kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日8月22日 1944疎開船対馬丸攻撃され沈没、ほか写真wikipedia在りし日の対馬丸

8月22日

20240822木曜日旧暦7月19日先勝(戊午つちのえうまジンゴ)月齢 17.6

甲辰きのえたつ年壬申みずのえさる月戊午つちのえうま日 年末まであと131日

https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8822%E6%97%A5

8月22日の出来事

1777年 – アメリカ独立戦争: スタテン島の戦い行われる。

損害 アメリカ独立軍 戦死行方不明300人 イギリス軍 戦死行方不明100人

1944年 – 第二次世界大戦: 対馬丸事件。学童疎開船「対馬丸」がアメリカ海軍の潜水艦に撃沈され、乗員乗客1418名が死亡。

1945年 – 第二次世界大戦・ソ連対日参戦: 三船殉難事件。樺太からの引揚船3隻がソ連軍の潜水艦に攻撃され2隻が沈没、1700名以上死亡。

1945年 – 肥薩線列車退行事故、53名が死亡。

1945年 – 愛宕山事件: 8月15日から愛宕山に篭城していた右翼団体・尊攘同志会会員ら12人が手榴弾で自決。

1981年 – 台湾で遠東航空103便墜落事故。作家の向田邦子ら110人全員死亡。

1985年 – イギリスでブリティッシュ・エアツアーズ28M便火災事故。ボーイング737がマンチェスター空港を離陸する際左側のエンジンが爆発、機体が二つに折れて炎上し、54人死亡。

1999年 – 中華航空642便着陸失敗事故。バンコク発香港行きの中華航空機が香港国際空港上空で台風の突風に遭遇し着陸に失敗、3名が死亡。

2006年 – プルコボ航空612便墜落事故。170名死亡(全員)。

2022年 – 名古屋高速バス横転炎上事故が発生。2名死亡7人負傷。

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1777年 – アメリカ独立戦争: スタテン島の戦い行われる。

損害 アメリカ独立軍 戦死行方不明300人 イギリス軍 戦死行方不明100人

スタテン島の戦い(英: Battle of Staten Island)は、アメリカ独立戦争中の1777年8月22日に、ジョン・サリバン少将の指揮する大陸軍が、ニューヨークのスタテン島を守るイギリス軍を襲ったときの戦闘である。サリバンは予測していたように多くの捕虜を捕まえることができず、むしろ船が足りなかったために自軍の兵士約200名を捕虜に取られた。サリバンはこの襲撃に失敗したことで告発されたが、1777年の後半に開かれた軍法会議では全てが無罪になった。

1944年 – 第二次世界大戦: 対馬丸事件。学童疎開船「対馬丸」がアメリカ海軍の潜水艦に撃沈され、乗員乗客1418名が死亡。

対馬丸(つしままる)は、日本郵船のT型貨物船の一隻で、総トン数6,754トンの貨物船[4]。旧字体の表記は對馬丸[4]。

太平洋戦争中の1944年8月、疎開船として民間人や児童ら計約1,700名を乗せて那覇から長崎へ向かう途中、8月22日にアメリカ海軍の潜水艦「ボーフィン」からの魚雷攻撃を受け沈没し、大きな犠牲を出した[5]。

1945年 – 第二次世界大戦・ソ連対日参戦: 三船殉難事件。樺太からの引揚船3隻がソ連軍の潜水艦に攻撃され2隻が沈没、1700名以上死亡。

1945年 – 肥薩線列車退行事故、53名が死亡。

1945年 – 愛宕山事件: 8月15日から愛宕山に篭城していた右翼団体・尊攘同志会会員ら12人が手榴弾で自決。

愛宕山事件(あたごやまじけん)は、1945年8月15日東京都芝区(現在の港区)の愛宕山で右翼団体構成員が第二次世界大戦の日本の降伏終戦に反対して篭城した事件である。尊攘義軍事件とも。

