしたならば、ほかならぬ御仏(みほとけ)の為に発し給える悲願であるので、諸仏菩薩が引導(いんどう)したもうのである。
であるならば、今の世でもかようの断食、身灯、入海などの捨身の行によって終末を期する人は、その直後に かぐわしい良い香りが漂い、紫雲がたなびいたりと往生を示す吉瑞(きちずい)がはっきりとあらわれることが多い。今回の話では あの童子が現れて、持経者の口に水を注いだ、という事績も往生引接(おうじょう いんじょう)の証(あかし)ではないのか。このような瑞相は 仰いで尊んで信じるべきである。
一方、自分の知見が及ばぬことであるからと、自分自身が信じないだけではなく、他人の信心をさえ乱すのは、愚痴無明(ぐちむみょう)のきわまったことである。
(20240105 訳す)
*
訳者記す。
珍しく筆者鴨長明が長文の感想を述べております。
現代に比べて、いかに人々がよく言えば素朴に生きており、穿っていえば経文の文言の表面解釈を柔軟にしないで素直に 文面通りに実践しようかとしていたことがうかがえます。断食、身灯、入海、補陀落渡海といった実質 自殺が宗教的行為として広く行われていたことであります。 社会の調整機能としてのアノミ-的自殺とみなせるのかもしれませんが、この自殺をもって成仏への道とは正直思えないし、自殺をもって臨終正念とすることはやはり無理があるのではないかと 率直に思ってしまいます。しかし、少なくとも筆者が言うように自裁の道を選んだ人を批判誹謗することはしてはいけない、というのはそのとおりであるとも思うのであります。
まあ、ヒトは安易に他人の生きざまに 批評や批判を加えるものであります。已むを得ざる思考と煩悶ののち 当人の決断した生き方死に方の選択には 他人がとやかくやいえるものではないでありましょう。
そのうえで、本文に述べられている見解で、承服しかねる見解の一つが、この我が身と我が命をわがものと考える考え方というのは 仏教上、思想上ほんとうに正しいのかということであります。我が身や我が命は実は私のモノではないのではないであろう、というのが原初 元型の観念から、太陽系人類の観念からは導き出される結論であると考えられます。われとわが身がわたくしの所有というのは大いなる錯覚であります。われとわが身は神からの借り物に過ぎないのであります。
この見地からは、仮に自裁が結論されたとしても、もとの大神さま太陽神のもとに我が身と我が命をお返しする、そういうことが認められる場合にのみ許されるのではないか、ということになります。しかしながら、中世そこまでの思索があったとは、今のところ思えないということでありましょうか。