kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日4月27日 1865米国ミシシッピ川貨物船沈没1450人死亡、写真wikipediaサルタナ

4月27日

20240427日曜日旧暦3月19日先負 辛酉かのととりシンユウ 月齢 18.4

年末まではあと248日

https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8827%E6%97%A5

4月27日の出来事

1865年 – アメリカの貨客船「サルタナ」で、航行中にボイラーが爆発し火災が発生。1,450人以上が死亡。

1962年 – 日本プロレス神戸大会での6人タッグマッチで、フレッド・ブラッシーがグレート東郷に噛みついて大流血させる。テレビ中継視聴者の複数の老人が残忍さのあまりショック死し、日本テレビのプロデューサーが国会に呼び出された。

—————————————————————   

1865年 – アメリカの貨客船「サルタナ」で、航行中にボイラーが爆発し火災が発生。1,450人以上が死亡。

事故の経過

送還担当者の不正の結果、船会社の一つが利権を得て、ヴィックスバーグに集められた帰還将兵はその会社の船にまず乗せられた後、残りの者が「サルタナ」に乗船した。どれだけの人数が乗ったかははっきりしないが、捕虜の将兵が約2,300人、他に女性・子供を含む一般乗客が100人ほどおり、定員の6倍以上の乗船者があったと思われる。乗組員が80人であったので、合計でおよそ2,500人前後が乗ったことになる。さらに大量の砂糖・酒・家畜などの貨物が積載された。

「サルタナ」は4月25日の21時頃にヴィックスバーグを出港してミシシッピ川を溯上したが、異常な過積載のため速力は平常の半分ほどに落ちたうえ、入港時にバランスを崩して転覆しそうになるほどであった。

爆発・炎上する「サルタナ」と避難する人々(ニューヨークの新聞”Harper’s Weekly”1865年5月20日号より)

寄港地であったメンフィスを出港し、10キロメートルほど上流に達した4月27日2時過ぎ、「サルタナ」の第3ボイラーが爆発し火災が発生した。続いて他のボイラーも爆発し、過密状態の船内は大混乱になった。爆発によって将校の大多数が死亡したため指揮を執る者がいなくなり、消火作業や避難誘導は不可能となった。船長は当初、乗船者の救助に当たっていたが、川に流されて行方不明となった。他にも、爆発や炎に巻かれて焼死する者、川に飛び込んで溺死する者が続出した。

炎上した「サルタナ」は27日朝には沈没し、運良く流木につかまったり、自力で岸に泳ぎ着いた者、あるいは事故を知ったメンフィスなどから来た救援の船に助けられた者も少なくなかったが、膨大な死者を出した。死者は1,450人と伝えられているが、これは収容された遺体の数であって、実際にはさらに数百人が流されて行方不明になったともされ、1,700人あまりが亡くなったとする説もある。

事後処理

「サルタナ」の事故は南北戦争終結直後であり、またエイブラハム・リンカーン大統領暗殺事件もあって、世相が混乱している最中に起こった。そのため北部の新聞は余り大きく取り上げることも無く、責任の追及もあいまいなままであった。政府や軍当局は事故の事実の隠蔽や歪曲を図った。不正を行った船会社も高級将校も処罰を免れ、政府に賠償を求めた生存者や遺族たちの訴えも無視され、事故は一般社会からは忘れられた。しかし船の安全に対する規制は強化され、「サルタナ」以後は過積載や機関の不調による大きな事故を起こす船がほとんど無くなった

サルタナ (SS Sultana) は、19世紀半ばにアメリカ合衆国のミシシッピ川に就航していた貨客船。1865年4月に爆発・火災を起こして死者1450人以上(諸説あり)を出した。

1962年 – 日本プロレス神戸大会での6人タッグマッチで、フレッド・ブラッシーがグレート東郷に噛みついて大流血させる。テレビ中継視聴者の複数(11人)の老人が残忍さのあまりショック死し、日本テレビのプロデューサーが国会に呼び出された。

チャットgpt先生の4月27日のエッセイ

4月27日は、歴史上重大な出来事が2つも起こった日ですね。まず、1865年にアメリカの貨客船「サルタナ」での惨事がありました。南北戦争の帰還兵を乗せた船が、過積載とボイラーの爆発によって火災を起こし、1,450人以上もの人々が犠牲になりました。この悲劇は、混乱する時代背景の中で政府や軍当局によって隠蔽され、責任の所在も曖昧なままでした。しかしこの悲劇は船の安全に対する規制を強化する契機となり、同様の事故が未然に防がれるようになりました。

そして、1962年には日本プロレスの神戸大会での事件がありました。フレッド・ブラッシーとグレート東郷の6人タッグマッチでの激しい試合中に、ブラッシーが東郷に噛みついて大流血させ、テレビ中継を見ていた老人たちがその残虐な光景にショックを受けて亡くなるという悲劇が起こりました。この事件は当時のテレビ業界に大きな衝撃を与え、日本テレビのプロデューサーまで国会に呼び出される事態に発展しました。

この日の出来事は、人々に安全や倫理に対する考えを改めさせる契機となりました。悲劇から学び、同じ過ちを繰り返さないようにするためには、歴史を振り返り、その教訓をしっかりと受け止めることが必要です。