3月19日
20260319木曜日旧暦2月1日友引(29番壬辰みずのえたつジンシン)月齢 0
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吉方位 陽遁日 壬辰みずのえたつ日 南 大吉
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3月19日の出来事
1279年(祥興2年2月6日) – 崖山の戦い。モンゴルにより南宋が滅亡。年月日:至元16年2月6日(1279年3月19日) 場所:崖山 結果:元の圧勝、南宋の滅亡 損害:元軍7万人中 戦死10000人強 南宋軍 200000人中 戦死100000人。
1853年 – 太平天国の乱: 太平天国軍が江寧(南京)を陥落。「天京」と改称して首都とし、太平天国の王朝を樹立。1851-1864 の13年間で民間人を含み死者数は2000万人以上と言われる。
1945年 – 第二次世界大戦: アドルフ・ヒトラーがドイツ国内のインフラ破壊を指令。(ネロ指令)
1945年 – 第二次世界大戦・九州沖航空戦: アメリカ海軍の航空母艦「フランクリン」が日本海軍の爆撃機「銀河」1機の攻撃を受け大破、724名の死者を出す。
1945年 – 第二次世界大戦・日本本土空襲: 名古屋大空襲。3月19日空襲は151,332人が罹災した。死者826人、負傷者2,728人
1953年 – 国鉄日田彦山線釈迦ヶ岳トンネルの工事現場で落盤が発生。死者21人、重軽傷者4人[4]。
1960年 – 福岡県久留米市の国立療養所久留米病院(後に国立病院機構九州医療センターに統合)で火災。患者11人が焼死[5]。
1974年 – 兵庫県西宮市の知的障害者施設の浄化槽から幼児2名の遺体が発見される。(甲山事件)
1997年 – 東電OL殺人事件発生。
2016年 – フライドバイ981便墜落事故。死亡62人(全員)。
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1279年(祥興2年2月6日) – 崖山の戦い。モンゴルにより南宋が滅亡。年月日:至元16年2月6日(1279年3月19日) 場所:崖山 結果:元の圧勝、南宋の滅亡 損害:元軍7万人中 戦死10000人強 南宋軍 200000人中 戦死100000人。
崖山の戦い(がいざんのたたかい)は、1279年3月19日(至元16年2月6日)に中国大陸の広州湾で、元の軍勢が南宋の海軍を破った戦いである。この戦いで南宋は敗北、最後の皇帝趙昺は宰相陸秀夫とともに入水し、名実ともに南宋は滅亡した。
損害は
元軍1万に対し、南宋10万程度。
1853年 – 太平天国の乱: 太平天国軍が江寧(南京)を陥落。「天京」と改称して首都とし、太平天国の王朝を樹立。1851-1864 の13年間で民間人を含み死者数は2000万人以上と言われる。
地上の天国、その理想と実情
洪秀全
キリスト教的理想を掲げた地上の天国を作り出そうとした洪秀全であったが、現実において社会を組織・運営する上で伝統的・土着的な考え方・価値観から逃れられるはずもなく、その理想と現実は極めて乖離したものとならざるを得なかった。
宗教・思想的側面
太平天国はキリスト教が刺激となって生まれ出でた現象であることは間違いなく、教義として神・イエス・聖霊を内容とする三位一体論を受容していたが、ただ洪秀全をキリストの弟に位置づけている点で大きく異なる。また人は神の前に平等であり、皆兄弟姉妹であるという天下一家的な思想をもっていた。
教典としては聖書に加え、洪秀全が著した『原道救世歌』などを一部修正して使用していた。洪秀全は『勧世良言』によって覚醒した後、広州でI.J.ロバーツというアメリカ人宣教師の下に教えを請うている。基本的な知識はこの時得たものと思われるが、洗礼は時期尚早として受けられなかった。
