kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日5月21日 1938津山三十人殺し発生、ほか写真wikipedia被害者と関係者

5月21日
20250521水曜日旧暦4月24日先負(庚寅かのえとらコウイン)月齢 23.3
乙巳きのとみ年辛巳かのとみ月庚寅かのえとら日   年末まではあと224日
吉方位 陽遁日 庚寅かのえとら 北西 大吉 北 吉
https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8821%E6%97%A5
5月21日の出来事
1809年 – ナポレオン戦争: アスペルン・エスリンクの戦い。年月日:1809年5月21日-5月22日 絶頂期のナポレオンが直接指揮して敗北となった珍しい戦闘とされる。
場所:オーストリア東部ウィーン近郊のドナウ河畔
結果:オーストリア軍の勝利
損害:死傷双方合わせて44000人強。
1924年 – シカゴ大学の学生レオポルドとローブがユダヤ人実業家の息子を誘拐・殺害。
1927年 – チャールズ・リンドバーグがスピリット・オブ・セントルイス号で大西洋単独無着陸飛行に成功。
1938年 – 津山事件: 岡山県苫田郡で夜半、男が祖母を殺害後、集落内で30人を次々と惨殺し自殺。
1991年 – インドのラジーヴ・ガンディー元首相がタミル過激派の爆弾テロにより暗殺(英語版)される。

2014年 – 台北地下鉄通り魔事件: 台湾新北市の台北捷運板南線で男子大学生が乗客らを無差別に切りつけ、4人が死亡、20人以上が負傷した[9]。

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1809年 – ナポレオン戦争: アスペルン・エスリンクの戦い。年月日:1809年5月21日-5月22日 絶頂期のナポレオンが直接指揮して敗北となった珍しい戦闘とされる。
場所:オーストリア東部ウィーン近郊のドナウ河畔
結果:オーストリア軍の勝利
損害:死傷双方合わせて44000人強。

アスペルン・エスリンクの戦い(アスペルン・エスリンクのたたかい、英: Battle of Aspern-Essling, 仏: Bataille d’Aspern-Essling, 1809年5月21日 – 5月22日)は、ナポレオン戦争における戦闘の1つ。ウィーン近郊のドナウ河畔で、カール大公率いるオーストリア軍が、皇帝ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍に勝利した。ナポレオンが直接指揮する軍が敗北した数少ない戦闘例の1つでもある。

ナポレオンにとっては、兵員の損失もさることながら、最も信頼する部下ジャン・ランヌが戦死するという辛い敗北であった。一方、ナポレオンに勝利したカール大公はオーストリアの国家的英雄として称えられた。

1924年 – シカゴ大学の学生レオポルドとローブがユダヤ人実業家の息子を誘拐・殺害。

概要

2人とも裕福な家庭に生まれたユダヤ人で、互いに同性愛関係にあった。事件当時、シカゴ大学の学生だったが、富裕なユダヤ人実業家の息子ボビー・フランクスを誘拐して殺害し、終身刑プラス99年の懲役刑を受けた。

完全犯罪(になると彼らは思っていた)を遂行することで自分たちの優越性を立証しようという動機の異様さが話題を呼び、小説や戯曲・映画の題材にまでなった。

1927年 – チャールズ・リンドバーグがスピリット・オブ・セントルイス号で大西洋単独無着陸飛行に成功。
1938年 – 津山事件: 岡山県苫田郡で夜半、男が祖母を殺害後、集落内で30人を次々と惨殺し自殺。

津山三十人殺し(つやまさんじゅうにんごろし)は、1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。

司法省による事件名は津山事件(つやまじけん)で、犯人の姓名を取って都井睦雄事件(といむつおじけん)とも呼ばれることもある。犯行が行われた2時間足らずの間に28名が即死し、5名が重軽傷を負った(そのうち12時間後までに2名が死亡)。なお、犯行後に犯人が自殺したため、被疑者死亡で不起訴となった。

