kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日4月5日 1942セイロン沖海戦、ほか写真wikipedia沈没する空母ハーミーズ

4月5日

20260405日曜日旧暦2月18日先勝(46番己酉つちのととりキユウ)月齢 17

43番丙午ひのえうま年 29番壬辰みずのえたつ月 46番己酉つちのととり日 

年末まであと270日

吉方位 陽遁日 己酉つちのととり日 南東 大吉

https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%885%E6%97%A5

4月5日の出来事
585年(敏達天皇14年3月1日) – 仏教排斥を唱える物部守屋が、疫病流行の原因が仏教崇拝にあると奏上。
1862年 – 南北戦争: ヨークタウンの包囲戦が始まる。
時 1862年4月5日-5月4日
場所 バージニア州ヨーク郡およびニューポートニューズ
結果 引分   損害 : 北軍南軍双方で死者400人強。
1942年 – 第二次世界大戦: セイロン沖海戦が始まる。日本海軍の急降下爆撃により英国東洋艦隊の重巡洋艦コーンウォール・ドーセットシャーが沈没。

1945年-沖縄戦4月5日北上した米軍の一部は、4月5日には名護の湖辺底に到着。そして4月7日、名護・屋部海岸に上陸し、そのまま北上して羽地村を制圧した。

《名護市史本編・3「名護・やんばるの沖縄戦」(名護市史編さん委員会/名護市役所) 173頁》・米軍は、沖縄本島へ上陸すると改めて同布告を公布、日本政府のすべての権限を停止して、じかに軍政をしいた。・一中鉄血勤皇隊: 学徒兵に遺書を書かせる。
1961年 – 北海道で雪崩が多発。平取町の建設現場で作業員宿舎が倒壊して11人が死亡、新冠町の建設現場で作業員宿舎が倒壊して22人が死亡[5]。

1964年 -米町田軍機墜落事故。民家7戸が全焼、7戸が半壊した。この事故により一般市民4名が死亡(3名は倒壊した民家に押しつぶされて圧死、1名は飛行機の破片を受けて即死)、32名の重軽傷者を出した。乗員1名は墜落前にパラシュートで脱出し約2km離れた高ヶ坂団地に着地後、米軍病院に収容された。

2018年 – トルコ西部エスキシェヒルの大学で、研究員の男が銃を発砲し、教職員4人が死亡し、3人が負傷した[13]。

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585年(敏達天皇14年3月1日) – 仏教排斥を唱える物部守屋が、疫病流行の原因が仏教崇拝にあると奏上。
1862年 – 南北戦争: ヨークタウンの包囲戦が始まる。
時 1862年4月5日-5月4日
場所 バージニア州ヨーク郡およびニューポートニューズ
結果 引分   損害 : 北軍南軍双方で死者400人強。
1942年 – 第二次世界大戦: セイロン沖海戦が始まる。日本海軍の急降下爆撃により英国東洋艦隊の重巡洋艦コーンウォール・ドーセットシャーが沈没。

セイロン沖海戦(セイロンおきかいせん)は、1942年4月5~9日にインド洋セイロン島沖で日本海軍とイギリス海軍の間で行われた戦闘。インド洋作戦の過程で発生した。
1942年月、東洋艦隊に加わる。ジェームズ・サマヴィル提督(東洋艦隊司令長官)直率の高速部隊と分離して行動中の4月5日、セイロン島の南東約320kmのインド洋で日本海軍の南雲機動部隊から飛来した江草隆繁少佐(空母「蒼龍」飛行隊長)率いる九九式艦爆隊(蒼龍18、飛龍18、赤城17、合計53機)の急降下爆撃を受ける[23]。重巡洋艦「ドーセットシャー」とともに僅か10数分で撃沈された[24]。コーンウォールへの命中弾は9発、至近弾は6発であったという[25]。
生存者はサメのいる海を漂流することになった[26]。サメは多数いたが、生きている者には襲い掛からなかった[26]。なお重巡2隻の沈没を知ったサマヴィル提督は、指揮下の軽巡洋艦「エンタープライズ」および駆逐艦2隻[注釈 4]を救助に派遣した[27]。4月6日の午後遅く、3隻は1122名を救助した[26]。ドーセットシャーでは190名が死亡した[26]。