初期の太平天国は独自の解釈を交えながらも、キリスト教に忠実であろうと務め、例えば偶像破壊や儒教等の教えの書を積極的に廃棄していた。こうした姿勢に変化が見られるようになったのは1854年頃からである。無条件で焼却していた六経を太平天国に都合良く改訂した上での流布を認める一方で、聖書は太平天国により改訂された上でなければ閲覧不可能となった。これは三位一体論を太平天国に合うよう改変し、洪秀全と楊秀清の権威を高めるためであった。
文化的な側面で取り上げるべきものとしては、文字の新造がある。例えば魂は「云人」、魄は「白人」など計22字を作った。ただ圀といった則天文字のごとき命脈は保てなかった。
1945年 – 第二次世界大戦: アドルフ・ヒトラーがドイツ国内のインフラ破壊を指令。(ネロ指令)
ネロ指令(ネロしれい、ドイツ語: Nerobefehl)は、第二次世界大戦末期の1945年3月19日にナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの指示に基づき国防軍最高司令部が発出した「ライヒ領域における破壊作戦に関する命令(ドイツ語: Befehl betreffend Zerstörungsmaßnahmen im Reichsgebiet)」の通称。焦土作戦を命じたものであり、その通称名は、ローマ大火を自ら起こしたとの伝説があるローマ皇帝ネロに擬えて、後世に付けられたものである[1]。軍需大臣アルベルト・シュペーアの抵抗によって実行はほぼされなかった。
背景・前史
1945年初頭時点で既にドイツの戦況は絶望的であった[2]。占領地はほぼ解放ないし奪還され、戦況打開のためのアルデンヌ攻勢は失敗し、東西より連合軍がドイツ本国へと押し寄せていた[2]。しかし、アドルフ・ヒトラーは、ヴェルサイユ条約による恥辱の再現だとして無条件降伏を受け入れようとはしなかった。加えて、ヒトラーに近しい人物たちの証言によれば、彼は自分の期待に応えられず、歴史上の偉大な使命に値しなかったドイツ国民は、我々の政府と共に滅ぶべきだと考えるようになっていた[3]。軍需大臣アルベルト・シュペーアによれば、中止の訴えに対し、「戦争に負ければ国民もおしまいだ。(中略)なぜなら我が国民は弱者であることが証明され、未来はより強力な東方国家(ソ連)に属するからだ。いずれにしろ優秀な人間はすでに死んでしまったから、この戦争の後に生き残るのは劣った人間だけだろう」とヒトラーは答えたという[4]。
1945年 – 第二次世界大戦・九州沖航空戦: アメリカ海軍の航空母艦「フランクリン」が日本海軍の爆撃機「銀河」1機の攻撃を受け大破、724名の死者を出す。
1945年 – 第二次世界大戦・日本本土空襲: 名古屋大空襲。3月19日空襲は151,332人が罹災した。死者826人、負傷者2,728人
1953年 – 国鉄日田彦山線釈迦ヶ岳トンネルの工事現場で落盤が発生。死者21人、重軽傷者4人[4]。
1960年 – 福岡県久留米市の国立療養所久留米病院(後に国立病院機構九州医療センターに統合)で火災。患者11人が焼死[5]。
1974年 – 兵庫県西宮市の知的障害者施設の浄化槽から幼児2名の遺体が発見される。(甲山事件)
甲山事件(かぶとやまじけん)とは、1974年に兵庫県西宮市の知的障害者施設・甲山学園で園児2人の死亡事故が発生したことに端を発する一連の事件。事件に関して起訴された者の全員の無罪が確定した。
1997年 – 東電OL殺人事件発生。
東電OL殺人事件(とうでんオーエルさつじんじけん、東京電力女性社員殺害事件とも[1])とは、1997年(平成9年)3月9日未明に、東京電力の管理職であった女性が、東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された未解決事件。
事件の概要
