6月29日
20250629日曜日旧暦6月5日仏滅(己巳つちのとみキシ)月齢 3.6
乙巳きのとみ年壬午みずのえうま月己巳つちのとみ日 年末まであと185日
吉方位 隠遁日 己巳つちのとみ日 北 北東 大吉
https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%8829%E6%97%A5
6月29日の出来事
1028年(長元元年6月5日) – 平忠常の乱。平安時代の関東地方では平将門の乱以来の大規模な反乱
1575年(天正3年5月21日) – 長篠の戦い。
戦力
織田・徳川 約40000人(70000人説もある)
武田 約15000人
損害
織田・徳川 6000人(逃亡含む)
武田 10000人
1935年 – 京都市内では前日からの集中豪雨のため鴨川が増水。二条大橋や五条大橋など多くの橋が流失するとともに市内の大部分が冠水した。
1938年 – 翌日にかけて関東地方で集中豪雨。東京都下では約15万戸が浸水するなどの被害。
1945年 – 第二次世界大戦・日本本土空襲: 岡山空襲。岡山城が焼失。死者1737人。
1956年 – 北海道釧路市で火災現場に向かう消防車が通行人17人をはねる事故。児童6人が即死、2人が重体、9人が重傷[3]。
1961年 – 北海道美唄市三菱美唄炭鉱でガス爆発事故が発生、一時、坑内に40人が取り残された。8人が死亡、11人が重軽傷[4]。
1962年 – 北海道の十勝岳で水蒸気爆発。翌日未明に噴火が発生。硫黄鉱山作業員の死者・行方不明者5人、気象台の観測員2人を含む負傷者12名[5]。
1966年 – ビートルズが初来日。
1995年 – 韓国ソウルの三豊百貨店がほぼ全壊し、512人が死亡。
1999年 – 広島県を中心とした中国地方を集中豪雨(6.29豪雨災害)が襲い、各地で起こった土砂崩れ等により36人が死亡。
2002年 – 第2延坪海戦。黄海上で北朝鮮と韓国の艦艇による銃撃戦。合わせて19人が死亡。
————–
1028年(長元元年6月5日) – 平忠常の乱。平安時代の関東地方では平将門の乱以来の大規模な反乱
平忠常の乱(たいらのただつねのらん)は、平安時代に房総三カ国(上総国、下総国、安房国)で1028年に起きた反乱。平安時代の関東地方では平将門の乱以来の大規模な反乱であった。
平将門の叔父平良文の子孫に当たる平忠常が乱を起こし、朝廷は討伐軍を派遣するが3年にわたって鎮圧できなかった。有力武士の源頼信が起用されるに及び忠常は降伏した。この乱により房総三カ国は大いに荒廃した。長元の乱ともいう。
平直方の征伐にも屈しなかった忠常が、頼信の出陣によりあっけなく降伏したのは、忠常が頼信の家人であった(『今昔物語集』)ためであるともいわれている。
この乱の主戦場になった房総三カ国(下総国、上総国、安房国)は大きな被害を受け、上総介藤原辰重の報告によると本来、上総国の作田は2万2千町あったが、僅かに18町に減ってしまったという[注釈 1]。だが、同時にその原因は追討使であった平直方や諸国兵士、すなわち朝廷軍による収奪であったと明言している(『左経記』長元7年10月24日条)。
この乱を平定することにより坂東平氏の多くが頼信の配下に入り、河内源氏が東国で勢力を広げる契機となった[6][7]。
1575年(天正3年5月21日) – 長篠の戦い。
長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(当時のユリウス暦で1575年6月29日。現在のグレゴリオ暦に換算すると1575年7月9日)、三河国長篠城(現・愛知県新城市長篠)をめぐり、3万8千人の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千人の武田勝頼の軍勢が戦った
戦力
織田・徳川 約40000人(70000人説もある)
武田 約15000人
損害
織田・徳川 6000人(逃亡含む)
武田 10000人
1935年 – 京都市内では前日からの集中豪雨のため鴨川が増水。二条大橋や五条大橋など多くの橋が流失するとともに市内の大部分が冠水した。
1938年 – 翌日にかけて関東地方で集中豪雨。東京都下では約15万戸が浸水するなどの被害。
1945年 – 第二次世界大戦・日本本土空襲: 岡山空襲。岡山城が焼失。死者1737人。