日本が明治維新後に西洋式の近代法制を整備して以降、戦争行為を除く犯罪としては、京都アニメーション放火殺人事件が発生する2019年までの長くに渡って最大の犠牲者数だった。

横溝正史の小説『八つ墓村』、および西村望の小説『丑三つの村』のモチーフになった事件である。

1991年 – インドのラジーヴ・ガンディー元首相がタミル過激派の爆弾テロにより暗殺(英語版)される。
2014年 – 台北地下鉄通り魔事件: 台湾新北市の台北捷運板南線で男子大学生が乗客らを無差別に切りつけ、4人が死亡、20人以上が負傷した[9]。

チャットgpt先生の5月21日のエッセイ
5月21日という日:歴史に刻まれた光と影
5月21日。新緑の季節が深まり、夏の気配が近づくこの日は、暦の上では旧暦4月24日、「先負」にあたり、陽遁日で吉方位は北西――静かにして慎みを重んじるような気配が漂う。しかし、この穏やかな印象とは裏腹に、歴史に刻まれた5月21日は、激しい人間の営みと悲劇、そして希望の象徴として多面的な意味を持っている。
1809年、ウィーン郊外のドナウ河畔で、「アスペルン・エスリンクの戦い」が始まった。ナポレオン・ボナパルト、自らの手で帝国を築き上げた英雄が、稀に見る敗北を喫した戦闘である。信頼厚いジャン・ランヌの戦死は、彼にとって個人的な損失でもあり、勝者カール大公は祖国オーストリアの英雄となった。勝敗の二項対立を超え、ここには指導者としての重責、そして一人の人間としての悲哀が滲む。
その1世紀以上後の1924年、アメリカ・シカゴで発生したのが「レオポルドとローブ事件」だ。知性と富を備えた若者たちが、「完全犯罪」という倒錯した優越感に駆られ、罪のない少年の命を奪った。この事件は、人間の理性がいかに脆く、倫理という土台を失えばどれほど冷酷になり得るかを示している。彼らが信じた「優越」は、実に空虚なものであった。
1927年の同日、空の彼方に夢を託した男がいた。チャールズ・リンドバーグ――彼の単独無着陸大西洋横断飛行成功は、人類の可能性を大きく広げた瞬間だった。「スピリット・オブ・セントルイス」号に託したのは、単なる冒険ではなく、人と空とを結ぶ未来への信念だった。この日が、冷たく重たい記憶の積み重ねだけでないことに気づかせてくれる。
しかし再び暗い影が5月21日を覆う。1938年、津山の山村で起きた「津山三十人殺し」は、個人の心の闇がいかに集団を呑み込むかを物語る。都井睦雄という一人の青年の孤独と恨みは、わずか2時間で30人の命を奪った。これは、現代日本に至るまで語り継がれる“昭和最大の殺人事件”であり、小説や映画の題材にもなった。しかし、センセーショナルな表層の背後には、地域社会の閉鎖性や差別、理解されなかった心の病が見え隠れする。
近年では、1991年にインドのラジーヴ・ガンディー元首相が暗殺され、2014年には台北の地下鉄で無差別殺傷事件が起きた。どちらも、個人の極端な思想や病理が、大勢の人々の平穏を破壊するという点で共通している。
それでも、5月21日はただの「悲劇の日」ではない。むしろ、その日を記憶し続けることで、過去の過ちや苦悩を次代に伝える責任がある。リンドバーグのような前進の象徴を思い出すことも忘れてはならない。
そして、今年2025年の5月21日は「庚寅」の陽遁日。方位に吉を求めるなら北西が良いという。このような暦の知恵が、混沌の中に少しでも秩序と安心を与えてくれるのなら、それもまた人間の叡智だ。
歴史に彩られた5月21日。そこには人間の強さと弱さ、愚かさと輝きが交錯している。だからこそ、この日をただ過ごすのではなく、ひととき立ち止まり、振り返る価値があるのだ。