この事件では、被疑者としてネパール人の男性が犯人として逮捕・有罪判決を受け、横浜刑務所に収監されたものの、のちに冤罪と認定され無罪判決を得た。現在も警視庁捜査一課特命捜査対策室で捜査中。2010年の刑事訴訟法改正による時効撤廃を受け、死刑か無期懲役の確定後に再審無罪になった事件で再捜査が行われる初めてのケースとなった[2]。
2016年 – フライドバイ981便墜落事故。死亡62人(全員)。
フライドバイ981便 (FZ981/FDB981) 墜落事故(フライドバイ981びんついらくじこ)は、2016年3月19日03時42分(現地時間、UTC+3)、ロシアのロストフ・ナ・ドヌ空港(英語版)への着陸を復行していたフライドバイの運航するボーイング737-800型機が墜落し、乗客乗員62人全員が死亡した航空事故である[1]。
事故当日、空港周辺では秒速13メートルから18メートルの強風が吹いており、午前01時30分頃に1度着陸を試みるも断念して着陸復行した。その後2時間にわたって上空で旋回待機し、午前03時30分頃に再度着陸を試みた。しかし再び断念して着陸復行したところ上昇途中で高度を失い始め、そのまま滑走路端に墜落した[1][2]。
チャットgpt先生の3月19日のエッセイ
3月19日 ― 理想と破壊のあいだで
3月19日の歴史を眺めると、人間が掲げた「理想」と、その理想が生んだ「破壊」が強烈に交錯する一日であることに気づく。
1279年の崖山の戦いでは、モンゴル帝国の元軍が南宋の海軍を破り、中国で約300年続いた宋王朝の歴史が終わった。追い詰められた幼い皇帝と宰相が海へ身を投じ、国家そのものが海に沈んだとも言われるこの戦いは、王朝の終焉を象徴する劇的な出来事として語り継がれている。歴史の大きな流れの中では、ひとつの文明や制度でさえ、戦いの一日で幕を閉じることがある。
その約6世紀後の1853年、中国では別の理想国家が誕生する。太平天国の乱の中で、指導者の洪秀全が南京を占領し、「天京」と名付けて新しい王朝を宣言した。彼はキリスト教的思想をもとに「地上の天国」を作ろうとした。しかしその理想は、現実の権力闘争や社会運営の中で次第に変質し、最終的には数千万人ともいわれる犠牲者を出す巨大な内戦へと発展した。理想は人を動かす力を持つが、同時に大きな悲劇を生む可能性も秘めている。
20世紀になると、理想どころか絶望そのものが命令として発せられる日が訪れる。1945年3月19日、アドルフ・ヒトラーはドイツ国内のインフラを破壊するよう命じた。後に「ネロ指令」と呼ばれるこの命令は、敗北するなら国家も共に滅びるべきだという極端な思想を反映していた。幸いにも軍需大臣のアルベルト・シュペーアらの抵抗によって、命令の多くは実行されなかったと言われている。ここでは、一人の権力者の思想が国家そのものを破壊しかねないことが示されている。
同じ1945年、この日は日本でも戦争の激しさを示す出来事が続いた。日本海軍の攻撃によってアメリカ海軍空母USS Franklin (CV-13)が大破し、多くの死者を出した。また名古屋大空襲では市街地が焼かれ、多数の市民が被害を受けた。戦争は国家同士の争いであると同時に、日常を生きる人々の生活を直接破壊する出来事でもある。
さらに時代が進んでも、人間社会の悲劇は形を変えて現れる。未解決事件として知られる東電OL殺人事件や、強風の中で起きた航空事故であるフライドバイ981便墜落事故など、現代社会の中でも予期せぬ出来事が人生を突然断ち切る。
こうして3月19日の歴史を振り返ると、人間は常に大きな理想や信念を掲げながら生きてきたことが分かる。しかし同時に、その理想が極端な形で現れたとき、社会や人命に深い傷を残してきたこともまた事実である。
歴史はしばしば英雄や国家の物語として語られるが、実際には数えきれない個人の人生の集積でできている。3月19日という一日は、そのことを静かに思い出させる日なのかもしれない。理想を持つことは大切だが、それが人間の尊厳を踏みにじるものになってはいけない。歴史の断片を見つめることで、私たちはその境界線を学び続けているのである。

