kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日7月31日  1588アルマダ海戦開始、ほか写真wikipedia『無敵艦隊敗北』ラウザーバーグ画

7月31日

20250731木曜日旧暦6月7日赤口(辛丑かのとうしシンチュウ)月齢 6.3

乙巳きのとみ年癸未みずのとひつじ月辛丑かのとうし日 年末まであと153日

吉方位 隠遁日 辛丑かのとうし日 東 大吉

https://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8831%E6%97%A5

7月31日の出来事

781年(天応元年7月6日) – 奈良時代末期、朝廷編纂の『続日本紀』に富士山噴火に伴う降灰の記録されており、富士山の最古の噴火記録になっている[1]。

1588年(ユリウス暦7月21日) – イギリス艦隊とスペイン無敵艦隊の間のアルマダの海戦が始まる。

損害 イギリス 戦死100 戦傷400 戦病死1000 

スペイン 戦死600 戦傷800 戦病死20000

1932年 – ドイツ議会の選挙が行われ、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が230議席を獲得し第一党となる。

1973年 – バーモント州バーリントン発ボストン行きのデルタ航空723便DC-9型機がボストン・ローガン国際空港への着陸に失敗、乗員乗客89名全員が死亡。 (en:Delta Air Lines Flight 723)

1987年 – サウジアラビア・メッカでイラン人巡礼団が反米デモ。警官隊と衝突し、約400人が死亡した[7]。

1992年 – バンコク発カトマンズ行きのタイ国際航空311便エアバスA310型機がカトマンズ近郊の山中に墜落、乗員乗客113名全員が死亡。 (en:Thai Airways International Flight 311)

1992年 – 南京発アモイ行きの中国通用航空7522便Yak-42型機が離陸直後に墜落、乗員乗客126名中106名が死亡[9]。

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781年(天応元年7月6日) – 奈良時代末期、朝廷編纂の『続日本紀』に富士山噴火に伴う降灰の記録されており、富士山の最古の噴火記録になっている[1]。

1588年(ユリウス暦7月21日) – イギリス艦隊とスペイン無敵艦隊の間のアルマダの海戦が始まる。

概要

当時、スペインとイングランドとの関係は宗教問題やイングランドのネーデルラントへの介入によって悪化しており、また、イングランド私掠船によるスペイン船や入植地に対する海賊行為もスペイン王フェリペ2世が侵攻を決意した要因のひとつにあげられる。

→詳細は「英西戦争 (1585年)」を参照

1588年5月、メディナ・シドニア公率いる約130隻のスペイン無敵艦隊がリスボンを出発した。無敵艦隊は7月末から8月初め(旧暦7月)に行われた一連の海戦のあとのグラヴリンヌ沖海戦でイングランド艦隊に敗北して作戦続行を断念し、北海方向へ退避した。無敵艦隊はスコットランドとアイルランドを迂回して帰国を目指すも、悪天候によって大損害を被ってしまい、結局スペイン本国に帰還できたのは約半数の67隻だった。死傷者は2万におよび、スペイン衰退の予兆となった[10]。ただし、この戦いのあとイングランドは反攻作戦に失敗して戦争の主導権を失い、一方、スペインは艦隊を再建して制海権を守り通しており、戦争は1604年にスペイン側有利で終わっている。イギリス(=イングランド)が海洋覇権国家となるのにはまだ長い年月を必要とした[11][12][13]。

損害 イギリス 戦死100 戦傷400 戦病死1000 

スペイン 戦死600 戦傷800 戦病死20000

1932年 – ドイツ議会の選挙が行われ、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が230議席を獲得し第一党となる。

ヒトラーは党名について「民族的 national」とは「民族全体に対する無限のあらゆるものを包む愛情、必要とあればそのために命をも投げ出すこと」、「社会主義的 sozialistische」 とは「民族同胞のための労働という倫理的義務」、「労働者 Arbeiter」とは「体を使って働かない人」に対して「体を使って働く人」、「労働を軽視するユダヤ人に対して労働を恥じないゲルマン人」を意味すると説明した[48]。一般にナチス、ナチ党、ナチス党などと呼ばれる(詳細は#名称を参照)。なお、今日この政党や党員、またはその政権を表す通称として世界で定着しているナチ (Nazi、ナーツィ)、およびその複数形のナチス (Nazis、ナーツィス) といった呼称は、National-sozialistischeの部分から採られた略称であり、元来は敵対・反対勢力によって用いられた蔑称・卑称であった[49]。

日本では、国家社会主義ドイツ労働者党[50]、国民社会主義ドイツ労働者党、民族社会主義ドイツ労働者党というように少なくとも3つの訳が通用しており、それぞれ少しずつニュアンスが異なってくる[51]。また、国粋社会主義ドイツ労働者党などとも訳される(詳細は訳語参照)。