概要

1945年(昭和20年)8月15日の昼に、日本がポツダム宣言を受諾し連合国に降伏することが昭和天皇による玉音放送によって発表されると、降伏に反対する右翼団体「尊攘同志会」の首領・飯島与志雄ら12名が愛宕山に篭城した。飯島らは抗戦派軍人の決起を期待し、これに呼応するため日本刀や拳銃、手榴弾等で武装していた[1]。

これを知った警視庁では約70名の警官隊を動員し、愛宕山を包囲、投降を呼びかけた。飯島らは説得を拒否し立て篭り続けたため、22日午後6時頃、警官隊が発砲し突入、追いつめられた飯島らは手榴弾で自決を図り、10名が死亡、2名が捕えられた。

その他

港区の愛宕神社境内に同事件の慰霊碑がある。

1981年 – 台湾で遠東航空103便墜落事故。作家の向田邦子ら110人全員死亡。

1985年 – イギリスでブリティッシュ・エアツアーズ28M便火災事故。ボーイング737がマンチェスター空港を離陸する際左側のエンジンが爆発、機体が二つに折れて炎上し、54人死亡。

1999年 – 中華航空642便着陸失敗事故。バンコク発香港行きの中華航空機が香港国際空港上空で台風の突風に遭遇し着陸に失敗、3名が死亡。

2006年 – プルコボ航空612便墜落事故。170名死亡(全員)。

2022年 – 名古屋高速バス横転炎上事故が発生。2名死亡7人負傷。

チャットgpt先生の8月22日のエッセイ

8月22日は、歴史の中で多くの悲劇的な出来事が起こった日です。特に、戦争や事故による悲劇が目立ちますが、それらは私たちに過去からの教訓を刻み続けています。

1777年、アメリカ独立戦争の中でスタテン島の戦いが行われました。独立を求めるアメリカ大陸軍がイギリス軍に挑んだこの戦いは、勝利を手にするどころか、逆に多くの兵士が捕虜となり、失敗に終わりました。この出来事は、戦争の厳しさと戦略の重要性を教えてくれます。戦争は単なる勇気だけではなく、周到な計画と判断力が求められる場であることを、歴史は繰り返し示しています。

第二次世界大戦中の1944年、対馬丸事件が起こりました。疎開を余儀なくされた多くの子どもたちを乗せた船が、アメリカ海軍の潜水艦に沈められ、1400名以上の尊い命が失われました。これは戦争の非人道性を痛感させる出来事であり、無辜の命がいかに容易に奪われてしまうかを示しています。

同じく戦争末期の1945年、ソ連対日参戦に伴う三船殉難事件が起こりました。樺太からの引揚げ船が攻撃され、1700名以上が命を落としました。この出来事もまた、戦争の終わりが決して安息をもたらさないことを教えています。戦争が終結する瞬間まで、恐怖と死の影は付きまとい、人々の運命を翻弄するのです。

さらに、1945年には肥薩線列車退行事故や愛宕山事件が発生しました。戦争の混乱期における人々の苦悩や葛藤が浮き彫りになります。特に愛宕山事件では、日本の降伏に反対して立ち上がった人々が自決を選んだという、戦争がもたらす絶望的な状況が描かれています。

戦後においても、航空事故などの悲劇が続きました。1981年の遠東航空103便墜落事故、1985年のブリティッシュ・エアツアーズ28M便火災事故、1999年の中華航空642便着陸失敗事故、そして2006年のプルコボ航空612便墜落事故は、技術の進歩にもかかわらず、依然として人間の生命が脆弱であることを思い知らされます。これらの事故は、航空技術の限界や、予測不可能な自然の力を前にした人間の無力さを象徴しています。

そして2022年、名古屋高速バス横転炎上事故が発生し、再び命が奪われました。これは私たちの日常の中で、いつでも危険が潜んでいることを忘れてはならないという警鐘です。

8月22日は、歴史の中で幾度も悲劇が重なった日です。これらの出来事を振り返ることで、私たちは過去の犠牲に思いを馳せ、未来に向けてどう生きるべきかを考えなければなりません。歴史は繰り返さないように見えても、私たちの意識と行動次第で未来は変えられる。過去を忘れずに、より良い明日を築くための知恵と力を持ち続けることが大切なのです。