3月19日
20250319水曜日旧暦2月20日先負(丁亥ひのといテイガイ)月齢 19
乙巳きのとみ年己卯つちのとう月丁亥ひのとい日 年末まであと287日
吉方位 陽遁日
https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8819%E6%97%A5
3月19日の出来事
1279年(祥興2年2月6日) – 崖山の戦い。モンゴルにより南宋が滅亡。年月日:至元16年2月6日(1279年3月19日) 場所:崖山 結果:元の圧勝、南宋の滅亡 損害:元軍7万人中 戦死10000人強 南宋軍 200000人中 戦死100000人。
1853年 – 太平天国の乱: 太平天国軍が江寧(南京)を陥落。「天京」と改称して首都とし、太平天国の王朝を樹立。1851-1864 の13年間で民間人を含み死者数は2000万人以上と言われる。
1945年 – 第二次世界大戦: アドルフ・ヒトラーがドイツ国内のインフラ破壊を指令。(ネロ指令)
1945年 – 第二次世界大戦・九州沖航空戦: アメリカ海軍の航空母艦「フランクリン」が日本海軍の爆撃機「銀河」1機の攻撃を受け大破、724名の死者を出す。
1945年 – 第二次世界大戦・日本本土空襲: 名古屋大空襲。3月19日空襲は151,332人が罹災した。死者826人、負傷者2,728人
1974年 – 兵庫県西宮市の知的障害者施設の浄化槽から幼児2名の遺体が発見される。(甲山事件)
1997年 – 東電OL殺人事件発生。
————————–
1279年(祥興2年2月6日) – 崖山の戦い。モンゴルにより南宋が滅亡。年月日:至元16年2月6日(1279年3月19日) 場所:崖山 結果:元の圧勝、南宋の滅亡 損害:元軍7万人中 戦死10000人強 南宋軍 200000人中 戦死100000人。
崖山の戦い(がいざんのたたかい)は、1279年3月19日(至元16年2月6日)に中国大陸の広州湾で、元の軍勢が南宋の海軍を破った戦いである。この戦いで南宋は敗北、最後の皇帝趙昺は宰相陸秀夫とともに入水し、名実ともに南宋は滅亡した。
損害は
元軍1万に対し、南宋10万程度。
1853年 – 太平天国の乱: 太平天国軍が江寧(南京)を陥落。「天京」と改称して首都とし、太平天国の王朝を樹立。1851-1864 の13年間で民間人を含み死者数は2000万人以上と言われる。
地上の天国、その理想と実情
洪秀全
キリスト教的理想を掲げた地上の天国を作り出そうとした洪秀全であったが、現実において社会を組織・運営する上で伝統的・土着的な考え方・価値観から逃れられるはずもなく、その理想と現実は極めて乖離したものとならざるを得なかった。
宗教・思想的側面
太平天国はキリスト教が刺激となって生まれ出でた現象であることは間違いなく、教義として神・イエス・聖霊を内容とする三位一体論を受容していたが、ただ洪秀全をキリストの弟に位置づけている点で大きく異なる。また人は神の前に平等であり、皆兄弟姉妹であるという天下一家的な思想をもっていた。
教典としては聖書に加え、洪秀全が著した『原道救世歌』などを一部修正して使用していた。洪秀全は『勧世良言』によって覚醒した後、広州でI.J.ロバーツというアメリカ人宣教師の下に教えを請うている。基本的な知識はこの時得たものと思われるが、洗礼は時期尚早として受けられなかった。
初期の太平天国は独自の解釈を交えながらも、キリスト教に忠実であろうと務め、例えば偶像破壊や儒教等の教えの書を積極的に廃棄していた。こうした姿勢に変化が見られるようになったのは1854年頃からである。無条件で焼却していた六経を太平天国に都合良く改訂した上での流布を認める一方で、聖書は太平天国により改訂された上でなければ閲覧不可能となった。これは三位一体論を太平天国に合うよう改変し、洪秀全と楊秀清の権威を高めるためであった。
文化的な側面で取り上げるべきものとしては、文字の新造がある。例えば魂は「云人」、魄は「白人」など計22字を作った。ただ圀といった則天文字のごとき命脈は保てなかった。
1945年 – 第二次世界大戦: アドルフ・ヒトラーがドイツ国内のインフラ破壊を指令。(ネロ指令)
ネロ指令(ネロしれい、ドイツ語: Nerobefehl)は、第二次世界大戦末期の1945年3月19日にナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの指示に基づき国防軍最高司令部が発出した「ライヒ領域における破壊作戦に関する命令(ドイツ語: Befehl betreffend Zerstörungsmaßnahmen im Reichsgebiet)」の通称。焦土作戦を命じたものであり、その通称名は、ローマ大火を自ら起こしたとの伝説があるローマ皇帝ネロに擬えて、後世に付けられたものである[1]。軍需大臣アルベルト・シュペーアの抵抗によって実行はほぼされなかった。