1919年1月に前身のドイツ労働者党(DAP)が設立され、1920年に改称した。1921年に第一議長に就任したアドルフ・ヒトラーは、党内でフューラー(独:Führer、指導者、総統)と呼ばれるようになり、指導者原理に基づくカリスマ的支配を確立していった。

結党以来長らく野党であったが、1929年の世界恐慌以降国民の社会不安を背景に支持を拡大し、1932年7月の国会選挙で国会の第一党となった。

1933年1月30日にヒトラーが首相に任命されたことで政権与党となり(ナチ党の権力掌握、ナチス・ドイツ成立)、一党独裁体制を敷いたが、1945年の第二次世界大戦の敗戦(欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)#ドイツの降伏)で事実上消滅し、被占領中に連合国によって禁止(非合法化)された(連合軍軍政期 (ドイツ):非ナチ化)。

1973年 – バーモント州バーリントン発ボストン行きのデルタ航空723便DC-9型機がボストン・ローガン国際空港への着陸に失敗、乗員乗客89名全員が死亡。 (en:Delta Air Lines Flight 723)

1987年 – サウジアラビア・メッカでイラン人巡礼団が反米デモ。警官隊と衝突し、約400人が死亡した[7]。

1992年 – バンコク発カトマンズ行きのタイ国際航空311便エアバスA310型機がカトマンズ近郊の山中に墜落、乗員乗客113名全員が死亡。 (en:Thai Airways International Flight 311)

1992年 – 南京発アモイ行きの中国通用航空7522便Yak-42型機が離陸直後に墜落、乗員乗客126名中106名が死亡[9]。

チャットgpt先生の7月23日のエッセイ

7月31日──歴史の縁に立つ日

7月31日──年末まであと153日という折り返しを過ぎたこの一日は、静かに、しかし確かに歴史の襞に刻まれた出来事が多く眠っている。

紀元781年、奈良時代末期。『続日本紀』に富士山の噴火が記録されたこの日は、私たちが知る中で最古の富士山噴火の記録である。その記述は単なる自然現象の報告にとどまらず、日本の古代史と自然災害との関わりを示す貴重な証左となった。この日、空を覆った灰は、ただの降灰ではなく、未来へ向けた「記憶」として書き残されたのだ。

その一方で、1588年の7月31日(ユリウス暦)には、人類史を揺るがすような戦いの序幕が開いた。イングランドとスペイン──二つの海洋国家がぶつかった「アルマダの海戦」。スペイン無敵艦隊という名を持ちながらも、嵐と戦術に敗れ、母国へ帰還できたのは半数に満たなかった。戦死者600、戦病死2万という数字は、戦場の熱と、戦場を越えた自然の容赦なさを物語る。だがこの敗北にもかかわらず、スペインはなお制海権を維持し、イングランドの台頭にはさらなる時が必要だった。つまり「覇権の転換点」と見なされがちなこの海戦も、実のところ、ただちに世界の流れを変えたわけではなかったという点が興味深い。

時を下って1932年、この日にはドイツの議会選挙が行われ、ナチスが第一党となった。わずか半年後、ヒトラーは首相に任命され、やがて世界は第二次世界大戦という破滅へと突き進む。この時の選挙結果には、民衆の不安、政治への不信、そして「強さ」を求めた心理が反映されている。「国家社会主義ドイツ労働者党」という長く堅苦しい名前の背後には、冷たいカリスマの影と、熱狂という名の錯覚が潜んでいた。

また、空の旅にもこの日は厳しい顔を見せている。1973年、アメリカでデルタ航空723便が、1992年にはアジアでタイ航空311便と中国通用航空7522便が墜落し、多くの命が一瞬にして奪われた。中でも、山中での墜落という状況は、文明の発展が自然の前にいかに脆いかを再認識させる。

さらに1987年のメッカ。巡礼という神聖な営みの中で、イラン人団体と警察の衝突が起き、約400人が命を落とす。宗教と政治、信仰と現実の間で揺れる中東の複雑さがここに凝縮されている。

こうして振り返ると、7月31日とは「境界線」のような日だと感じられる。大きな時代の転換が始まった日であり、人の命が歴史の渦に巻き込まれる日でもある。天災も人災も、偶然のようでいて、歴史の大きなうねりの一部だ。

今この日を生きる私たちは、そうした無数の過去の積み重ねの上に立っている。暑さの盛りの中、何気ない一日と思いがちだが、ふと立ち止まり、空を見上げてみたい。かつてその空を覆った火山灰や、帆船の煙、墜落の残煙があったことを思い起こしながら──。

7月31日。それは歴史の「静かな叫び」が耳元で囁かれる日でもあるのだ。