岡山大空襲(おかやまだいくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)6月29日の午前2時43分から午前4時7分にかけてアメリカ軍により行われた岡山県の岡山市に対する空襲のことである。計画段階では戦略爆撃だったが、ほとんど無差別爆撃として実行された(後述)。この空襲ではアメリカ軍の爆撃機・ボーイングB-29およそ140機[1]が用いられ、空襲警報が出されず全くの不意打ちであったため死者が1737人にも及んだ。
1956年 – 北海道釧路市で火災現場に向かう消防車が通行人17人をはねる事故。児童6人が即死、2人が重体、9人が重傷[3]。
1961年 – 北海道美唄市三菱美唄炭鉱でガス爆発事故が発生、一時、坑内に40人が取り残された。8人が死亡、11人が重軽傷[4]。
1962年 – 北海道の十勝岳で水蒸気爆発。翌日未明に噴火が発生。硫黄鉱山作業員の死者・行方不明者5人、気象台の観測員2人を含む負傷者12名[5]。
1966年 – ビートルズが初来日。
1995年 – 韓国ソウルの三豊百貨店がほぼ全壊し、512人が死亡。
概要
1989年12月1日に開店。建物は売場が大部分を占めるA棟とスポーツセンターなどが入居するB棟、そしてその間に位置するコンコースで構成されていた。当時は韓国で業界1位の売上高を誇る高級百貨店であり[1]、ソウルの富裕層を主なターゲットとしていた。
しかし建物の設計上の様々な欠陥が重なり、1995年6月29日17時57分(KST)、営業中に突然A棟が両端の一部を残して崩壊し、死者502名・行方不明者6名・負傷者937名という建物崩落事故としては当時世界最多の被害者を出す大惨事を起こした[2]。
この事故により三豊百貨店は廃業に追い込まれ、現場は残ったB棟とコンコースが解体された後もしばらく空き地のままだったが、現在は高級マンション「アクロビスタ (Acrovista) 」が建てられている。
1999年 – 広島県を中心とした中国地方を集中豪雨(6.29豪雨災害)が襲い、各地で起こった土砂崩れ等により36人が死亡。
2002年 – 第2延坪海戦。黄海上で北朝鮮と韓国の艦艇による銃撃戦。合わせて19人が死亡。
チャットgpt先生の6月29日のエッセイ
6月29日という日:歴史が語る人間の営みと自然の猛威
6月29日──この日は、時代を超えて様々な人間の営みと、時に非情な自然や戦争の記憶が交錯する特別な一日である。平安時代の反乱から戦国の合戦、近代の空襲や災害、そして現代の悲劇まで、人々の歩みが刻まれている。
1028年、房総三国において平忠常が起こした反乱は、平将門以来の関東地方における大規模な武装蜂起であった。忠常は力で征伐されることなく、源頼信の登場により降伏する。これが後の坂東武士団の形成に影響を与え、源氏の東国進出の布石となる。反乱の背後には、権力と地元武士の軋轢、そして朝廷の統制の限界が浮かび上がる。これは一種の「地方の声」であり、力を持ち始めた武士階級の存在感を示す出来事でもあった。
その約五百年後、1575年の長篠の戦いは、戦国時代の新たな戦術革新を象徴する。織田信長が用いた鉄砲隊の戦法は、武田軍の伝統的な騎馬戦術を粉砕し、時代の転換点を印象づけた。個の武勇が支配した戦の場に、組織と火力という近代戦の要素が初めて明確に現れた瞬間である。
一方で、6月29日は自然の脅威と人災もまた私たちに深く刻み込む。1935年、京都の鴨川が氾濫し街が水没した。1938年には関東を豪雨が襲い、15万戸が浸水。1999年の中国地方豪雨でも、突如の土砂崩れで多くの命が奪われた。これらは、自然の前での人間の脆さと、備えの大切さを私たちに静かに問いかけている。
さらに1945年の岡山空襲──夜明け前の不意打ちによって多くの民間人が犠牲になった。岡山城は焼失し、かつての風景は一夜にして灰と化した。無差別爆撃という戦争の非人道性を象徴する一例であり、「戦争とは何か」を後世に問い続けている。
近代に目を向けると、1995年の韓国・三豊百貨店崩壊事故もまた忘れがたい。商業の象徴であった建物が、構造的欠陥と企業の慢心によって崩れ去り、500人を超す人命が失われた。安全という言葉が形骸化していたことの代償は、あまりにも大きかった。
このように、6月29日という日は、反乱・合戦・災害・戦争・事故と、さまざまな「人の歴史」が刻まれている。それは単なる出来事の羅列ではなく、「なぜそれが起きたのか」「何を私たちは学んだか」を考えさせる契機となる。
2025年6月29日は仏滅、旧暦でいう己巳の日。「隠遁日」として、静かに身を潜めるのに吉とされる日だという。騒がしい歴史を振り返りながら、私たちは今日、少し静かに目を閉じて、その「記憶」に耳を傾ける日にしてもよいのではないだろうか。人の過ちも、進歩も、全ては今日を生きる私たちへの遺産なのだから。