背景・前史
1945年初頭時点で既にドイツの戦況は絶望的であった[2]。占領地はほぼ解放ないし奪還され、戦況打開のためのアルデンヌ攻勢は失敗し、東西より連合軍がドイツ本国へと押し寄せていた[2]。しかし、アドルフ・ヒトラーは、ヴェルサイユ条約による恥辱の再現だとして無条件降伏を受け入れようとはしなかった。加えて、ヒトラーに近しい人物たちの証言によれば、彼は自分の期待に応えられず、歴史上の偉大な使命に値しなかったドイツ国民は、我々の政府と共に滅ぶべきだと考えるようになっていた[3]。軍需大臣アルベルト・シュペーアによれば、中止の訴えに対し、「戦争に負ければ国民もおしまいだ。(中略)なぜなら我が国民は弱者であることが証明され、未来はより強力な東方国家(ソ連)に属するからだ。いずれにしろ優秀な人間はすでに死んでしまったから、この戦争の後に生き残るのは劣った人間だけだろう」とヒトラーは答えたという[4]。
1945年 – 第二次世界大戦・九州沖航空戦: アメリカ海軍の航空母艦「フランクリン」が日本海軍の爆撃機「銀河」1機の攻撃を受け大破、724名の死者を出す。
1945年 – 第二次世界大戦・日本本土空襲: 名古屋大空襲。3月19日空襲は151,332人が罹災した。死者826人、負傷者2,728人
1974年 – 兵庫県西宮市の知的障害者施設の浄化槽から幼児2名の遺体が発見される。(甲山事件)
甲山事件(かぶとやまじけん)とは、1974年に兵庫県西宮市の知的障害者施設・甲山学園で園児2人の死亡事故が発生したことに端を発する一連の事件。事件に関して起訴された者の全員の無罪が確定した。
1997年 – 東電OL殺人事件発生。
東電OL殺人事件(とうでんオーエルさつじんじけん、東京電力女性社員殺害事件とも[1])とは、1997年(平成9年)3月9日未明に、東京電力の管理職であった女性が、東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された未解決事件。
事件の概要
この事件では、被疑者としてネパール人の男性が犯人として逮捕・有罪判決を受け、横浜刑務所に収監されたものの、のちに冤罪と認定され無罪判決を得た。現在も警視庁捜査一課特命捜査対策室で捜査中。2010年の刑事訴訟法改正による時効撤廃を受け、死刑か無期懲役の確定後に再審無罪になった事件で再捜査が行われる初めてのケースとなった[2]。
チャットgpt先生の3月19日のエッセイ
3月19日は、歴史の波に翻弄され、多くの人々の運命を変えた日である。
1279年のこの日、中国大陸では「崖山の戦い」が起こり、南宋が元軍によって滅亡した。この戦いは単なる一国の滅亡ではなく、数十万もの人々が命を落とした壮絶な戦いだった。最後の皇帝・趙昺は、宰相の陸秀夫とともに入水し、歴史に幕を閉じた。この戦いは中国史において「崖山以後に中国人なし」とまで言われるほど、文化的・民族的な転換点となった。
1853年には、中国の別の激動があった。太平天国の乱において、洪秀全率いる太平天国軍が南京を陥落させ、「天京」と改名し、独自の王朝を樹立した。彼の掲げたキリスト教的理想は、多くの農民を惹きつけたが、最終的には13年間にわたる内戦を引き起こし、2000万人以上の死者を出す未曾有の惨劇となった。理想と現実の乖離が、どれほどの悲劇を生むかを示した例である。
また、第二次世界大戦の終盤である1945年3月19日、ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーは「ネロ指令」を発令し、敗北の際に自国のインフラを徹底的に破壊するよう命じた。これは狂気の焦土作戦であったが、軍需大臣シュペーアの抵抗により実行は回避された。同じ日に、日本では九州沖航空戦が行われ、アメリカ海軍の空母「フランクリン」が日本軍の爆撃機「銀河」によって大破し、724名が犠牲となった。また、名古屋大空襲も発生し、多くの市民が罹災し、戦争の苛烈さが改めて示された。
戦争だけでなく、1974年には「甲山事件」、1997年には「東電OL殺人事件」といった衝撃的な事件もこの日に発生している。特に東電OL殺人事件は、冤罪問題をも浮き彫りにし、日本の刑事司法の在り方に大きな影響を与えた。
3月19日は、戦争、革命、犯罪といったさまざまな形で人々の運命が大きく揺れ動いた日である。それらの出来事を振り返ることで、歴史の教訓を学び、未来への指針とすることができる。