kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日5月26日 1999ラウダ空港便墜落、ほか写真wikipedia墜落機004便

5月26日

20240526日曜日旧暦4月19日仏滅 庚寅かのえとらコウイン 月齢 18.0

年末まではあと219日

https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8826%E6%97%A5

5月26日の出来事

599年(推古天皇7年4月27日) – 『日本書紀』に日本最古の地震による被害状況の記録。(推古地震)

752年(天平勝宝4年4月9日) – 東大寺盧舎那仏像の開眼供養。

1990年 – 東京都板橋区の第一化成工業の工場で爆発事故。死者8人。

1991年 – ラウダ航空004便墜落事故。乗客数213乗員数10死者数                 223 (全員)

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599年(推古天皇7年4月27日) – 『日本書紀』に日本最古の地震による被害状況の記録。(推古地震

752年(天平勝宝4年4月9日) – 東大寺盧舎那仏像の開眼供養。

大仏と大仏殿はその後、治承4年(1180年)と永禄10年(1567年)の2回焼失して、その都度、時の権力者の支援を得て再興されている。

大仏造立の思想的・時代的背景

華厳経と盧舎那仏

大仏は姿の上では釈迦如来など他の如来像と区別がつかないが、『華厳経』に説かれる盧舎那仏という名の仏である。『華厳経』は西暦400年前後に中央アジアで成立し、中国大陸経由で日本へもたらされた仏教経典で、60巻本、80巻本、40巻本の3種類の漢訳本があるが、うち奈良時代に日本へもたらされたのは60巻本と80巻本である。前者は5世紀、東晋の仏陀跋陀羅訳で「旧訳」(くやく)、「六十華厳」といい、後者は7世紀末、唐の実叉難陀訳で「新訳」、「八十華厳」という。盧舎那仏はこの華厳経に説く「蓮華蔵世界」の中心的存在であり、世界の存在そのものを象徴する絶対的な仏である。六十華厳では「盧舎那仏」、八十華厳では「毘盧遮那仏」と表記されるが、これらの原語はサンスクリットの「Vairocanaヴァイローチャナ」であり、密教における大日如来(Mahāvairocanaマハー・ヴァイローチャナ)と語源を等しくする。

『続日本紀』によれば、聖武天皇は天平12年2月(740年)、河内国大県郡(大阪府柏原市)の知識寺で盧舎那仏像を拝し、これが大仏造立のきっかけとなったという。知識寺の跡は柏原市太平寺に残り、7世紀後半の瓦が出土している。なお、ここでいう「知識」とは、信仰を同じくする人々の集団である「同志」「同信」といった意味である。同じ天平12年の10月、聖武の四十賀に際し、新羅で華厳教学を学んだ審祥が金鐘寺にて華厳経を講義している。盧舎那大仏造立の背景にはこうした『華厳経』に基づく信仰があった。

1990年 – 東京都板橋区の第一化成工業の工場で爆発事故。死者8人。

1991年 – ラウダ航空004便墜落事故。乗客数213乗員数10死者数                 223 (全員)

ラウダ航空004便墜落事故(ラウダこうくう004びんついらくじこ)とは、1991年5月26日16時17分(UTC、以下同様)頃に発生した航空事故。ラウダ航空004便(ボーイング767-300ER型機、機体記号: OE-LAV、コールサイン: Lauda Air 004)が、タイ国スパンブリー県ダーンチャーン郡(バンコクの北西94海里)付近上空を飛行中、第1(左)エンジンのスラストリバーサー(逆推力装置、逆噴射装置)が動作して操縦不能となり、急降下時の速度超過によって空中分解に至った。乗員乗客223名全員が死亡した。

チャットgpt先生の5月26日のエッセイ

5月26日という日には、日本の歴史に残る出来事がいくつか起こっています。この日を振り返ると、自然災害や宗教的な儀式、そして近年の悲劇的な事故が思い起こされます。これらの出来事を通して、人々の信仰、技術、そして社会の変化を見て取ることができます。

599年5月26日、『日本書紀』に記録された日本最古の地震被害の状況が報告されています。この「推古地震」は、推古天皇の治世に起こり、日本における地震の記録の歴史がこの時から始まります。この地震記録は、日本が自然災害に対して長い歴史を持ち、それに対処し続けてきたことを示しています。地震という自然の猛威に対する畏敬と備えは、現代においても日本社会に深く根付いています。

752年5月26日には、東大寺の盧舎那仏像の開眼供養が行われました。盧舎那仏像は、奈良時代の仏教文化の象徴であり、華厳経に説かれる盧舎那仏という絶対的な仏を表現しています。この仏像とその背後にある思想は、当時の日本が中国を通じて中央アジアの仏教思想を受け入れ、それを自国の文化に融合させていたことを示しています。聖武天皇が盧舎那仏像の造立を決意した背景には、当時の政治的不安や社会的な混乱を乗り越えるための宗教的な支えを求める動機がありました。このような歴史的背景は、宗教が社会安定のために果たす役割を浮き彫りにします。

時を経て、1990年の5月26日には東京都板橋区の第一化成工業の工場で爆発事故が発生し、8人の尊い命が失われました。さらに翌年の同じ日、1991年にはラウダ航空004便が墜落し、乗員乗客全員の223名が命を落とすという悲劇が起こりました。これらの事故は、技術と安全管理の重要性を痛感させるものであり、工業や航空産業が抱えるリスクを再認識させます。特にラウダ航空の事故は、航空機の安全装置の欠陥が引き起こしたもので、技術的進歩の裏に潜む危険性とそれを管理する必要性を強調しています。

5月26日は、歴史の中でさまざまな出来事が積み重なってきた日です。自然災害、宗教的儀式、そして悲劇的な事故。これらはすべて、私たちが自然と共に生き、技術を発展させ、そして安全を追求する過程で避けて通れない出来事です。この日に起こった出来事を振り返ることで、私たちは過去から学び、未来に向けてより良い社会を築くための教訓を得ることができるでしょう。