1945年-沖縄戦4月5日北上した米軍の一部は、4月5日には名護の湖辺底に到着。そして4月7日、名護・屋部海岸に上陸し、そのまま北上して羽地村を制圧した。

《名護市史本編・3「名護・やんばるの沖縄戦」(名護市史編さん委員会/名護市役所) 173頁》・米軍は、沖縄本島へ上陸すると改めて同布告を公布、日本政府のすべての権限を停止して、じかに軍政をしいた。・一中鉄血勤皇隊: 学徒兵に遺書を書かせる。

1961年 – 北海道で雪崩が多発。平取町の建設現場で作業員宿舎が倒壊して11人が死亡、新冠町の建設現場で作業員宿舎が倒壊して22人が死亡[5]。
1964年 –米町田軍機墜落事故。民家7戸が全焼、7戸が半壊した。この事故により一般市民4名が死亡(3名は倒壊した民家に押しつぶされて圧死、1名は飛行機の破片を受けて即死)、32名の重軽傷者を出した。乗員1名は墜落前にパラシュートで脱出し約2km離れた高ヶ坂団地に着地後、米軍病院に収容された。

2018年 – トルコ西部エスキシェヒルの大学で、研究員の男が銃を発砲し、教職員4人が死亡し、3人が負傷した[13]。

チャットgpt先生の4月5日のエッセイ

4月5日という日は、歴史の表層だけをなぞると、どこか「始まり」と「衝突」が重なり合う一日にも見える。

古代では、物部守屋が疫病の原因を仏教に求めたという記録が残る。目に見えないものに理由を与えようとする試みは、いつの時代にも繰り返される営みであり、その説明の仕方が、その時代の世界観をそのまま映し出している。

時代が進んでも、出来事の構図は大きく変わらない。1862年、ヨークタウンの包囲戦が始まり、1942年にはセイロン沖海戦が展開される。いずれも「動き出した日」でありながら、その結末はすぐには見えず、むしろ長い時間の中で意味づけられていく種類の出来事だ。開始の瞬間には、まだ輪郭のはっきりしない結果が、後から歴史として固定されていく。

また、1945年の沖縄戦の一場面に見られるように、戦争の記録はしばしば地図の上の進軍として語られるが、その背後には無数の断片的な現実が折り重なっている。北上する部隊、上陸する兵、そしてその場に居合わせた人々。それぞれの視点は交わることなく、しかし同じ日付の中に共存している。

一方で、1961年の北海道の雪崩や、1964年の町田米軍機墜落事故のように、戦争とは異なる形の出来事も記録されている。自然や機械の不意の振る舞いが、人の生活のただ中に入り込む瞬間であり、それらもまた特定の日付に刻まれて残る。

さらに2018年、遠く離れたトルコの大学で起きた銃撃事件も、この日の欄に並ぶ。場所も時代も異なる出来事が、同じ「4月5日」という枠に収められることで、不思議な平面性を帯びる。出来事の重さや背景はそれぞれ異なるのに、日付という形式はそれらを等間隔に並べてしまう。

こうして眺めると、4月5日は特別な意味を持つ日というよりも、「さまざまな出来事が偶然同居している日」として立ち現れる。ある時代の人が見た現実、別の場所で起きた出来事、それらが一つの暦の中に折りたたまれ、後から振り返る私たちの前に静かに並べられている。

日付とは、出来事を整理するための単なる枠組みにすぎない。しかし、その枠に収められた断片を見ていると、時間というものが直線ではなく、無数の層が重なったもののようにも感じられてくる。4月5日は、その層のひとつをそっと覗き込むための、小さな入口のような日である。