kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日4月28日 1996ポートアーサー事件、ほか写真wikipediaアーサー港

4月28日

20240428日曜日旧暦3月20日仏滅 壬戌みずのえいぬジンジュツ 月齢 19.4

年末まではあと247日

https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8828%E6%97%A5

4月28日の出来事

1708年(宝永5年3月8日) – 京都で大火(宝永の大火)。約1万4,000軒が焼失。

1996年 – ポートアーサー事件。オーストラリア・タスマニア州の観光地ポート・アーサーで男が無差別に発砲し、35人が死亡。

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1708年(宝永5年3月8日) – 京都で大火(宝永の大火)。約1万4,000軒が焼失。

宝永の大火(ほうえいの たいか)とは、宝永5年3月8日(1708年4月28日)に、京都で発生した火災。

内容

午の下刻に油小路通三条上ルの銭屋市兵衛宅より出火、南西の風に煽られて被害が拡大し、禁裏御所・仙洞御所・女院御所・東宮御所が悉く炎上、九条家・鷹司家をはじめとする公家の邸宅、寺院・町屋など、西は油小路通・北は今出川通・東は河原町通・南は錦小路通に囲まれた上京を中心とした417ヶ町、10351軒、佛光寺や下鴨神社などの諸寺社などを焼いた。

火災後、「見渡せば京も田舎となりにけり芦の仮屋の春の夕暮」と書かれた落首が市中に貼られた(『元禄宝永珍話』)。火災後、一部の町及び民家が鴨川の東や内野などの郊外に移され、千本通の西側や鴨川の東側まで京都の市街が拡大され、現代に観念される歴史的街並みが形成される契機となった[1][2]。たとえば、二条川東はこの大火後に形成された町と寺院が集まる地域である。

1996年 – ポートアーサー事件。オーストラリア・タスマニア州の観光地ポート・アーサーで男が無差別に発砲し、35人が死亡。

ポートアーサー事件 (ポートアーサーじけん、The Port Arthur Massacre) とは、1996年4月28日にオーストラリア・タスマニア島の観光地、ポート・アーサーで起こった大量殺人事件である。犯人はマーティン・ブライアント(英語版)で、死者35人、負傷者15人を出した。

概要

1996年4月28日(日曜日)の午後1時半頃に、最初の事件現場となったカフェにマーティン・ブライアントが車に乗って訪れ、当初は外のテーブルに座ってランチを注文して食べていた。食事が終わると店の客に対し「白人ばっかりだ、ジャップは少ないな」と言うと、店内に入り黒いスポーツバッグからAR-15アサルトライフルを取り出して無差別に発砲。わずか90秒の間に20人の死者と12人の重軽傷者を出した。

すぐにブライアントはカフェの駐車場に向かって発砲し、観光バスの運転手や乗客を射殺。さらに別のライフルに持ち替え、自分の車を運転しながら通行人を次々に射殺。そして数百メートル離れたガソリンスタンドに到着するや、そこにいたカップルの女性を射殺し、相手の男性を車のトランクに押し込めて再び運転した。コテージに到着したブライアントは男性を車のトランクから引きずり出して車に火をつけた後、男性と共にコテージに立てこもった。

数百人の警察とマスコミ、野次馬がコテージを取り囲んでいたが、コテージのオーナー夫妻やガソリンスタンドから連れ出された男性の情報が掴めず、コードレスホンの電池切れでブライアントからの連絡はすぐに途絶えた。また、建物の周囲が遮蔽物のまったく無い広い芝生だったこと、コテージの主人が銃のコレクターで屋内には多数の武器があること、電波状態が悪くてスナイパーと指揮所の連絡ができなかったことなどの理由で特殊部隊の突入も見送られ、一夜が過ぎた。

事件の翌朝、コテージから出火するや、ブライアントが飛び出してきて、すぐに取り押さえられた。焼け跡から、オーナー夫妻、ガソリンスタンドから連れ出された男性の遺体が発見された。後にオーナー夫妻とブライアントが知り合いで、彼がカフェに向かう途中ですでに夫妻を射殺していたことが判明した。

チャットgpt先生の4月28日のエッセイ

4月28日は歴史的な出来事が複数起こった日ですね。1708年には宝永の大火が京都で発生し、1万4,000軒もの建物が焼失しました。この大火は京都の街並みや生活に大きな影響を与えたとされています。一方、1996年にはオーストラリアのポート・アーサーで大量殺人事件が発生し、35人が亡くなりました。この事件はオーストラリア国内外で大きな衝撃を与え、銃規制の議論を呼び起こしました。

これらの出来事は、歴史の中で重要な位置を占めています。特に大火や大量殺人事件など、人々の生活や社会に与える影響は計り知れません。歴史を振り返ることは、過去から学び、未来をより良くするための示唆を得る良い機会です。

また、これらの出来事は私たちに警鐘を鳴らすものでもあります。災害や暴力行為は常に防ぎきれないかもしれませんが、適切な対策や予防策を講じることで、被害を最小限に抑えることができるかもしれません。安全な社会を築くために、個々人の意識と社会全体の取り組みが必要です。

4月28日の出来事は、私たちに歴史の教訓を思い起こさせ、安全で調和のとれた社会を築くための努力を続けることの重要性を示しています。